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感動とは何か。


はじめに


感動とは何か。何をもって感動し、それを感動と表現するのか。感動には明らかに個人差があります。一方で、感動する作品にある程度の普遍性も見て取れます。つまり、感動するものには、「結構個人差があるものの、ある程度の共通性もありそう」です。これらを素粒子のように「発見」することは無理ですが、「検証」し、それらしく「推測」することはできます。感動する作品は何を持っているのか、探ってみましょう。

なお、特に音楽は人によって嗜好が分かれるようで、本稿では考察できていません。

結論

先に結論を書きます。感動とは以下の現象を指すと考えると観察とよく一致します。

  • A、情報が脳で処理しきれないほど多い

  • B、感情が溢れて脳で処理しきれない

  • AまたはBの状態で、かつそれが不快なものではない

もっと端的に表現すると、「脳のオーバーフローでありながら不快ではない状態」を一般的に感動と表現している、と解釈します。ふわっとしているため、その原因と結果を記述することはときに困難です。

では、どのような形で感動する作品づくりができるかといえば、次のようなものが考えられます。

  • 伏線を置く

  • 逆の描写を突然ぶちこむ

  • 複数の意味を持たせる

伏線を置く」と、物語に双方向性が生まれます。例えば、けものフレンズ。第一話で出てきた紙飛行機が最終話でも出てきます。使い方も大変似ています。そうなると、最終話で紙飛行機を見ることで、自然に第一話も思い出し、そこから色々あったことも思い出し、一気に想起の洪水を起こすことができます。つまり、二つのものを「原因→結果」のように因果関係として複数配置すると、視聴者は色々思い出して情報が増えるわけです。

逆の描写」を置くと、一般的に驚きを与えることができます。これは強調に使えます。構造でいうと、鏡で写したような「鏡像」が物語に配置されることで描写されます。例えば、けものフレンズ。第一話で使った紙飛行機はかばんちゃんが飛ばしますが、故あって最終話ではサーバルちゃんが飛ばします。この意外性が、でも必然として描かれることで、視聴者は二人の旅の輝きを思い出し、涙するのです。

複数の意味を持たせる」のは、上記テクニックのように一つの場面に複数の構造を持ち込む以外に「現実との類似」を使うこともできます。上記テクニックでは、紙飛行機に原因と結果、逆の描写という二つの構造を持たせることで情報量を増やしました。さらに、例えば物語の主人公の失敗が現実にもありえるものであれば、そこからネガティブな感情やポジティブな感情を引き出すことができます。例えば、かばんちゃんにサーバルちゃんが手を差し伸べる場面では、自尊心が傷つけられたり自信をなくしている人が自身を重ねることでそこに色々な感情を想起させるわけです。

感動の定義

ウィクショナリー日本語版では「ある物事から強い印象を受けて心を動かされること。」と説明されます。

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%84%9F%E5%8B%95

僕の手元にある「明鏡国語辞典」ではもう少し具体的に、「物事に(特別な意味や価値を感じて)強く心を動かされること。また、その心持ち」とし、具体例として
・自然の美しさに感動する
・あの日の感動は決して忘れない
・感動的な場面
が挙げられています。

いずれの説明も語感としてはわかりますが、そもそも説明の前提としている「心が動く」というのはなんともふわっとしていてわかりにくいんですよね。主観的なだけでなく曖昧で、客観的に「何に感動したのか」「なぜ感動したのか」を問おうとすると途端に壁にぶち当たります。

しかしながら、感動という感覚自体が極めて主観的なものである点を踏まえると、限定的、説明的、客観的な表現ができないのも致し方ないといえばそうです。感動というものを、人間の感情の聖域として不可侵として扱うというのが正しいのかもしれません。

しかし!

こういう「謎」については、あえて空気を読まずに「観察科学的に」分析するというのも面白い。そんなKYな記事です。

感動の例

一応、いわゆる感動の作品というのは例に事欠きません。まずは、感動というものを改めて解析するために、ある程度「感動ポイント」が文章で表現できるものを挙げていきます。僕が説明できる必要があるので、知らない、見てない作品は触れません。

・グリーンマイル(1999年のアメリカ映画)
・フォレスト・ガンプ/一期一会(1994年のアメリカ映画)
・タイタニック(1997年の映画)
・容疑者Xの献身(2008年の邦画)
・レオン(1994年の映画)
・シックス・センス(1999年)
・最高の人生の見つけ方(2007年のアメリカ映画)
・けものフレンズ(2017年アニメ)
・ケムリクサ(2019年アニメ)
・ゼルダの伝説 夢を見る島(ゲーム)

書いててちょっと偏ってるな、とは思います。映画に関しては、よく感動作として挙げられている「世界の中心で愛を叫ぶ」とか「君の膵臓を食べたい」とかは見ていません。避けてるわけではないですが、単に映画を選ぶときに「感動する」を重視していないため、そして人がぎゅうぎゅうに詰まった映画館が苦手なので興行中に観にいくことがまずないためにいつの間にか見逃してしまうのが主因と思われます。

あと、意外と「感動した!」となる作品は少ないんですよ、元々。どちらかというと「ここは感動したけど、映画全体の感想は『面白かった!』だなあ」ということがとても多いんです。全体ではなく、ポイントで感動することが多いわけです。
・アルマゲドン(1998年アメリカ映画)
・サマーウォーズ(1998年アメリカ映画)
なんかは感動ポイントもありますがどっちかというと面白い。
一方、火垂るの墓(1988年)は残念ですが感動はしません。いい映画だとは思うんですが、どうしても「妹のためにプライド捨てて親戚の家に戻って働けや!」という提案が頭から離れず、常時ツッコミ状態になるからであります。

同様に、
・ディープ・インパクト(1998年アメリカ映画)
https://www.eiga-square.jp/title/deep_impact/character
はいい映画だとは思いますが感動には至りませんでした。劇中でキャスターとして情報を追いかけるジェニー・ラーナー、その父親(ジェイソン・ラーナー)と母親(ロビン・ラーナー)の関係のうち、ロビンが気の毒すぎて最後のシーンでもチラついてしまうからです。

感動の根源


僕が感動というものの根源ではないかと思っているのが、この動画です。
「ディズニーランドに行ける!」嬉しさのあまり大泣きした女の子が話題に

今も見られるので、未見の方は是非。なんというか、本当に感極まったという様子が伝わってきて、もらい泣きしそうな動画です。というかこの記事を書きながらウルッとしてしまいました。

このニュースではっきりとは言及されていませんが、以下の要素が推測できます。

・アメリカは国土が広いので、特定の施設に行くのも大変。日本でいうと海外旅行ぐらいの手間と時間とお金がかかることもある
・恐らくは、リリーちゃんはTVで見たり友達に聞いたりしてずっとディズニーランドへ行くこと自体に憧れていた
・ディズニーランドへいったら何をしたいかも考えていた
・大好きなキャラクターもいると思われる

こういった状況、彼女の頭の中にはディズニー関連、特にディズニーランドへ行くことに関連する考えや話題がいっぱいだったと思われます。ここへ、まさに彼女の中心事であった「ディズニーランドへいける」「しかもこれから」「確実にいける」という情報が入ってきたら、そりゃ6歳の女の子の脳もパニック起こすよな、と思うわけです。

感動とは一種のパニック

小さい子供の「感動」って、大人にとっての感動よりも原始的で強烈だと思うんですよ。つまり、「パニック要素」が強い。でも、本当に涙するほどの感動って、やっぱりパニックに近いと思いませんか?

少なくとも僕は、言葉も出ないほど感動したときには「とても良い・・・」しかいえませんでした。少なくともしばらく放心して、車の運転とかできる状態ではなかった。こういう視点からすれば、感動とは「処理しきれないほどの情報の過多、ただし不快ではない」という表現はそれほど間違ってはいないと思っています。

感動とは情報や感情の洪水で起こるのではないか

これは仮説ですが、感動するということを無理に記述するならば「処理しきれないほどの情報や感情が、不快ではない形で脳内に流れ込んでくる」事ではないかと考えています。

以下、僕が「感動のシーンに向けてどのように情報や感情が流れるか」拙くも書き連ねてみます。濃縮されたネタバレなので未見の方はご注意を。

グリーンマイル
は、ジョン・Coffeyの持つ優しさと、彼が持つ能力との相互作用が引き起こす恐ろしいばかりの苦痛、避けようがなかった悲劇、そのことを知っていながらスイッチを下げざるを得ない看守たち……とそれまでの伏線が一気に流れ込んできます。

フォレスト・ガンプ/一期一会
は、フォレストの苦難に満ちながらもまっすぐに進んできた人生、多くの人に恵みを与えたにも関わらず自身の一番の望みであるジェニーとなかなか結ばれなかった悲劇、つかの間の幸せ、ジェニーの悲劇、それでもフォレストに与えられた忘れ形見という人生の集約が、バス停で話し相手が切り替わるたびにきっちり意識付けられることでより強く最終場面に向けて紡がれます。

タイタニック
は、ローズの苦悩と少しずつ消え、くすみかけていたローズの魂の輝き、ジャックの一途な情熱とそれだけでは乗り越えられない階級社会の壁、階級社会の中にもある人情と確執、ローズを一人の人間として尊重し、彼女に自立して生きていくことを決心させた直後の悲劇がジャックとの別れの場面へと一度収束し、エピローグで最後に自殺するのではなく、心の代わりとして「ハート・オブ・オーシャン、碧洋の心」を投げ入れるシーン、さらにセピア色の写真のローズが自分の人生をしっかりと生き抜いたことを示すシーンへとさらに収束します。これで感動するなというのは無理な話。

容疑者Xの献身
は二面性のある作品です。感動(光)の面から言えば、途中までは数学者石神の恐ろしいまでの知能とそれに反するような覇気のなさや不気味な執着が描かれ、湯川との頭脳戦になるかと思わせます。ところが一転、彼は最初から捨て身の覚悟で花岡母娘を救うために王手をかけていたことがわかります。全ての描写は彼が母娘を救うために計算ずく、頭脳戦すらするつもりがなく、湯川は最初から負けていたことがわかります。しかしその王手には致命的な見落としがあり、それこそが石神が大切にしていた、最も魅力を感じていた花岡靖子の人間性に起因するところが悲しい、本当に悲しい悲劇として石神の慟哭とともに視聴者の心に刺さります。
 一方、感動(闇)もあります。それは、石神は既に人間として大切な部分を失ってしまっており(母娘を確実に助けるために無関係なホームレスを殺害し顔を焼くなど完全に狂っています)、そんな彼の、いわば頭脳が突出したモンスターの、人間社会とは決して相容れぬ純愛という側面は、まさに「四色問題」、つまり
「頭脳+犯罪性+」の石神
「頭脳+犯罪性ー」の湯川
「頭脳ー犯罪性ー」の花岡母娘その他多数
「頭脳ー犯罪性+」の富樫
の四タイプの人間が決して相容れなかった、数学上の難問のオマージュでもあるのです。

レオン
は殺し屋としては優秀ながら精神はごく幼く純粋なレオンと、彼の弟子兼恋人として転がり込んだ幼い精神と背伸びした性格が同居したマチルダのキャッキャウフフズドンバキューンなほんわかストーリーと、腐敗刑事の非人道ストーリーが徐々に絡み合い、やがてマチルダ自身が悲劇を引き寄せる形で最後の場面へと収束していきます。

シックス・センス
はお手本のような感動脚本といえます。マルコムの夫婦仲が冷え切り、無視され、夕食も用意されず、公然と他の男性と交際する妻を見るシーン、コールがマルコムにだけ必死に助けを求め、他人からの助力(協力)は期待していない描写、コールだけが解決できる諸々の問題、コールが引き起こす問題行動と母親とのすれ違い、そしてコールの能力を初めて母親が理解する場面、これらのシーンはマルコム自身の自己理解と彼自身の救済シーンに向けて一気に収束します。これらのシーンの収束は極めて気持ちよく、椅子ごとひっくり返りそうな、そんな感動シーンです。

最高の人生の見つけ方
は軽薄(に見え、性的に奔放な)大金持ちエドワードと、堅物な中流技術者カーターが、やりたいことリストを可能な順にこなしていく中で自分にとって本当に大切なものを見出していき、エドワードは目を背けていた本当の望みを見つけ、カーターは家族の元へ帰り、友人と接することで他人に対しての接し方が変わったエドワードが友人の遣り残したこと、やるべきだというであろうことを実行していくシーンに繋がっていきます。ちなみに、やりたいことリストの最後の一つは日本語字幕版でははっきり書かれていませんが、執事であるトマスの行動を「これは法律違反だ」とカーターがナレーションする場面描写から言って「法を犯す」がやりたいことリストに書かれていたものの、生きている間にはやらなかったことを示唆していると思っています。

けものフレンズ
は別記事を設けているので詳しくは書きませんが、1話の紙飛行機、木ノヴォリ、2話のロープ、3話の空輸、4話の溶岩、5話の穴掘りと分業(適材適所)、6話のチーム戦および二人のリーダーの信任、7話の火と副賞のマッチ、8話の声真似の活用、9話のたらい、10話の船、および各1話~11話における仲間達が11話から12話に向けて一気に収束していく脚本はまったく驚くほかのない情報の多さです。何度見ても思い溢れる、稀有な作品といえ、たつき監督と仲間達の脚本や描写周りの上手さが綺麗に体現された傑作といえます。

ケムリクサ(2019年アニメ)
は別記事を設けたいのですが、未だに全容を把握しきれないので確実な範囲でまとめます。なお、本作の前駆的作品として同人版ケムリクサが、そして前日談が「趣味のアニメ」と称して、無印話、0.5話、0.6話、0.7話、0.8話、0.9話が、後日談が「趣味のアニメ」として12.1話が公開されています。ケムリクサもけものフレンズと同じたつき監督作品です。やはりもっとも秀逸なのが脚本周り。1話の毒と語尾と死に急ぐかにみえるわかば、2話のりん葉とミドリの根の存在とりつの好きなもの、りなの好きなもの、3話のケムリクサフェチでケムリクサを(微妙に)起動でき、感覚も鋭いわかば、本体の葉についての言及、さいしょのひとの存在、ミドリの秘密、ダイダイの登場、EDによる描写、4話のりなの特性とモモイロの特性、ヌシの存在と行動変化、姉妹の怪我は場所によっては大したことないこと、りんの目の色、5話の赤い霧の拡大、他りなたちへの言及、ミドリの本来の能力、「すき」、シロの行動、6話のりくからの膨大な情報、りくの特性、いないはずの人がいる矛盾、アイちゃん、枯れた木と根、ケムリクサや最初の人への言及、分割後の私、7話のりんの本来の特性、巨大ミドリ、壁の性質、膨大なアカムシ、赤い根の性質、8話のシロの性格と核となる葉の存在、さいしょのひとの記憶、船の中での会話、シロヌシとシロムシ、船長の存在、シロムシとアカムシの関係、ダイダイに書かれていた内容、9話の新しい壁とムシ、りょうとりょくとりくの存在(意味深)、赤い木についての情報、10話のりん以外の姉妹の画策、わかばの緊縛、謎の少女の存在、これらが11話の怒涛の新展開に繋がり、一気に12話まで駆け抜けると、全てが伏線であったことに驚愕し、2周目は1周目とまったく違ったアニメとして観る事ができます。

ゼルダの伝説 夢を見る島(ゲーム)

リンクが島に流れ着いた場面からゲームはスタートします。しかしなんだか奇妙な村です。シリーズ中で勇者であるリンクは、島内の店で万引き(!?)ができ、しかも次回来店時には店主に誅殺されます。NPCと思っていたワンワンは飼い犬にできるし、ニワトリが世界最強です。さらに島民はときどきプレーヤー視点のいわゆるメタ発言をしてくるし、なんだか島というシステムからも嫌われているみたい……。にも関わらず、島の住人であるマリンはしばしば世話を焼いてくれ、ふたりともちょっといい感じに。しかしプレーヤーが感じていた違和感はやがて一つの残酷な真実へと繋がっていきます。それは、人々を守る存在であったリンクが、助けようとした人々が、思いもよらない形で対立してしまう皮肉な悲劇。

感動ポイントは成長と共に変化する、かも


感動ポイントは恐らく人生経験によって変化し続けます。例えば、若い頃にはただヒーローが命をかけて市民を守るだけで(悪く言えばお涙頂戴レベルでも)感動します。一方で、人生経験を積むと、人の苦労や哀しみ、辛酸の味がわかるようになり、なんでもないような人の人生の一幕にじーんときたりする一方、あまりに露骨なお涙頂戴には拒否感を持つ場合も見受けられます。

また、いじめ経験や仲間はずれ経験は、経験した人にしかわからない痛みや本能的な恐ろしさがあるため、感動描写に入れると賛否両論になりやすい傾向があります。

感動ポイントの構築の難しさは、結局このさじ加減ではないかと思います。やりすぎれば食あたりを起こし、足りなければ誰の心も動かさない。さらに、「一般的な観客の感性」をわかっていなければ、あらぬ反発を招きかねません。感動の物語を作るには、これらの条件を満たすように脚本を構築しながら、その描写の濃淡にもしっかり気を配り、なおかつ誤解されないように脚本と演出をあわせる必要がある。これこそが監督の仕事であり、映像作品で監督が重要視される所以であろうと思います。


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