熊王ナナ子

《インターネットソングライター》 言葉にするのは割と好きです。

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    私についての文まとめ

  • 自由帳

    日記かもしれない、マイ哲学帳かもしれない。

  • ウーロンハイハット-liner notes

    ウーロンハイハットの曲についての記事を公開しています。 静岡県浜松拠点に活動中の5人組バンド、ウーロンハイハット。 Twitter: @urnhigh 各種サブスクにて楽曲配信中

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熊王ナナ子と云う女

最近、ミスiDというオーディションに応募した熊王ナナ子。そのミスiDのiDにはアイデンティティーという意味があるらしい。そこで私の短い生き様からアイデンティティを探そうと試みる。 現在女子大生バンドマンとして生きる私の生い立ちを簡単に書きたいと思う。 誕生逆子だった私は、案の定足から出てきてしまい、首が締まっていて産声を上げなかった。先生は私の足を持って逆さまに吊るして私のお尻をぺんぺん!叩いた。すると産声と両親の安堵の声。 私は全裸で逆さに吊るされケツを知らん人に叩かれ

    • 読書感想文「タイムカプセルを読んで」

      私は「バンドマンに曲にされテェ〜」としょっちゅう言っている。それは他人の中に自分が存在していて欲しいという承認欲求から来るものかもしれないが、人生という物語的な文脈の中では自分は主役であり脇役だ。誰かの物語の中では私はなんてことない脇役で「あ〜、そう言えばそんな子居たねえ」とか言われてるんだろう。 この本は作者の目線で最後まで書き進められており、自分語り的な要素が殆どだ。しかし、友人や家族などの登場人物は個性的でとても魅力的に描かれている。(実際にキャラが濃いのだろうが。)バ

      • 熊王ナナ子のお仕事一覧

        誰もWikipedia作ってくれないので、今までの作品とお仕事をまとめました。依頼お待ちしてます。 経歴ウーロンハイハットGt.Cho.(2017年〜) 熊王ナナ子ソロプロジェクト(2020年〜) 公立大学デザイン学科卒業(2021年) ミスiD2021ファイナリスト(2021年) ※進化するインターネットソングライター賞(非公式) 作詞・作曲*インターネットシンドローム/熊王ナナ子 作詞作曲 (2020年)※以下タップでYouTubeで楽曲再生 *朝/熊王ナナ子(20

        • 全人類へ。怒りをコントロールしよう。

          怒る人を見て、何をそこまで怒ることがあるのかと、私の頭の上にはハテナがいっぱいになる。 私が短気な人の気持ちが分からないように、短気な人も私のような人間の気持ちは分からないのであろう。 私は決して穏やかな心情の持ち主では無いが、自分に対する怒りを覚えても、他人に対して激しい怒りを抱くことは多くはない。 そして他人に怒りを覚えても、態度に出して表明しようとは思わないのだ。 怒りで他人を思い通りにしようなんて良いやり方には思えない。もっと円滑に伝えられる術があるならば努めてそ

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          裸の王様

          セミファイナル審査最終日。最後に私の言いたいことは曲に託すことにしました。私は曲を作る人なので。 ▽カメラテストで歌った曲の音源です▽ (SoundCloud) 裸の王様 / 熊王ナナ子 この曲がミスiDの期間で思ったこと。 私は裸の王様で、エントリーしてからというもの、ずっと裸で踊り続けているのかもしれない。何にもなれない私は踊り狂うことしかできない。模倣で得られる快感は甘美なものかもしれないが、一時のものにすぎない。愛着や執着というのは覚悟の上に生まれるべきものだ

          Make or Die

          Make or Die 作り続けなければ死んでしまう 私にとって創作活動はそれほど"生"に密着しているのです。私のいのちから引き剥がれた曲たちが、世を渡っていけたなら、どんなに幸せでしょうか。 しかし世の常に忙殺され、私からそれらを奪ってしまったなら、もはや生きていても仕方ないとさえ思うのです。 普通が難しいです。発達障害があるので。ただ、それは要素であって、言い訳にはするつもりはなくて。そんな私が私として生きていける術が、曲を書いたり文を書いたりすることだった、という

          ギターが嫌いなギタリストの話

          私はバンドのギタリストです。 でも、ギターが嫌いです。 かなりぶっちゃけて書こうと意気込んでいる。誤解されたくないから、絶対最後まで読んで欲しいです。 話は私がギターを手にする頃まで遡る。 絶対高校生になったらバンドをやるんだと決めて、わざわざ軽音部のある高校に入った。 その軽音部には、正式に入部してから先輩に連れられて楽器屋にギターを見に行くというイベントがあった(楽器持ってない人はその後自分で買う) 1秒でも早く自分のギターを手にしたいという気持ちで一杯だった私は、

          ギターが嫌いなギタリストの話

          2020年もう身体は要らない

          精神と身体は全く異なるものだと、強く思い込むことが今私を生かす思想だ。 私の身体はただのパッケージ。そこに愛着や可哀想だとかそんなものは存在しない。 私の身体は私の所有物であるが、私本体では無い…。 私の生活では身体に感情移入すると受け入れ難いことが沢山ある。 生きていくにはこう言った思想で鎧を作るしかないのだ。 実態に拘る必要は無い、真実など無い、あるのは記録だけ…。何処にも行けない私は何処でも生きていける。 身体に囚われるから苦しいのだ。精神は遍在する。私は何処にもいな

          2020年もう身体は要らない

          私のカルチャー

          久しぶりに1人でじっくりとインプットに耽ける中で思い出したことがあります。 ハッとしました。 ミスiDというアイドル的オーディション(ここではアイドル的とあえて言う)を受けて普遍的な"可愛い"を追求することに流されてしまっていた自分が居ました。 皆エントリーする女の子は自分の思う可愛いを体現し、守っている様に、 私は私のカルチャーを体現し、守らなければならないという一種の使命感の様なものを思い出したのです。 手に取りやすいパッケージを目指すことがいつしか手段ではなくて目的

          私のカルチャー

          学校を休んだ時の後ろめたさ

          覚えているだろうか。 体調不良で学校を休んだ日に寝る以外の行為をする後ろめたさ。 ゲームをしたり漫画を読んだり…。誰かに見られているわけではないのに、私は後ろめたさを感じた。 インフルエンザや風邪の治りかけで全く熱がないのに休んでいる時なんて最悪だ。 幼い私は、いかにも病人らしい振る舞いをしなければならないような気がしていた。 なんとなく今そういう気持ちだ。 別に病気でもなんでもないのだけれど、今は大学も無く、訳あってバイトもしていない。丸一日家にいるけれど、何をやって

          学校を休んだ時の後ろめたさ

          人に心配されない生き方を

          私は大丈夫じゃない。らしい。 らしい。というのはそれを人によって自覚させられたから。 人生の半分くらいは私は大丈夫な方の人間だ。と自負して生きてきた。テストの点数は良かったし学級委員だって任されてた。あの頃は、自分のことを大丈夫だって思うための材料はそれだけで良かったのだ。 ごく当たり前のことで、優等生ポジションだったからと言って、大人になってもみんなから認められるとは限らなかった。 子供の頃の決まりや縛りから解放されると、指針を失う。子供の頃はエライの基準が成績や部活

          人に心配されない生き方を

          過去と他人は変えられない

          過去と他人は変えられない 私はこの言葉に出会ってからずっと心得ている。これは真理だと信じている。 これは否定では無い。変えられない事実と現実に対して、裏を返せば自分と未来だけは変えられると言っているのだ。 この世はちいさな不幸で埋め尽くされている。 環境に嘆くことがどれだけ無意味かみんな知ってしまった。だけど、みんな自分が1番可愛いんだ。 自分の不遇を環境のせいにする人は嫌だ。嫌だと思いたい。何故なら自分起因に物事が変わらないなんて信じたくないから。 私は運命を信じて

          過去と他人は変えられない

          ミスiDエントリー、結局何がしたいの?

          ミスiD2021にエントリーしている私ですが 「何がしたいの?」「何を目指してるの?」 と言われることがあるのでよく考えてみることにしました。 今やってること、割とすぐ出来るようになりたいこと、ゆくゆくやってみたい事目指したい事、に分けて書き出してみます。 今やってる事とやりたい事を混同してはいけないと思ったので…。 今やってること・バンド(Gt.cho.作詞作曲) 学生生活殆どバンドに費やしています。高校入学から今まで、やっているバンドは違えどもうバンド歴7年目…(うっ)

          ミスiDエントリー、結局何がしたいの?

          作品論

          創作を生きがいとする女子大生バンドマン熊王ナナ子です。 誰かへ向けた文章になるのか、はたまた自分の思考整理の為の文章になるのか分からないけど、今日は私の"ものづくり"に対する考え方を書きたいと思う。 創作は最下階層の欲求まず、創作は生きがいと冒頭に言ったけれど、生きがいという言い方がしっくり来ない。生きがいというよりも私にとっては生み出す行為は必然であると思う。マズローの欲求階層で言うと下に近い。生理的な欲求に近いところがあると思っている。 それは根底に極論何も生み出して

          おじさん論

          私はおじさんが好きだ。 多分。 多分というのは、ナナ子っておじさん好きだよね〜ってよく言われるからで、 自分では「この人おじさんだから好き!」って思うわけじゃない。 自分の中に年齢の壁があんまりないからだと思う。 最初に人を見るときに年齢でカテゴライズしないかも。 だから、好きなおじさんも居るし、嫌いなおじさんも居る。好きな若いひとも居るし、嫌いな若いひとも居る。 でもおじさんは(私の統計上だけど)対等に喋ってくれるひとが多いし、 良くも悪くももう人格が出来上が

          おじさん論

          傷つけられるということ

          むかし、ひとを確かに傷つけたと自覚した事があった。21歳のわたしの言う"むかし"なんて知れているが。 カメラロールをスクロールしているとその記憶は思い出された。 自分より歳が上の大人の女の人の、好きな人を取ってしまった形になった。今思えばその時の私は浮気相手の女とか言われる立ち位置に居たのだ。 大人2人に挟まれて、なんだか私も精神的に大人になったつもりだったのだろう。だから、後に彼女のTwitterでガキって書かれて、 あ、私ガキに見えてたんだ。とはっとしたことがあった。こ

          傷つけられるということ