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偽善者と悪人 〜私の心のドロッとしたところ〜

偽善者になるくらいなら、悪人のほうがよっぽどマシだ、と感じるときがある。
できるだけ、偽善者にはなりたくない、と思っている。
偽善者は、悪人よりもずっと残酷だ。
もちろん、殺人などといった犯罪は除く、といった注釈付きにはなるのだけれど。

よく感じる場面として。
たとえば、目の前の知り合いが、悲しい出来事があった、と話しはじめたとき。
病気になった、だとか。
恋人と別れた、だとか。
上司に理不尽な叱られ方をされた、だとか。
イジメにあっている、だとか。
「それはつらいね、わかるよ。」
本当に、心からこのようなセリフを言える人はどれだけいるのだろうか。
自分だけではなかった、とか、自分と仲間になったんだ、とか、どこかホッとしてしまう人って結構いるのではないだろうか。
それどころか、自分の立場が上になったと喜びながら、そんなセリフを吐いている人もいるのではなかろうか。
そんなことを感じながら「つらかったね。」「わかるよ。」ひどい場合は「私はあなたの味方だからね。」なんて言ってしまえる人がいる。
結局、心の中でホッとしたり、嘲笑ったりしているのであれば、何も言わない方がずっとマシだと思うのだ。
心の中でホッとしていること、嘲笑っていることは、そのときは、目の前で悲しんでいる知り合いには伝わらないかもしれない。
そのとき、どころか、ずっとその寄り添った言葉を信じていることもあるだろう。
でも、半分くらいは、その後の言動で、「あの言葉は上っ面だったのだ」と気づいてしまうものなのだと思う。

そのときの、残酷さったら。

何も言われないほうが、よほどマシ。
「ふーん」とか返されるほうが、よほどマシ。

ゼロだ、と、思うからだ。何も言われなければ。
無駄に寄り添う言葉を投げかけられた場合、あとで気づいたときには、マイナス、になる。

いっそのこと、心の中で思っていない空っぽの寄り添う言葉を放つのであれば、目の前で嘲笑ったほうがマシなのではないか、とさえ思うときがある。
もちろん、言われた側はさらに傷つくのだろうけれど、そのあとは、その人との関わりを経つ、もしくは、できるだけ避ける、という選択肢をすぐにとることができる。

あぁ、よかった。
早めにヒドイ人だと気づくことができて。
いっそ、スッキリだ。

無駄に寄り添う言葉を投げかけられた場合は、こうはいかない。
だって、その人を信じてしまうもの。
信じているから、関係を経つことはできない。
あとになってヒドイ人だと気づいても、表立ってヒドイことをされなかった分、関係を経つことが難しくなることだってあると思う。


一方で、悪人よりも、偽善者であるほうがよほどマシだ、という考え方もあるだろう。
どうせ、人の心の内なんて、他人から見えることはない。
どういう思いを抱いたにせよ、そのとき、目の前で苦しんでいる人が救われることに変わりはないのだから、と。
失恋したとき、空っぽの「つらかったね」の一言が苦しんでいる人の心を一時でも和らげるかもしれない。
電車で席を譲るとき、仮に、譲る側の人が障がい者や高齢者を見下していたとしても、実際に譲られた側の人は体がラクになる。



ただ、私の考えは、「偽善者より悪人」派なんだよなぁ。
完全な善人、か、悪人、か。
ゼロ、か、ヒャク、か。
できれば、どちらかでいたい。
さらにできれば、完全な善人になれるに越したことはない。



ここで、私はいつも揺らいでいる。
考えが突き詰められていない、浅いから揺れるのか、ヘンなことを考えてドツボにはまっているから揺れるのか。
それとも、これが「人間」というものなのか。

私の行動は、というと。

たとえば職場で病気から復帰した人に対して、「大丈夫?無理しないでね。」と声をかける。
本当にそう思っている、つもりだ。
電車で席も譲る。
目の前で落し物をした人がいたら、お得意の大きな声で「落としましたよ!」と声をかける。
本気で心配している、つもりだ。
声かけも、席を譲ることも、キライな人、イヤな人にはわざわざそんなことはしない。
一方で、たとえば、いじめに遭っている、だとか、パワハラに遭っている、だとか、もし告白されたときに、心配はするかもしれないけれど、実際に助けたり、「私は味方だからね」なんて言葉はかけられない。
むしろ、自分が標的でなくてよかった……とホッとするかもしれない。

私は、基本的に優しくない、自己中心的な人間である。
その「無理しないでね」、本当の本当?
その心配、本当の本当?
実は、偽善者に「成り下がって」いるんじゃない?
イジメを見ても助けられないんだよね?
私なりの心配は、自分の性格とくらべると、本当に心許ないもの。
信用できないもの。
こういった場面の自分は信用ならないもの。
まさに「自信がない」。

憧れの「完全な善人」になれる見込みがないなら、いっそ悪人になってしまえば?
残酷な、偽善者に「成り下がる」くらいなら。
…………でも、悪人になりきる勇気もないのだ。



最近、特に何かがあったわけでも、特別落ち込んでいるわけでもない。
でも、ここ数年、この考えが堂々巡りしているのだ。
迷っている。
迷い続けている。
そのなかで、できるだけ「偽善者」にはならない方法を選択している、つもりだ。
思ったことをそのまま口に出さないかわりに、思ってもいない寄り添う言葉も口に出さない…といった、逃げのような方法で。
極端な考えだろうか。
いつか、いい落としどころを見つけられる日がくるのだろうか。
一生こない気もするなぁ。
ずっと、自分に問い続けるのかな。

ねぇ、その言葉、行動、本当の本当?

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