見出し画像

俳句 / NO WAR 心経


花まつり羯諦羯諦のーわーぎゃーてー

「NO WAR 心経」っていうのを作って、各地で唱えるとわりと良いんじゃないかと、近所のお寺の看板(?)を見て以来思っているのですが、仏教徒ではないので、信徒の方からするとこういうことを云ってはいけないのでしょうか。

画像1

 私は歌うことが好きだし、それの関連でいっぱい唱えるのはたぶん何かしらの効能はあることだと思っていて(オカルト的な意味ではなく、多くのひとが同じことを云ったら事実の受け止め方が変わる、という心理的な意味合いなので、つまりネットで云うと炎上と似たようなものです)No War 心経を流行らせたらいいのに、とわりと本気で思っていますが、おのれ、般若心経を唱えることと炎上RTを同義にしやがったぜ、大丈夫?

 私は元々キリスト教の洗礼を受けているのですが、
「イエスって〜〜みたいな、こういうのやっぱ信者的には駄目なの?」
 とジョークや不謹慎ネタを問われるとき、
「大丈夫だよ! 神様は許してくれる存在だから!」
 と応じて、宗教の人間感を無駄に高めています。だいじょうぶだいじょぶ! 許す神だって信じないと救われないからね!(宗教色強い)

 ちなみに最初の1行目は俳句で、最近、俳号をつけたいのですが、全然決まりません。本名の下の名前が「いずみ」なので(平仮名のいずみ)、名前に関連する俳号にしたいなあ。家ではときどき「とそ」と呼ばれているのですが、「とそ」か「屠蘇」はやっぱりアグレッシヴっていうか、誰だよっていうか、なんか、どうなんですか、それは。以太氏の名前は本当に良いと思います。i want some センス! 「泉」は自分に似ているけれど、親が「泉」を拒否して「いずみ」にしただけあって、自分に慣らされていない字だと思います。もうずっとペンネームの苗字ですけれど、ここ数年馴染みが悪いです。なので、和泉は使えないですね。かぶりそうだし。

 俳句は作り始めて3年生くらいですが、全然作れません。むしろ俳号よりも、俳句のセンスを頑張っていただきたい。

5月短歌誌

 ぼーっとしていたら20日が来ていて、慌てて短歌誌を買いました。

 角川は、4月25日に紙版が発行で、今は電子書籍だけです。リンク出来なかったら、「あとで書く」をしようと思っていましたが、電書がありましたね。

 「あとで書く」ってハッシュタグ使ってるのおとそだけだからウケる! と家人に云われたのですが(私はときどき家人からおとそと呼ばれています)、これは、いにしえのはてなキーワードです。はてなでは、note と同じ内容の日があったり、違う日があったりします。同じものがあったり違うものがあったりする、という表現は、数学的にむずむずしますね。


サポートしていただくと、画材・手工芸材などに使わせていただきます。もっと良い作品を届けられますように。