見出し画像

金メダルに噛み付いたら傷がつくか問題


河村たかし市長が金メダルに噛み付いた件ですが、どうも「傷がつく」「傷がつかない」論争が風評レベルで取り沙汰されているようです。ずいぶんと事実誤認があったり、またYahoo知恵袋などには論拠がむちゃくちゃなのもあったり

メダル

して目も当てられないので、文献を引用しながら情報をまとめます。

損傷に関わるのは押込み硬さ

硬さにも色々あり、多くの人が認識しているのはモース硬度ではないでしょうか。これは引っかいたときの硬さの指標で、ダイヤモンドが最も硬いのはモース硬度です。今回の「歯による傷つけ」は、引っかいて傷つけたのではなく、硬い歯で圧力をかけて凹ませたという犯行です。歯で金属に噛み付いたときの凹み具合については、工業的な試験をなされていないので、正確にはわかりかねます。

ただし、よい指標はあります。歯で金属に噛み付いたときに傷がつくかどうかは、金属球などで高い圧力をかけたときに凹むかどうかがよく似た事象であり、指標になりえます。これが押し込み硬さで、ブリネル硬さビッカース硬さロックウェル硬さなどがあります。今回は、最も古くてデータの多いブリネル硬さを基準にします。

ブリネル硬さ(実はいくつか規格があるので、工学的には単純比較できないですが目安にはなります)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%8D%E3%83%AB%E7%A1%AC%E3%81%95

ブリネル硬さの例

一般的な金属のブリネル硬さを挙げます。

鋼鉄(炭素鋼)・・・100~450
純鉄・・・110
黄銅(五円硬貨)・・・80~150
青銅(十円硬貨)・・・50~100
銀(SV925)・・・65
純銅・・・35
純金・・・25
純銀・・・24.5
純アルミニウム・・・15
純鉛・・・3.9

これだけみると純金であれば、銅よりは柔らかく、アルミニウムよりは硬いわけです。ちなみに純金は歯型がつくことで有名です。江戸時代の小判は混ぜ物が多く、歯型をつけるには相当な咬力が必要ですが、一応不可能ではないようです。

なお、純アルミニウムは簡単に歯形がつきます。一円硬貨で試す必要はありません。歯型をつけたことをツイッターなんかで呟いたら、「貨幣損傷等取締法違反」の証拠となりますのでお気をつけを。

硬度の変化

なお、金属の硬度は変化します。ブリネル硬度を上げるには主に3つの方法があります。
・添加物をいれる(合金)
・鍛造・プレスなど力を加える(加工硬化)
・焼き入れをする

有名なのは鉄で、全ての硬化が使えます。少量の炭素を入れると鋼鉄になります。鍛造すると硬度と強度が上がります。プレス加工でも強度が上がります。焼入れでまた硬くなります。
アルミニウムも、合金で強くなりますし、鍛造したりプレスすると硬くなります。

一方で、かえって弱くなったり、意味がない金属もあります。一般的に、電気伝導度が高い金属は鍛造しても硬度を上げ効果がありません。柔らかすぎるのです。これは、金属結合の元となる自由電子が多すぎて、簡単に変形してしまうという性質そのものに由来するのでどうしようもありません。金も銀も銅も鍛造してもほとんど硬度は上がりません。
加熱しない鍛造やプレスができない金属もあります。アルミニウムは常温で鍛造したりプレスできます。逆に、鉄や黄銅は常温鍛造やプレスが難しく、下手をすると鍛造やプレス後に勝手に破壊する金属です。このへん詳しく知りたい方は「大学基礎機械材料、門間改三著」などをご覧ください。

https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%9F%BA%E7%A4%8E-%E6%A9%9F%E6%A2%B0%E6%9D%90%E6%96%99-SI%E5%8D%98%E4%BD%8D%E7%89%88-%E9%96%80%E9%96%93-%E6%94%B9%E4%B8%89/dp/4407023287

金メダルの硬さ

金メダルほか、今回の東京2020のオリンピックメダルの仕様は以下に公開されています。
https://olympics.com/tokyo-2020/ja/games/olympics-medals-design/
金メダルは純銀製で、表面に6gの金メッキとなっています。純金だとオリンピック開催国の金銭的負担が増大するため、オリンピック委員会がそう決めているのです。

銀であっても金であっても歯型はつくので、これだけ見ると金銀メダルを噛んだら歯型がつきそうです。しかし、この「純銀」が曲者です。一般的に、純銀とは92.5%以上の銀含有量であれば名乗ってよいのです。「元素を知る事典~先端材料への入門~、村上雅人編著」によると、
”100%では色が白すぎるのと、柔らかすぎてアクセサリーや加工に向かないためである”
とのことで、銅を添加して硬さと輝きを出しているとのこと。

https://www.amazon.co.jp/%E5%85%83%E7%B4%A0%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%82%8B%E4%BA%8B%E5%85%B8%E2%80%95%E5%85%88%E7%AB%AF%E6%9D%90%E6%96%99%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%85%A5%E9%96%80-%E6%9D%91%E4%B8%8A-%E9%9B%85%E4%BA%BA/dp/487525220X/

となると、金銭的理由からいってもメダルにおける純銀とは最も安価な、銀(SV925)を使っていると考えてよさそうです。銀は先ほど述べたとおりプレス等での硬化処理はできませんが、銅を添加することでブリネル硬度は65まで上昇します。

これは十円硬貨より少し硬いので、よほど噛みしめない限りは凹んだりはしなそうですね。よかったよかった・・・

とはなりません。硬度65は、ブリネル硬度測定の値ですが、これは平板な金属板が対象の試験です。東京2020のメダルは、特に表面にかなり高度な意匠が施してあります。金属の変形は、金属が細かったり薄かったりすると急激に起こりやすくなります。簡単に言えば、きわめて細い盛り上がり部分を噛んでしまうと、流石にそこは凹む可能性がある、ということです。ブリネル硬度65は、人間の顎による圧力に対して結構ぎりぎりな硬さです。人間の男性は、約60kgの咬合力を持ちます。これが歯の一点に集中したとき、傷つかないとはちょっと保証できかねます。また、めっき部分もこれほどの力に耐えうるかは微妙なところです。

実際、十円硬貨も良く見ると平等院の意匠に傷がついていることが良くあります。というわけで、結論。「噛みしめられた金メダルは、凹んだりはしないかもしれないが、噛んだ場所によっては意匠に傷がついている可能性がある」です。

まあ、赤の他人に大切なメダルを噛みしめられてしまった人の心の傷は計り知れませんので、常識ある人間は決してやりませんけどね。もうこんな論争が必要ないことを願います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?