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20年以上前に嗅いだにおいを思い出したこと

人によって記憶のスイッチになるものは色々ある。音楽はわかりやすい。懐かしい曲を聴くと、その頃の感情が蘇る。「この気持ちがすべて」くらい強い感情を持っていたことを音楽をきっかけに思い出して、そんなことをすっかり忘れて暮らしている今の自分が、過去の自分に対して勝手にばつの悪さを感じたりもする。

においで思い出される記憶もある。

幼稚園の頃、転んで右腕にヒビが入り、しばらくギブスをしていたことがある。痛みの記憶も忘れ難い。といっても、痛みがどんなものだったのか、再現することはさすがにできないのだけれど、診察室にたどり着くまでの病院の廊下を母に連れられて歩いたとき、一歩一歩進むごとにヒビから全身に信じられないくらいの痛みが走り、実際はたいした距離ではないであろう廊下が永遠に続くように思えた気持ちと、その廊下の風景はしっかり記憶に刻まれた。

今はギブスの処置ももっと進化しているのかもしれない。当時はギブスをしばらくつけっぱなしで、ヒビがくっついてからやっとギブスを外しお風呂に腕を入れていいことになった。

久しぶりにギブスを外したときに、包帯にしみ込んだ汗がむわーっとした臭いを放ったことを覚えている。その汗の臭いは、普通に生活して、毎日お風呂に入っていたら嗅いだことのない臭いだったから、妙に鮮烈に記憶に残った。

先日父から急に連絡が入り、祖父がもう長くないかもしれないと知らされた。祖父は80歳を超えているけれど、今年のお正月にはふつうに家でひとりで暮らしている祖父に会っていたし、ずいぶん急で何事かと思ったが、先月末から肺炎で入院していたらしい。

横浜の片田舎にある病院に会いに行くとそれはもう弱った姿で、私は途方に暮れた。意識はあるようで私のことを認識してくれたけれど、前に会った祖父の姿とは変わっていた。

手を握りながら、顔を近づけたときにかすかに鼻先をかすめた臭いが、幼稚園の頃に嗅いだギブスの臭いと同じだった。

病院から帰って、一人で東京に帰ってきても、その臭いがいつまでも鼻から離れなかった。私はその臭いを何度も反芻しながら、祖父について考えた。死ぬということについて考えた。祖父を見ていた父について考えた。

もしかしたら、意識がある祖父に会うのはあれが最後になるのかもしれない。そんな思いがありながらも、変わらず仕事に行くことしかできない自分が、逃げているみたいで、どうしようもない気持ちになる。

そして何より、ここ数年は年に一回、お正月にしか会いにいかなかった私にとって、この悲しみの量が適当なのかわからない。悲しみすぎな気もするし、全く足りない気もする。

普段会うことが少なくても、「元気で暮らしている」という事実に、どれだけ都合よく支えられているのか、こういうときにやっと気づく。

東京事変の『絶体絶命』という曲に、「悲しみよ向こうへ行って」という歌詞がある。この曲がけっこう好きなのだけれど、悲しみに身を任せることが正解なときもあると思う。


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