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感染症と差別 ~差別を考えるシリーズ~


差別とは何か、どうやったらなくせるのかというテーマでしばらく連作します。

今回は、「差別」の基準は時と場所によって変化するという点を考えてみます。例として、「コレラ」の感染症について考えてみましょう。コレラ患者を隔離することは、”常に”差別となるでしょうか?

全体を通していいたいこと

絶対的な差別の基準など存在しない。
不当であること = 差別であるとは限らない

このことが言いたいために記事を書きました。

コレラの性質

コレラはきわめて感染力の強い細菌の一種で、一旦流行が始まると、大抵は万単位の死者を出す恐ろしい感染症の原因菌です。一方で、コレラの致死性は正しい対処によって劇的に抑えられます。何も対処しなければ、コレラの致死率は9割に達することもある一方、先進国では、病院にかかることができれば致死率は1%以下(日本で死ぬことはまずない)という興味深い細菌です。

注目に値するのは、コレラは感染症の中でも最も早く科学的な予防法が研究され、それなりの成果があった感染症である点でしょう。記録上世界初の疫学的調査により、コレラ菌も未発見で治療法も未発見な状態でありながら、予防法だけはそれなりに確立したのです。それは、特定の井戸の水を飲まない、というもので、最も古典的な患者の隔離という方法と並んで感染の抑止にいくらか貢献しました。

なお、コレラは空気感染はしませんが、患者の下痢からは感染しますし、看病しているときに下痢の微小な粒子が空中を舞うため、防護無しの看護者・同室者にとっては空気感染に近い感染力があります。また、患者の便が土地の水源を汚染すれば感染はどんどん広がります。従って、他の感染症と同じく、何らかの方法で患者との接触を断つというのが古代から今に至るまで効果的な手段でした。一部の事例では、集落ごと、村ごと焼き払うという強硬手段もあったようです。

コレラとの戦いの歴史

コレラ患者をどのように扱うか、その歴史上の変遷は大きく3つの段階に分けることができます。

第一段階は治療法も予防法もなく、災禍を逃れるためには手段を選べない時代。魔術も使う。

第二段階はある程度予防法について見当がついていく時代(例えば、焼き払わなくても良い)。

第三段階は治療法も確立し、不治の病ではなくなっていく時代。

不治の不明の病(第一段階)

第一段階は、コレラは全く未知の災害です。突然起こり、大量の使者を出して収まります。運がよければ助かりますが、致死率は90%。防ぐ方法はおろか、他の感染症との区別もつきませんから、時には鬼とか悪魔とか死神的な擬人化がなされることも。平常時はとても想像できない状況ですが、新型コロナウイルスが流行している現代では、ある程度の実感を持って想像できるのではないでしょうか。

この時代において、患者を「差別した」なんていっていられる状態ではありません。死病が流行っているときに、明らかに死病と思しき感染症を患っている人が市役所のエントランスで咳き込んでたら、どうですか? 積極的に自分で攻撃しなくても、市役所の職員が追い出してくれたら、心底ほっとするのではないでしょうか。

何もかも不明なので、対策はめちゃくちゃになります。神に祈るだけなら役に立たないだけで済みますが、最も極端な対策としては「患者を殺めてしまう」というのも選択肢に上がります。とにかく助かるためには迷信もひっくるめて様々な対策がとられます。その多くは、平時であれば「道徳的な問題」を指摘されるでしょう。

もちろん死病患者であっても、道徳的には助けるのが最良かもしれません。でも、自分の命を、それだけじゃなく家族や友人の命も危険に晒すのに、助けるのが正しいのでしょうか?結論は一旦保留します。

予防はできるかもしれない病(第二段階)

予防をするためには、まず感染症を特定できるだけの知識が必要です。コレラに「コレラ」という名前がつけられ、その症状やリスクのある行動が明らかになっていきます。コレラに関しては、水がまず最も危険です。少なくとも、患者が発生した地域の水は飲用にすべきではありません。

一方で、先に書いたようにコレラの近隣における感染力は高く、予防法がわかっていてもマスク等の防護装備が未熟であればやはり感染します。そして、やはり治療法は発見されていません。運よく助かることを祈るしかないのです。すなわち、患者を一箇所に集めるか自宅に隔離し、可能なら必要なものを差し入れるというのが一般的です。

妥協点は「積極的に殺しはしないけれど、治るまでは集団から離れていてね」というところに落ち着かせています。

これも差別だと断ずるのは難しいでしょう。ただし、不当であるとの見方はできます。隔離される側が、隔離は不当で人権侵害だと言い出したら、反論などできません。確かに人権侵害だからです。つまり、「差別ではないかもしれないが不当であるとは言える」状態です。ただ、集団を守る上で、ある程度の人権侵害を受け入れざるを得ない、あるいは受け入れてもらわざるを得ない状態です。

治療も予防もできる病(第三段階)

最終的に、ペニシリンなどの抗生物質が実用化され、コレラ菌を殺菌できるようになってコレラは死病ではなくなります。加えて、コレラ感染の死因が明らかになり、有効な治療と感染対策がなされる時代です。コレラの直接的な死因は、コレラ毒素ではありません。脱水と塩分欠乏です。現代で言えば、点滴ができればほぼ助かりますし、経口補水液を大量に準備できれば高い確率で助かります。

コレラ船は大体2.5段階

1946年の春に、いわゆる「コレラ船」事件が発生しました。コレラ船とは、主に南方から引き上げてきた戦後引き上げ者の船内でコレラが発生し、最大40日間の隔離が行われた事件です。日本の敗戦が1945年9月ですから、当時の日本は満身創痍でした。そして、感染症の対策的には、「コレラの潜伏期間、主要感染経路は判明しているが、現代ほどに有効な治療法は知られておらず、抗生物質も高価で試す余裕もなかった」という時代です。一方で、当時においても潜伏期間は5日と判明しており、5日より少し多めに隔離すればよいことはわかっていました。しかし、アメリカ占領軍は異常なほどの慎重策をとり、14日もの隔離期間を設定し、変更しませんでした。そして新規感染が出るたびに隔離期間を延長し、40日もの長期隔離となってしまったと記録されています。ちなみに、日本に輸液(経口補水液)の知見がもたらされ、大塚製薬が研究を始めたのが1946年ですから、当時の日本にはコレラ治療の知識はなかったと言えます(*注1)。

まとめると、

・コレラと診断する知識はあった
・治療法についてはほとんど周知されていなかった
・潜伏期間は長くて5日程度と知られていた
・当時としても長い14日の隔離が行われていた
・社会・人間ともに弱りきっていた日本にとって、コレラは脅威だった

ということになります。

現代の知見からすれば40日間の船上隔離は不要で、かつ非人道的な扱いです。つまり、現代の人間が現代の装備を想定して現代の感覚で当時の人たちを評価すれば、40日間の船上隔離は「差別的扱い」です。実際、当時からここまで徹底的に隔離する必要はあったのか議論はありました。隔離はアメリカ主導で行われ、日本側は隔離期間の短縮を求めていたようです。

ですが、当時の日本がおかれていた状況から言うと違った見方ができます。まず、戦後すぐの日本では栄養不良で体力の低下した民衆が大半であり、感染症リスクは大変高いものでした。インフラも破壊され、清潔な施設とそうでない施設の落差も激しい。加えて、唯一の抗生物質ペニシリンは極めて高価な医薬品(*注2)であり、さらに世界中で傷ついた人があふれていたこの時代に入手するのは至難でした。当然、感染拡大を抑えるためにペニシリンを当てにすることはできません。

また、インフラも破壊され医療施設も欠乏し、情報通信も十分ではなく知識の共有が難しかったこと、隔離や治療を行う人員の不足、また戦後処理に忙殺される政府、といった悪い条件が重なっていました。さらに、占領軍はコレラ患者が自軍に発生することを恐れていたとも言われており、その占領軍が最高指揮権を持っていたことも事態を混迷させた一因と考えられます。

1946年当時の、「知識」「物資」を考え合わせると、コレラ船の事件は十分に正当ではありませんが、かといって糾弾されるほど不当な差別的扱いであったかというとそうも言い切れない、グレーな状態といってよいと思います。もちろん、平時であれば少なくとも地域を限定して上陸を許可し、陸地での治療が望ましいことは言うまでもないことです。

この意見を不当だと思いますか? しかし、現在のコロナ対策を考えると、「危険な感染症に対しての対策は難しく、しばしば人権を侵害しがちである」という事実は今も変わっていないと思います。我々に可能なのは、「なるべく人権に配慮しつつ、社会全体の損失とのバランスを考えながら、よい方法があれば適宜採用していく」ことくらいだと思います。

差別かどうかは時代によって変わる

このように、特定の事象を現代の価値観だけで批評することはそれこそ不当です。当時の人たちにとっては、当時の知識と物資、そして価値観でもって可能な対処をしたのであって、それを現代の価値観で高みから見下ろすように「差別だ!」と糾弾することこそ不当で、ある種の差別とすらいえます。

大切なのは、その時代においてベストを尽くしたか、せめて当時の価値観で人倫にもとる行為ではなかったかを評価することです。後知恵で文句をつけるのは誰でもできますし、文句をつけると自分が偉くなったように感じますが、そのような幼稚な姿勢はせいぜい中学生くらいまでにしてほしいと思います。

絶対的な差別の基準など存在しない

これが今回言いたかったことです。差別はなくなって欲しいものですが、差別をなくす万能の薬も基準も聖杯もありはしません。どんなにベストを尽くしても、将来間違いであったと判明することもあるのです。

だからこそ、差別であるかどうかの判断基準は常に努力して更新しつづけ、考え続ける必要があります。「これをしたら差別」「こういう単語をつかったら差別」といったあまりに単純な基準は、差別の本質をぼかし、考えを放棄することに繋がりかねません。単純な基準、単純なルールは差別という言葉を用いた逆差別にもなりうるというのが僕の見解です。

*注1
日本においては、1858年(安政5年)頃に発生したコレラ大流行において、矢田淳が恐らくは経口補水を、緒方洪庵は静脈点滴をそれぞれ用いて患者治療に当たっている。ただし、これらの知識が後に十分に生かされたとはいえず、また船上での治療はどの道困難であったと思われる。

*注2
そもそも腸感染のコレラにペニシリンが効くのか、どれだけ投与すべきかの情報もありません。現代では重症患者にのみ、ペニシリンではない抗生物質が投与されます。前述の通り、抗生物質より先にやることがあります。

【引用・参考文献】
・ マイケル・ラルゴ著、橘明美 監訳(2012)「死因百科」
・ トニー・ハート著、中込 治 訳(2006)「恐怖の病原体図鑑」
・ アダム・クチャルスキー著(2021)「感染の法則」

【参考資料】
日本における食塩水皮下注入から静脈内持続点滴注入法の定着までの歩み
http://jsmh.umin.jp/journal/58-4/58-4_437-455.pdf

輸液の歴史
https://www.otsukakj.jp/healthcare/iv/history/

第7回「コレラ」―激しい脱水症状
https://www.eiken.co.jp/uploads/modern_media/literature/MM1606_06.pdf


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