見出し画像

『ブレーメン』 ヨルシカ

ねぇ考えなくてもいいよ
口先じゃ分かり合えないの
この音に今は乗ろうよ
忘れないでいたいよ
身体は無彩色 レイドバック
ただうねる雨音でグルーブ
ずっと二人で暮らそうよ
この夜の隅っこで

ねぇ不甲斐ない僕らでいいよ
って誘ってのは君じゃないの
理屈だけじゃつまらないわ
まだ時間が惜しいの?
練り歩く景色を真空パック
踏み鳴らす足音でグルーヴ
まるで僕らはブレーメン
たった二人だけのマーチ

さぁ息を吸って早く吐いて

精々歌っていようぜ 笑うかいお前もどうだい
愛の歌を歌ってんのさ あっはっはっは
精々楽していこうぜ 死ぬほどのことはこの世に無いぜ
明日は何しようか 暇ならわかり合おうぜ

ねぇ考えなくてもいいよ
踊り始めた君の細胞
この音に今は乗ろうよ
乗れなくてもいいよ
想い出の景色でバックパック
春風の騒めきでグルーヴ
もっと二人で歌おうよ
暇なら愛をしようよ

さぁ息を吸って声に出して

精々歌っていようぜ 笑われてるのも仕方がないね
何もかも間違ってんのさ なぁ、あっはっはっは
精々楽していこうぜ 馬鹿を装うのも楽じゃないぜ
同じような歌詞だし三番は飛ばしていいよ

さぁ息を吸って早く吐いて
ねぇ心を貸して今日くらいは

精々歌っていようぜ 違うか
お前ら皆僕のことを笑ってんのか?なぁ
精々楽していこうぜ 死ぬほど辛いなら逃げ出そうぜ
数年経てばきっと一人も覚えてないよ

ぜいぜい歌っていようぜ 身体は動く?お前もどうだい
愛の歌を歌ってんのさ あっはっはっは
精々楽していこうぜ 死ぬほどのことはこの世に無いぜ
明日は何しようか 暇なら笑い合おうぜ
そのうちわかり合おうぜ


 「ダブルチーズバーガーって生意気じゃない?」
 大きな声でそれを言うような場所じゃない。マックだぞここは。しかもそんなことを言えた口じゃないだろう。半開きの彼女の口では今まさにダブルチーズバーガーが粉砕されている。
 「ダブチ単品で350円。でも、チーズバーガー二つだと320円なんだよ!?」
 改めてどうでもいいし、ダブチとか言っちゃって自分から距離を縮めにいってることの方が気になった。
 「なに?深夜に呼び出しといて。そんなこと、どうでもいいんだけど。明日も仕事って知ってるよね?」
 「絶対チーズバーガー二つ、チーズバーガーダブルの方がよくない?安いし、なんかお得感?あるし。コスパ悪いダブチの方がなんで人気なの」
 聞き流しながらテリヤキバーガーを齧る。明日も取引先に頭を下げるという立派な仕事があるのに、スーツ姿のまま深夜でマックなんてどうかしてる。
 今日は上司がまとめたはずの顧客名簿にミスがあったのだが、それがなぜか僕のミスとなって不条理なお説教に頭を下げた。それから、納期通りに商品を届けたのに「もうちょっと早くできない?」とか言っちゃうお客様のお気持ちに応えるために頭を下げた。
 人並み以上の大学に入り、人並み以上の成績で卒業し、人並み以上の月給がもらえる企業に就職することができた。理想の人生を歩んでいるはずなのに、専門学校を出た後、劇団に入りながらふらふらとフリーターを続ける彼女の方が幸せそうな顔をしている。ダブチを食べ終えた今は、一層幸せそうだ。
 僕の仕事は頭を下げることだ。この頭は考えるための器官じゃない。感情を殺して機械のように謝罪を続けるだけの行為で貯金だけが溜まっていく。心はすり減り、感情の起伏が少なくなった。好きだった配信者の切り抜きを観ても口角が上がらなくなってしまった。もはや義務で配信を開いている。
 「公園でチルしよー」
 「だから明日も早いから、」
 「だめ。君からチーズバーガー問題に対する意見を聞いてないもん」
 普通に帰りたいのだが。
 自分の人生設計なんてろくにしないくせに、そういうくだらないことに関しては熱くなってばかりいる。男性グループがプリクラを撮る心理について話した時は朝まで帰してもらえなかった。
 「コンビニで酒買ってこ。夏の夜に公園で呑む酒はうまいどっ」
 無言でついてく。水でも買おうかと思ったが、それでは彼女の酒ハラスメントに火を付けるだけだ。何も買わずにぼーっと漫画を眺めていた。ワンピースの単行本が100を超えていることなんか明日には覚えていないだろう。
 「あの店員さんわかってるねぇ。何も言わないでストローくれたよ」
 「ストゼロってなんでストローで飲むの?炭酸にストローって、うざくない?」
 「さぁ、なんかイケてるからじゃない?友達の真似してたらこれが普通になっちゃった」
 ストゼロ−ストロー問題こそ議論するべきだなんてことは当然言わず、慣れたはずの革靴が少し痛いことを気にしていた。
 「あっはっはっはー♪」
 流行りの曲だろうか。音楽を楽しむ心もどこかに置いてきてしまった僕は流行りのアーテイストがもうわからない。
 「お、ラッキー。空いてる。ここのベンチ、チルプレイスだから人いるかもって思ってたんだよね」
 もし人がいたらどうしてたんだ。雨上がりの草っぱらに座りたくないという帰る口実がなくなってしまったじゃないかと、顔も知らないチル常連者に腹が立った。
 「こないださぁ、劇団の照明さんがさぁ、」
 人の傘を間違えて持って帰ったらしい。
 「んでさぁ、うちの店長はさぁ、」
 帰るお客さんにご馳走様でしたと言い間違えたらしい。
 え?ダブチ問題は?僕はダブチに物申せば帰れるという微かな希望を掃いて捨てた。そんな訳がないだろう。彼女の頭の中は「あっはっはっはー♪」と知り合いのおもしろエピソードで一杯だ。
 「そう!その日にさぁ、帰ろうとしたら乗ってた電車が全然動かなくて。人身事故だって。しかも私の最寄りで!ヘトヘトだったのに歩いて帰ったんだよ。最寄り着いたらめっちゃ緊急車両いたわ」
 「飛び込み?」
 「うん。踏み切りで。なんで飛び込んじゃうかねー、あっはっはっはーって考えられないのかね」
 なんとなく言いたいことは分かる。でもそれ以上に飛び込む気持ちが分かる。僕の人生リタイアを引き止める要因は悲しむであろう両親、知人、そして目の前のサンダル女だ。あと何年この仕事をすればいいんだろう。転職先を調べる気力も湧かない、過酷な日々に終わりが見えない。
 「演劇部の先生、今年で定年だってよ」
 「あー、そんな歳だったっけ。退職金で晩年は安泰だね」
 「あの人、下の名前なんだっけ?かずのり?かずとし?」
 「かずまさ」
 「そうだそうだ、あーそうだったっはっはっはー」
 確かに演劇部は僕から誘ったけど、のめり込んだのは彼女の方だった。毎日先生と会っていたはずなのに、ちゃんと名前覚えてないんか。
 セミの幼虫が開けた穴を見つめていた頭に軽快なイントロが流れ込んできた。深夜の公園で酒を呑みながらグルーヴィな音楽をかける。大学生のすることだ。
 「仕事、まだ辞めないの?」
 「何言ってんの。奨学金の返済は残ってるし、辞めたら気ままにダブチが食べられないよ」
 「そしたらチーズバーガーダブルにしたらいいよ!320円で安いし」
 僕は仕事をするために生きている。生きるために働くという方が正しいのかもしれないが、生きることと働くことがもはや同義になっている。退職は死を意味する。無職になって、何をしたらいいのだろうか。苦痛の日々だけれど、社会人として働いている存在意義を失ってしまう気がする。僕はもう、仕上がっちゃってるんだ。
 「そっかぁーっはっはっはっー。この曲、良くない?」
 「どういう歌?」
 「んー、なんだろ。愛の歌、かなぁ」
 「でもラブソングみたいな歌詞じゃなくない?」
 「わかってないねぇ。あんな、愛って200種類あんねん」
 得意げな顔でエセ関西弁を言われても困る。どうせネット用語なんだろうけど、何を言いたいのかはさっぱり分からない。
 ループ再生にしているらしい。繰り返し聴いていると曲の最初と最後の境が分からなくなってきた。
 「ね?いいでしょ?」
 「んー、そうだね」
 確かに良い。つま先がひとりでにリズムを取っていた。
 何を話すわけでもなく、曲を聴き続けていた。僕の頭は自然に上がり、身体全体が揺れていた。
 彼女は立ち上がって下手なダンスを踊っている。無邪気なほろ酔い顔で手を伸ばしてきた。
 「あっはっはっはーだよ」
 「何が?」
 「人生ね、あっはっはっはーなんだよ、分かる?」
 分かる気がする。なんとなく。
 引っ張られるように立ち上がり、簡単なステップを踏む。彼女は頭を振ってて、サンダルは脱げかけている。白む空を横目に、無心でリズムに乗る。
 「あっはっはっはー、か」
 「そうだよ?私の座右の銘になった。今」
 「んー、いいね笑」
 「ねぇ、牛丼食べて帰ろうよ」
 「いいね。おろしポン酢牛丼食べたい」
 「お、わかってるね。サイズは?」
 「中盛」
 「だよねー!!これで君もあっはっはっはーの民だよ」
 全く意味は分からないけど、それを言いたいだけなんだろう。まぁ、言いたくなる気持ちは分かるけど。







<a href='https://.pngtree.com/so/森林公園の夜のカップル'>森林公園の夜のカップル pngから .pngtree.com/</a>