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纏わる言葉について思うこと。


言わずもがな、世界が疫病に脅かされている。疫病自体も気になるところだが、私はこの疫病を通して言葉の意味が気になる。

「自粛を要請」という言葉がおかしいとSNSで見かけた。自粛は自分から進んで行動を慎むこと。自分から進んで行うことなのに、それを他者から要請(乞い求められる)されるとは何事だ、ということだった。私なりにほかの言葉を探してみたけど、この言葉の状況がそもそもおかしいと気がついて考えるのをやめた。一つなんとなく思い浮かんだのは「自主退学」だった。違う。背景がなんとなく似てる気がするだけで違うはずだ。うん…。

自宅待機も何を待っているんだろう。何を自宅で待機しているんだ。SNSで呟いたところ、自宅待機の解除を待っているんだ、と意見を頂いて納得してしまったが、そうなるとより中身の見えなささが浮かび上がる。

私は、きっと普段中身が見えてない状態で言葉を使ってしまっている。

私の所属している劇団「彗星マジック」で去年10月に「詩と再生」という公演を行った。何かしら過去にトラウマがあったり障害を持っている女工達が、新しくきた「先生」の存在によって、言葉を覚えていく話だった。言葉を通して時に強くなり、時に弱くなり、時に豊かになり、時に貧しくなる。私の役は、強さを履き違え、自分の弱さ故に人を最後陥れようとする役だった。

名前の話でもしたが、言葉をつけられることにより認識するものが世の中ある。この「詩と再生」は私の中で私の役としてだけでなく、私としても言葉を認識する話だった。無意識に使っている言葉を認識するきっかけの一つだ。これがあったから、今回の疫病に纏わる言葉たちも気になってきたんだと思う。

大抵の役者は、演出家からダメ出しをもらう。ダメ出しも意味を調べてみよう。「反省すべき点を指摘し、改善を即すこと」と検索で一番最初に出てきた。これが全てでは決してないと思うが、色んな稽古場できっと演出家はこのようなダメ出しを役者にしている。でも言葉の認識が違ったらどうなるんだろう。「そこもっと赤く」と例えば言われた時(赤くという色の感覚でダメを出す演出家の時点で多分私とはそもそも世界の認識自体が違う)私の赤と、演出家の赤が違う可能性がある。私の赤が黄色っぽいオレンジよりの赤、演出家の赤がピンクの要素が強い赤、だとしたら赤を出せる技術そのものの前に目指すものが違うのので、全然別のものが出来上がってしまう。人間育ってきた環境が違うからセロリを美味しいものという認識なのかまずいものと認識するか違うし、見てきたものが違うと今見えてる感覚もきっと違う。私は他人になったことがないから憶測でしかないけれど、きっと違う。これの擦り合わせのためにも、まず言葉自体の持つ意味と重みは知っておかないといけないなぁと思うし、相手がどのような言葉を使うか、共通言語(共通認識)を互いにさぐることが何かを作る上で重要だ。

そんなことを考えながら、「新型コロナウィルス」の新型はどこにかかっているのか気になって調べた。コロナウィルスは7種類あるらしい。以下厚生労働省のHPより。

「これまでに、人に感染する「コロナウイルス」は、7種類見つかっており、その中の一つが、昨年12月以降に問題となっている、いわゆる「新型コロナウイルス(SARS-CoV2)」です。 このうち、4種類のウイルスは、一般の風邪の原因の10~15%(流行期は35%)を占め、多くは軽症です。残りの2種類のウイルスは、2002年に発生した「重症急性呼吸器症候群(SARS)」や2012年以降発生している「中東呼吸器症候群(MERS)」です。 コロナウイルスはあらゆる動物に感染しますが、種類の違う他の動物に感染することは稀です。また、アルコール消毒(70%)などで感染力を失うことが知られています。」

新型コロナウィルスはサーズとマーズの仲間だった…。

何かを作るためだけじゃなくて、生きるためにも知識と認識は常に考え調べ更新しなければならないなと改めて思った。

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