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ヒガンバナの冤罪告発

実はずっと思っていたことがありまして、ヒガンバナという植物は過剰に有毒って言われすぎじゃないかと。ヒガンバナは別名が多いことで有名ですが、その中には「死人花」「いちろべえ殺し」「毒花」「火事花」「幽霊花」「葬式花」「地獄花」「墓花」「毒百合」「親殺し」など不穏な名前がたくさんあります。実際、ヒガンバナは花の先から根まで全草にリコリンやガランタミン等の有毒成分は含まれています。

ヒガンバナの写真

しかし、僕はこの点をもってしても、ヒガンバナにかけられた「猛毒」という話はデマではないにしろかなりの「勘違い」であろうことを、ここで弁護しようと思います。

そもそも現代では猛毒扱いではない

厚生労働省や各種公的機関においても、ヒガンバナは注意喚起レベルでついでに記載される程度であり、植物図鑑においても「毒はある」程度の記載です。総じて近代においては、「死ぬほどの毒ではない」という扱いです。

自然毒のリスクプロファイル

にもヒガンバナは記載されておらず、注意喚起するほどの毒草扱いはされていません。

ヒガンバナで直接死ぬのは無理

ヒガンバナ科植物のリコリン及びガランタミン分析

https://www.pref.kagoshima.jp/ad08/kurashi-kankyo/kankyo/kankyohoken/shoho/documents/30054_20130219153223-1.pdf

によれば、毒性の主要な成分であるリコリン含有量が1グラムあたり49~462マイクログラムと結構ばらつきます。天然成分なので個体差も大きいということです。概ね、多めに見積もってヒガンバナ球根1グラムあたり0.0004g、0.04%程度の含有率と計算できます。リコリンの致死量が10gなので、致死量のリコリンを摂取するには逆算すると25000g、つまり25kgの球根が必要です。これは他の有毒成分ガランタミンなどを入れない計算ですが、ここで言いたいのは、「ヒガンバナで死ぬにはキログラム単位での摂取が必要」という話です。おかしいですね? そもそもどんなものでも食べ過ぎれば健康に悪いですし、うっかり食べられる量ですらない……。

ヒガンバナを大量摂取できない理由

さらにもうひとつ、ヒガンバナが危険でない根拠を挙げます。それはリコリンの作用そのものです。リコリンの作用として、最初に来るのは「吐き気」です。実はこれは、中毒作用かというと微妙な症状なのです。なぜ言い切るかというと、試しに食べてみたからです。ヒガンバナの球根を食べやすいようにすりつぶし、そしてほんの茶さじいっぱい、口に含んだとたんに起こるのは、
口いっぱいに広がるえぐみ、苦味、口の中に膜がはった様な感覚
・嘔吐

です。はい。実は摂取する前の「味見」の段階で嘔吐するのです。しかも結構強めの嘔吐感でして、たとえ目の前に付き合いたての恋人がいたとしても「オヴェ!」とやってしまうレベルの、とても我慢できないレベルの非日常感あふれる強烈で危機感のある嘔吐です。

これには理由があります。リコリンをはじめとした植物毒の中で最も多いのが「アルカロイド」という毒素グループです。これらには概ね次の傾向があります(例外も勿論あります)。その傾向とは

・苦い
・水に溶けやすい
・熱に強い
・催吐性

です。実は、我々人類は多くのアルカロイドに尋常ならざる耐久性があり、しかも本能的にアルカロイドを「苦い」「不味い」と感じるために、アルカロイドをある程度避ける能力があるのです。そして、摂取したり摂取しようとすると「嘔吐」によって体外に排出する防御機構が問答無用で働きます(全部というわけではないので、食べてみて大丈夫そうだったから野草を食べるようなことはしないでください)。ですから、嘔吐を促すのは中毒という見方もできますが、逆に「体の防御反応」とも解釈でき、そういう意味では中毒症状かというと微妙です

実際に、同じアルカロイドを含むスイセンの食中毒も毎年のように起きていますが、殆どの人は嘔吐下痢で入院するものの、適切な治療を受ければ助かるのが大半です(小児や老人では死亡例もあるので油断して良いわけではない)。

なぜこうなったか

ここからは推論です。ヒガンバナがなぜ「猛毒」のイメージを持たれるに至ったか。それはシチュエーションであろうと思います。後述しますが、本来、ヒガンバナは食用であった可能性が高い植物です。縄文時代には普通に食べられていたと推測され、近代までヒガンバナを食用としていた地域もあります。

中毒事故はこういった知識が失われていたコミュニティか、あるいはそういった知識に乏しいものが単独で中毒したと考えられます。特に、集落内で食べ物が致命的に不足している状態で自分だけ食べられそうな球根を所持しているという状況は、他者に知恵を借りることが困難であったと考えると心が痛みます。


猛毒認定されるシチュエーション


・ヒガンバナを食べるのは死ぬ間際が多い
・中毒症状が派手
・脱水による死亡
・ヒガンバナ自体がとても目立つ

順に解説していきましょう。
まず、「ヒガンバナを食べるのは死ぬ間際が多い」。キーワードは救荒食です。ヒガンバナは縄文時代を過ぎて稲作など完全農耕に移行するに従い、食用とされなくなっていきました。それでもヒガンバナに手を出すとき、それは飢饉の時です。特に、江戸時代には農業の転換点があり、1700年頃からサツマイモという、常食に足る美味しさを持ちながら救荒食並の収量安定が見込める農作物が入りました。こういった豊かさが遠因となりヒガンバナのような救荒食の意義が薄れてしまったとも考えられています(ヒガンバナの博物誌P94)。大して美味しくもないヒガンバナ、それも有毒とわかっているのに食べようとするのは、当時としてもかなり追い詰められた状態であろうと考えられます。身体が弱りきった状態でリコリンを大量に摂取することは、現代人の健康な成人を前提とした「致死量」では測れない、最後の一撃になった可能性はあると思います。

次に「中毒症状が派手」。これは先述のとおり、ヒガンバナを毒抜きせずに食べたときの症状がなかなか派手であることです。飢饉でやせ細った人間が、激しく嘔吐しながら痙攣していくさまは、まさに悪夢のように生存者達の脳裏に焼きついたことでしょう。ただし、少量の摂取で嘔吐することを考えると、むしろ「食べようとしたが嘔吐して食べられず、結局餓死した」例も多かったのではないかと思っています。つまり、直前に激しい中毒症状があったから生じた誤認で、結局は餓死だったこともあるのではないかということです。

3つめ「脱水による死亡」。現代においては下痢で死ぬことは稀です。しかし、体内の水分や電解質が失われる「脱水」、脱水を治療する「経口補水」「点滴」という概念は近代のものです。現代においても、下痢をしたときに経口補水液や点滴による治療を施さなければ普通に死亡します。江戸時代に猛威を振るったコレラは、その直接の死因は脱水であり、現代において致死率がほぼゼロなのは単に下痢の対症療法が確立したからです。先述のとおり、ヒガンバナを食べるのはかなり切迫した状況です。体が弱っているときに、体内の水分や塩分を根こそぎ奪ってしまう嘔吐と下痢は死に直結したでしょう(かといって吐かなければ毒で死にます)。要は中毒した時代が悪かった、といえます。

4つめ「ヒガンバナ自体がとても目立つ」。ヒガンバナは特に花としては良く目立ち、その毒性からモグラやネズミが忌避するため土手などの保護を目的とした植栽が行われてきました。特に水田周辺や堤防、墓などに意図的に植えられていました。「あの植物」と名指しできる状態で中毒事故が起これば、後々まで語り伝えられたと考えられます。

以上、4点の状況証拠、推測から、ヒガンバナはシチュエーションが悪かったために中毒の状況を実際よりもかなり悪し様に伝承されてきた、と弁護団(一人)は主張いたします。

ヒガンバナの利用

ヒガンバナはかなり怖いものとして伝えられがちでしたが、人間との良い関係について事例を挙げ、さらなる弁護をさせていただきます。

・縄文時代からの友人
・毒性ゆえに役に立つ
・人と共に

ヒガンバナは一説には縄文時代に稲作前の「半栽培段階」の植物として、中国から持ち込まれたと考えられています。縄文時代はトチの実(モチモチの木)・ドングリ・ワラビ・テンナンショウなど、アク抜き毒抜きが必要な植物をうまく利用していました。むしろ現代よりアク抜き技術が発達していたのではないかと思えるほどです。しかもヒガンバナは強い毒性からネズミなどによる食害がないため、毒抜きできる人間は食料として独り占めできたわけです。

また、田んぼの畦などを保護するために植えられることも多い植物でした。昔は土葬であったため、遺体を生めた場所をモグラやネズミや腐肉性の虫が掘り返してしまいますが、ヒガンバナを植えておくことである程度の忌避効果があったと考えられています。これが死と結びつき、「墓花」「幽霊花」などの呼称に繋がった可能性もあります。

一方でヒガンバナは移動能力が低い植物です。あれほど綺麗な花をつけるにもかかわらず種子ができないため、球根を持ち込まなければ生えることができません。これは、中国から持ち込まれたときに意図的に種子をつけない「不稔性」の株を持ち込んだと考えられており、ほぼ確実です。実は中国には種子をつける系統のヒガンバナがあり、そちらは種子をつけるために球根の太りが悪く、種子によってどんどん拡大するため意図せぬところに勝手に生えます。今日本にあるヒガンバナは、中国の数ある祖先株からほぼ単一のグループを持ち込み、そこから球根による株分けで増えたクローンなのです。数千年の間、日本人の営みの隣に常にいた、ヒガンバナの歴史に思いを馳せてみると、人間の営みがまったく小さく思えてきます。

弁論まとめ

まとめると、
・ヒガンバナの毒性は記憶に残りやすく派手だが、死ぬほどではない
・飢饉の時の中毒は毒性の参考にはならない
・餓死と混同された可能性もある
・ヒガンバナ自体は有用植物であり、うまく使えば人類の友である

以上です。


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