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月夜のブルース(#初めて借りた部屋企画参加文第一話)

 高校3年の12月25日、私は学生ハウジングでワンルームマンションの書類を見比べ、泣き腫らした目で掠れ声で、母親と一緒に賃貸の契約をした。
 高3の12月、といっても進路は決まっていない。私はセンター試験を受けて国公立大学を受ける予定だった。だから、こんな時期に突然部屋を決めるのは、変な話だった。そしてその部屋は京都の実家に割合近かった。何がしたいのか解らない。変な話だ。ちなみに学生ハウジングは実家と同じマンションの1階にあったので、その点お手軽に話は進んだ。捺印したあと、そのままその建物の3階の自分の家で、泣きながら、前日食べられなかったブッシュドノエルを食べた。疲れた。

 当時私は酷く病んで衰弱していた。今でも定職に就けないとか定食が食べられないとか色々病んでいるのだが、17の私はぼろぼろだった。実際のところ、ぼろぼろぼろぼろだった。心がぼろ雑巾だった。病んでいた。そして私が病んでいることを利用するおとながいた。その為重ねてぼろ雑巾は破れた。高校では殆ど保健室にいた。遅刻は常習犯。失神超常習犯。え、こんな人間迷惑過ぎませんか?(今気づく)私が高校を卒業出来たのは、出席日数についてなんらかの調整があったのではないかとずっと思っている。何しろ定期考査中にも倒れるし、それで追試を受けにゆくのだが90分間震えて泣いているだけだったりした。やべーな。迷惑だし病み病みだし闇闇だ。当たり前のように鞄には薬と剃刀と包帯があった。駄目駄目だ。
 精神科に通い始めたのは17の春だった。病んでいたのがいつからかというと、幼少期からではないかと思うのだが、つまりパブリックにカルテと処方箋を書いて貰えるようになり、そしてそのわりと藪医者だった医師は両親との別居を勧めたわけだった。一人暮らしを余儀なくしてきた嫌なおとなのことを書くとお互い気分が悪いので割愛。

 何故進路も決まらないままクリスマスに泣きながら家を決めたのかも割愛。まあ色々あるよね。あと、お前はただ単に親から離れる為にワンルームマンションを、両親の費用で借りられるような恵まれたやつだなあむかつくなあ羨ましいですねえこの贅沢者! という叱責は聞かないそれはもう聞き飽きた。私が悪いのは知っている。まあみんな色々あるよね。十人十色。百人百色。

 マンション、というか、アパートか。アパートの1階、北向き、何畳間だったかは忘れてしまったが真四角に近い洋室。1階なのでバルコニィ代りに小さな面積だが草むらに出られるようになっていた(これが曲者になるのであるが)。
 家賃のわりに、玄関がオートロックシステムだったりお風呂とトイレがセパレートだったり、有線放送が聴けたりした。我儘の為に両親にお金を出して貰いながら、〝家賃のわりに〟などと云える口ではないのだが、しかしこの家賃で、これは、なかなか、と思った。その部屋が好きになった。家賃が安い理由は季節が移ろうにつれ何となく察するのだが、その12月にはまだ判明しない。

   ○

 運送屋さんは使わなかった。家族に手伝って貰って、物を運んだ。私の持ち物は本が多く、すべての本を持ち込むことは出来なかったが、一応の本棚が無い部屋では目が死ぬ(嘘です死にません)ので多くは本を運んだ。食器は少し。CD。洋服。文庫本専用本棚というものをニッセンの通販で買った。これは組み立てが若干難しいが長らく重宝した。正方形の木のテーブルは食卓兼勉強机。良い造りで、結婚後まで使っていた。とは云っても、このあたりも両親が買ってくれたものである。ぼろぼろ人間ゆえに一人暮らしを始めることになった娘としては、大変申し訳ない。椅子は実家で使っていたバランスチェア。

 自分の小遣いで買ったものがひとつある。針金で組まれたトルソー。ずっと欲しかったものだ。それだけが自腹だった。このあと、何度も引っ越したが、今も私の部屋にある。いちばんお気に入りのコーディネイトをそのトルソーに架けておくことに決めていた。

 自分のいちばん好きなコーディネイトが、自分の部屋にまるで着用されているポーズで置かれていると、結構楽しい。トルソーは、お洋服が好きなひとにはお薦めします。

   ○

 炊飯器やレンジはなかったので、お鍋でお米を炊いた(が、お米はあまり食べたくなかったので、お鍋で炊くのも面倒だなあと思い、その後はあまりそれはしなかった)浄水をのみたかったので、近くの生協にペットボトルで汲みにいった。かなり低価格で「おいしい水」をタンクやペットボトルに供給出来る。

 アパートはひとけが無かった。インターネットが無い部屋の時代、ひとりの部屋にはひとりぶんのひとけしか無かった。あやうくなると0.5人ぶんのひとけに消滅しそうになる。取り敢えずは自分の存在くらい100%に保っておかなければならない。足りなくなったら本を読む。読書と音楽と勉強と絵を描くことしか、あの部屋にはなかった。ネットが無いとそういうことになる自分というか、そういう世界が、今、結構怖い。現代こうやってwebを使っている現代、空っぽの孤独は消えた。けれど、ひとがいるのにこっちを向いてないよ! というような不安定な孤独感は増しているようにも思う。
 いや、そういうのは家族とかが埋めてくれたりするわけですか、知らんけど。

  ○

 初めて実家ではない場所が自宅となった夜。
 私はとても恥ずかしいことをした。

 限りなく恥ずかしいのだが、取り敢えずこうしなければならないだろうと頑なに信じていたのだ。

 私は近所の酒屋の自販機に向かった。こうでなければならないと思っていたので、ワンピース1枚、下駄サンダルでからんころんと足音をたてていた。それは月夜ではなければと信じていたので、勿論月夜だった。
 私はワンカップを自動販売機で買い、呑みながら帰途について、帰宅と同時に呑み終えた。お酒をのむのは初めてではなかったが、ワンカップは初めてで、しかし美味しかったと思う。(勿論、未成年の飲酒なので真似てはいけません)

 何がしたくてそんなことをしたのか思い出せないけれど、一人暮らし第一日目の夜はこれだろう、と思い込んでいた自分がとても恥ずかしい。下駄サンダルで夜道を買いにいったことも恥ずかしい。そういうシチュエイションを自分で演出したことが恥ずかしい。イヤフォンでは小島麻由美が歌っていた。

郵便ポストまでサンダルでカランコロン

              (「月夜のブルース」)


 幼稚とは恥ずかしさのことだと私は考えているのだが、この件に関しては、もう本当に恥ずかしい。高校を出たからといってアルコールに手を出すこと自体今思えばイタいし、しかもワンピース一枚でワンカップを傾ける月夜に、神社の裏で下駄が鳴るわけですよカランコロン。とても恥ずかしい。過去の自分に理解させたい。浸ってんなよカランコロン。太宰がトカトントンなら私はカランコロンだ。

 小島麻由美のアルバムは名盤です。

    ○

 酔ったわけではなく、しかしその夜は並大抵な時刻に薬をのんで眠った(実家ではほぼ毎日朝に1時間ほど寝るだけだった)。

 もう実家に帰っても、今までの存在だった私には戻れることは無い。そう目を瞑り、考えてみた。
 案外何の感情も無かった。自由っぽい何かに解き放たれた一夜目、こんなに感慨はドライなのか?  そしてゆるゆると眠った。夢もみず穏やかな夜だった。ここは、好きな部屋だった。

 長くなったので、つづく! 次号、友人が集まりのむのむ話など(ちょっと嘘)

(つづく)

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