雑貨屋『このは』のお話。その2

「お先に失礼します」
少し緊張しながら、私は部署を後にした。
「お、森山さん、今日は早いね」
休憩室の自販機の前にいた先輩が笑顔で言う。
「はい。ちょっと勉強を始めたので」
ーー嘘ではない。一瞬、「ボランティアをすることになった」と言おうかと思ったけれど、雑貨屋『このは』で働く事は、もみじさんのためというより、私のためだ。そこで出てきたのが「勉強」という言葉だった。
「森山さんは偉いなぁ。真面目だし、向上もあって。頑張ってね」
「ありがとうございます」
私はお辞儀をするとエレベーターに乗り込んだ。いよいよ雑貨屋『このは』への初出勤だ。

「いらっしゃいませ」
お店に入ると、相変わらずもじもじした様子のもみじさんがカウンターの奥から姿を現した。そして、入ってきた私の顔を見ると、ぱあっと笑顔になった。
「こんにちは、もみじさん」
「里子さん、本当に来てくださったんですね。ありがとうございます」
「ええ、もちろん。今日からよろしくお願いします」
私の表情も自然と緩む。
「では、まずは何から始めますか、里子さん」
「そうですね、まずやらないといけないのは、値段を決めて札を付ける事でしょうね」
 私は鞄から、昼休みの時間を使って100円ショップで買ってきた値札カードを取り出した。
「ところでもみじさん、原価って分かりますか?」
もみじさんはキョトンとした様子で答える。
「え、玄関は今、里子さんが入ってきたところしかないですけど?」
ーー迂闊だった。お金の感覚のないもみじさんに原価なんて知る由もない。
「ああ、そうですね、えっとですね……ここにあるお皿とかって、材料とかここまで運んで来るのとかどうしていたんでしょうか?」
もみじさんは良くぞ聞いてくれましたとばかりににこにこして話し始める。
「お皿は山に住んでいる友達のもぐらさんが山から土を選んで持ってきて、形を作るのは、私とあなぐまくん、うさぎさん、きじさん、おさるさんとでやりました。火をつかうのは私達では無理なので、師匠にお願いして焼いてもらいました。お店には、山の雪がまだ残っている頃に、私と鹿のお姉さんとで少しずつここまで運んできました」

ーーおっと、いきなり情報量が多いぞ。

 私は慌ててメモを取り出し、状況を整理する。
 昨日、お店に初めて入ったとき、確かにもみじさんは、この店の品物は『私の友達が作った』と言っていた。当然といえば当然だけども、たぬきのもみじさんの友達といえば、やはり山の動物達ということになるのだろう。
 その動物達が土を捏ね、人間みたいにお皿やコップ、一輪挿しを作るなんてちょっと想像できない世界だ。
 それに、ここまで鹿が運んで来たということだけど、この町に鹿がいたら、ちょっとしたニュースになるはず。しかもお皿を入れた袋かなんかを運んでいるから、ちょっと遅いクリスマス、なんて見出しまでつけられて拡散されてしまいそうだ。どうやって人の目をかいくぐったのだろう。
 そして、さらに分からない事がある。

「もみじさん、師匠っていうのはもしかして、人間なのかな?」
「ええ、そうです。山奥で暮らしている陶芸家のおばあさんです。立派な窯を持っていて、動物の私達に焼き物とか小物の作り方を教えてくれたんですよ」

 なるほど、こちらは合点がいく。さすがに、動物たちの手で窯で焼くのは不可能だろう。それでもやっぱり、人間に変身できるもみじさんはともかく、他の動物とどうやってコミュニケーションをとっていたのかという疑問は残る。
 いきなり立ち現れた山のような謎、謎、謎。
 まだまだ知りたいところだが、ここにいられる時間を考えると、いったん棚上げにした方がよさそうだ。
「そういうことなら、とりあえず、昨日、私が買った一輪挿しみたいに、他のお店を参考にして値段をつけるのが良さそうですね」
「はい、よろしくお願いします、里子さん」
 もみじさんはそう言うと、ぺこりと頭を下げた。
「任せてください、もみじさん」
私は腕まくりをすると、棚の品とにらめっこをしながら、値段を考え始めたのだった。

続く(?)


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