誰のために踊るのか つま先系とかかと系
ダンサーではありませんが、国内外の数多の舞踊に触れてきました。舞踊には、つま先系とかかと系があると漠然と感じています。
「見世物じゃない」とはなにか
初めから話が舞踊から逸れますが、お囃子のコミュニティで聞いた印象的な言葉を紹介します。
「お囃子は神様に奉納するもの。人に見せるためのものではない」
人に見せる舞踊ばかりしてきた私には小さな衝撃がありました。実際は、神様への奉納の姿を道行く人が見るため、人間が見ていることにはなるのですが、パフォーマンスの本来の宛先が人間ではない感覚について初めて認識しました。
同時期に、ベリーダンスの先生から聞いた言葉が対象的でした。
ベリーダンスは、王様のために踊るもの。国が攻め込まれて捕虜となった各部族の高貴な女性が、自分たちの部族が生き残るために、敵である権力者の前で踊ったものがルーツ
神に捧げるのか、人間を魅せるのか、二つの異なるベクトルを認識したことで、舞踊や音楽の分類を考えるようになりました。
神に捧げるのか、人間を魅せるのか
これまで触れてきた舞踊を分類すると以下のようになります。
神:インド古典舞踊バラタナティヤム、神楽
人間(権力者):ベリーダンス
人間(大衆):フラメンコ、クラシックバレエ、日本舞踊、サンバ(カーニバル、デュエット)
ここで「人間(大衆)」に分類しているものは、一般化されすぎてルーツから大きく離れたもののことです。いずれの舞踊も、ルーツは神に捧げる所にあると考えられますが、より芸術として洗練されて(=一般大衆が理解できる形に見易くされて)いく度合いが違うように見えます。
サンバも、家庭内で踊られるものがあります。これは、自分の中から湧き出てくる舞踊として「神」に分類してよいかと思います。
つま先系とかかと系
神に分類されるものは、かかとを踏み鳴らすことがベースとなります。盆踊りもそうかもしれません。重心を下に置いて、腰を低くしたまま踊ります。
人間向けに踊るものは、重心を高く、つま先を上げていくように思います。サンバはとてもわかり易く、家庭で踊られているものの重心は低く、カーニバルのものはヒールを履いて重心を高くします。
日本舞踊やフラメンコの説明がついていませんが、それぞれ由来を調べて再分類していきたいと思います。
少しでも共有できる思いがあったのであれば嬉しいです。 電気を届けるしごとに思いをはせる「白金プラチナ電設」もご贔屓に。