見出し画像

生い立ちstory【vol.3】どん底!育児ノイローゼ時代

♦︎看護師ママが伝える「生」教育
♦︎Beauty Japan近江大会2024ファイナリスト
はらいゆかです。

私が自分の事業を通して手助けしたい人は
「ママと子どもたち」です

今回、BeautyJapanでは「育児中のママ」
に向けて、まずはママが健康に自分らしく
生きることの重要性について
性教育を伝える「生」教育アドバイザーとして
伝えさせていただいております!

子どもに伝える前に、まずはママ自身が
「心身を大切に自分らしく生きて!」

私自身が育児ノイローゼで
どん底になった経験があるからこそ

ママが健康に安心して自分らしく暮らせること
自分で自分にまる◯できること
が何よりも重要だと感じています。

性教育を学ぼう、伝えようと思えたのも
今こうして事業をしていることも
全ては私自身が「母」になったことからでした。

生い立ちstory【Vol.3】完結編として
「子ども」「育児」について綴ります。

▼プロフィール


▼生い立ちstory【Vol.1】【Vol.2】はこちら


◼︎切迫流産から始まった妊娠生活

夫と3年間の遠距離恋愛を実らせた私は
看護師を退職し、香川県に嫁いだ。

思いの外すぐに娘を授かることができたので
再就職することもなく
初めての妊娠生活が始まった。

喜んだのも束の間ー..
出血があり受診すると、切迫流産と診断され
絶対安静を言い渡された。

家にいると動いてしまうので
夫の実家でお世話になることになった。

絶対安静を守るしか方法はないと言われ
お風呂にも入れない
ご飯とトイレ以外は寝たきりの生活が始まった。

不安で不安で仕方ないし
お腹の痛みやトイレに行くたびに
出血していないか恐怖だった。

小さな命がどうか無事に育ってくれるようにと
つわりと闘いながら安静を守り、祈り続けた。

とにかく匂いに敏感になるつわりで
唯一大丈夫だったグレープフルーツとキウイ
を食べて生き延びていたと思う。

そんな時期に、にんにくを食べて帰宅した夫に
マジギレしたことは忘れることはない。(笑)

週に一回、美容室でしてもらう洗髪が
どれほど気持ちよかったことかー..
患者さんの気持ちが痛いほど分かった。

何とか無事に経過していったが
中期にも一度出血して
人生で初めての入院も経験した。

そんな苦労の多い妊娠生活だったが
お産は破水から始まり、あれよあれよと進み
初産なのに4時間のお産だった。

誰もこんなに早く進むと思っていなかったし
私も初めてで加減が分からなかったので
「これがあと何十時間も続いたら死ぬかも...」
あまりの寒気と痛みでナースコールを押したら
「もう開いてる!車椅子ですぐ分娩室に移動!」
と指示が飛んでバタバタバターっと
している間に生まれてきてくれた。

我が子に触れたあの瞬間ー..
何とも言い表せない幸せな気持ちで溢れた。


◼︎初めての育児は孤独だった

里帰り出産だったので
1ヶ月検診が終わる頃までは実家で
快適な暮らしをさせてもらった。

その後、夫の待つ香川県に帰ります。

この頃の私は、我が子が可愛くて仕方がない!
NICU/GCUで働いていたこともあって
「赤ちゃんのことなら任せなさい!」と
言わんばかりにテキパキと張り切っていた。

しかし、これが大きなミス!!!

自分が何の戸惑いもなく動けてしまうので
夫に「赤ちゃんのことはプロに任せたらいい」
と思わせてしまうことにー..

夫に育児参加してもらえるように
2人で育児ができるように
もっと働きかけなくてはいけなかったと
大後悔していることの一つだ。

私なら大丈夫だと思わせてしまったし
何となく私の中にも、夫の中にも
「基本的に育児は女性が担う」
という古い価値観があったと思う。

この時点で我が家は
「夫婦で育児をする」ということが
難しくなっていた。

はじめの頃はこの調子でいけたが
・何をしても寝ない夜
・突然始まった激しい夜泣き
・抱っこじゃないと泣く
・思うように授乳が進まない
・積み上がる寝不足
で、だんだんと私の気持ちは不安定になる。

何でこんなに泣いてるのに起きないの!?
私も寝たい!あなただけ寝てずるい!
私も外に出たい!飲み会ってー..はぁ!?
2人の子どもやろ!?
何にも手伝ってくれへんやん!

夫への不満が大爆発!!!

そしてついには
いい加減に寝てよ!早くミルク飲んでよ!
と、娘にまでイライラしてくる始末。

産後数ヶ月で私の心身は
ボロボロになっていった。

孫に会いたくて義母が数回来てくれたが
それも当時の私にとっては苦痛で

断れへんやん...私も昼寝したかったのに。
パジャマから着替えなあかんやん。
もう、来ないでーーー!!!
といった心情だった。

今では夫以上に好きかもしれない義母なのだが
産後のメンタルは本当にめちゃくちゃだった。

それでも、家族も友達も近くにいない中で
私は必死に頑張った。

頑張って頑張って家事に育児に奮闘した。

家のことができてなかったら
夫にダメなやつって思われるんじゃないか?
ずっと家にいたのに一日何してたんだろう私?
自分がダメダメな人間に思えた。

お友達でも作れたらいいなと
支援センターにも出向いてみた。

しかし、田舎で子どもも少なかったので
もう既にお互い地元同士で知り合いの人が多く
人見知りの私は入っていけなかった。

産後の新生児訪問もあったが
残念ながら助産師さんと合わなかった。

助産師さんの経験談や意見を押し付けられて
もっとこうしないと!と言われて傷ついた。

抱き癖がつくとかやっぱり母乳よ!とか
それ、何年前の育児情報なん?という程に
専門職としての知識も
アップデートされていなかった。

私はたまたまNICU/GCUを経験して
すぐに出産したから知識や経験があったけれど
もしこれが一般のママだったら
助産師さんに言われたことが全てで
情報の取捨選択が難しいのではないかと感じた。

乳腺炎で産婦人科を受診した時にも
「あ〜これぐらい大丈夫!
さっきの人の方が酷かったよ」
と言われ、すごく痛くて辛くて受診しているのに
否定されたようでとても悲しかった。

本当にこの人は医療職なのか!?
本人の訴えを他の患者と比較することなのか!?

病院や新生児訪問での経緯もあり
同じ医療職への不信感も募らせていった。

家族、友人、医療
どこにも拠り所がなくて
本当に本当に孤独な育児をしていた。

時にはイライラすることもあったが
産後すぐに取得したベビーマッサージをする
時間だけは本当に心穏やかに過ごせた。

娘の成長に伴って、沢山お話ししてくれたり
笑顔を見せてくれるようになったことで
意思の疎通が取れるようになり
私にとって逆に娘の存在、共に過ごす時間が
唯一の癒しになっていった。

こうして1度目のガタ落ちメンタルを乗り越え
少し気持ちの余裕が出てきたころ
第二子を授かった。

心配していた初期は安定していたのだが
まさかの糖負荷試験に引っかかり
軽度の妊娠糖尿病と診断される。

つわりでほぼ何も食べてなかったのになぜ?
ショックで自分を責めた。

新生児低血糖の赤ちゃんを見てきたから
イメージが湧きすぎて余計に辛かった。

そこから、何としても元気に産んであげたい!
私の糖質コントロールや食に関する学びが
始まっていった。

同時期に、長女が一歳半を迎え
自我が芽生えてきて何でもやりたい!嫌!
自分の気持ちをぶつけてくるようになった。

喜ばしい成長である反面
こちらがどれだけ頑張っても、注意しても
コントロールできない事態が次々に起こる。

それに対応しながらつわりと闘い
妊娠糖尿病の不安も相まって
ある日プツンと心の糸が切れた気がした。

もう嫌だ。全て嫌だ。
何でこんな人生なんだろう...

こんなママでごめんね。
私なんかが2人のママだなんて無理だ。
育てられないよ...
私はママになんてなっちゃいけなかった。
無責任にママになってごめんなさい。
私がママだと子どもを不幸にしてしまう。
消えたいー..私に価値なんてない。

そんな想いが頭から消えなかった。

そんな状況でも、ふと自分のことを
看護師目線で客観的に見る冷静な自分もいて
これは本気でやばいぞと感じていた。

このまま人生終わらせて本当にいいのか?
可愛い娘の成長を見たくないのか?
まだ経験してないことが沢山あるんじゃない?
生きたくても生きれなかった人がいるんだよ?

そんな心の声が聞こえてきて
藁にもすがる思いで育児や心理の学びを始めた。


◼︎もうダメ...どん底でカウンセリングへ

そんなボロボロの私にも希望の光が差し込んだ。

2019年10月。長女1歳8ヶ月の頃
たまたま見ていたInstagramで
「子育てママ専門カウンセラー」を見つけた。

その方の投稿を見ていくと
私の気持ちを代弁してくれる投稿ばかり!

何でそんなに私のこと分かるの!?
と、引き込まれていった。

そして、オンラインでカウンセリングを
募集されると知り、藁にもすがる思いで
勇気を出して申し込んだ。

騙されてるんじゃない?大丈夫かな?
そんな不安もあったが
それよりも現状が少しでも良くなることへの
期待感の方が大きかった。

自宅保育していたので
このカウンセリングを受けるために
初めて近所の保育園の一時利用を申し込み
お金を支払って自分1人の時間を作った。

仕事をしていない私が自分のためにお金を使って
1人の時間を買うだなんてー..

子どもは離れるときに大泣きするだろうし
ここまでしてカウンセリングを受けるべきかー..

罪悪感に襲われ、悩んだが
育児が辛いなんて話を隣で子どもに
聞かせられないと思い決行することにした。

これも今思い返せば
自分が変わる大きな一歩だった。

「有加さんって怒ることあるんですか?」
「理想のママって感じです。」
「いつも優しいですよね。」

なんて言っていただけることが多いのですが
私は「怒り」の感情が一番出やすい。

普通にめちゃくちゃ怒ります。
割と溜めてから爆発させてしまいますww

普段仕事や人との関わりにおいては
そんなにイライラすることがないのに
なぜだか目の前の娘の言動に対しては
めちゃくちゃ腹が立って
瞬間湯沸かし器のように爆発してしまう。

一つの原因として
幼少期に怖い・悲しいといった一次感情を
出せずに押さえつけてきたからだと
カウンセリングを受け
心の仕組みを学んで初めて知った。

また、ずーっと自分に厳しく生きてきた中で
たくさんのマイルールを作ってしまっていた。

・父親に怒られてばかりで嫌だったから
 私は子どもに怒ってはいけない

・イライラする両親の姿を見るのが辛かったから
 私は子どもにイライラしちゃいけない

・身体に悪いから手作りのご飯作らなくちゃ

それがいいお母さんなんだと思い込んでいた。

禁止すればするほどそっちにフォーカス
してしまうとカウンセラーさんに言われ
ハッとしたことを覚えている。

何よりも目から鱗だった言葉が
「喜怒哀楽すべての感情があってこその人生」

すべての感情があって当たり前!
怒っていい、泣いていい、悲しんでいい!

そう言われて大号泣した記憶がある。
そうか、いいのか!
そんな自分がいてもおかしくないんだと思えた。

怒られてばかりで悲しかった。
泣いたら泣くな!って怒られて悲しかった。

幼かった頃の私の気持ちを思い出して
ようやくそれを言葉にしてあげることができた。

カウンセリングを受ける中で
沢山のギフトと魔法の言葉をいただいた。

自分の本当の素直な気持ち、考え方の癖、
そして「自分を大切にする」ことを学んだ。

自分に優しくする、大切にする
そんな発想これまでの私には皆無だった。

今でこそ好きなことを見つけて
それをより多くの人に伝えたいと
希望を持って生きることができているが
当時、5年前までの私は

・好きなものは何ですか?
・どんなことにワクワクしますか?

と、カウンセリングで質問された際に
自分の好きなこと、喜ぶことが全く思い浮かばず
自分への関心の薄さに衝撃を受けた。

ママだから○○はできない
お金がないから○○はできない
私はあの人と違って○○だからダメ

今あることには何ひとつ目もくれず
ひたすら「ない」に目を向けていたので
素直に好き、やりたいという願望さえも
口にすることができなかった。

そこから、「今」私はどうしたい?

・お昼ご飯に何を食べたいのか?
▷私が食べたいものを食べていい!

・トイレに行きたいけど子どもが泣いてる!
▷声をかけて待っててもらいまずはトイレに行く

こうした日々の小さな選択一つ一つを
丁寧に優しく選び取るように意識し始めた。

今日はご飯作りたくないからお惣菜にする!
など、やりたくないこともやめていった。

自分が更にポンコツになっていく感じがして
とても怖かったけど、どん底だったからこそ
素直に実践し、今までしなかった選択をした。

▼これは、実際に私が貰った「魔法の言葉」

♦︎もう頑張らなくていい!我慢しなくていい!
♦︎自分の気持ちを伝えてもいい!
♦︎どんな私も愛される!
♦︎私が幸せだとみんなも幸せ!
♦︎やりたいことやればやるほど愛される!
♦︎イライラしてもいい!
♦︎元気に一日過ごせただけで花丸◎
♦︎娘がイヤイヤ期を出せているということは
 私の子育ては大成功!
♦︎感情を出せることは素晴らしい!
 喜びが大きい人は怒りや悲しみも大きい


これを唱えながら、自分の気持ちを丁寧に観察し
時にはドキドキするようなことにもチャレンジし
コツコツ自分と向き合い続けていった。


◼︎性教育との出会い

カウンセリングを通して新たな視点を手に入れ
生まれ変わった気持ちで日々を過ごす中
性教育もやってみたかったことの一つだと
思い出すことができた。

性教育は小さいうちからした方がいい!
防犯にもなる!
という記事を読んだことがあって興味があった。

生い立ちVol.1→2でも触れたように
・背が高いことで嫌な思いをした経験
・親から強く怒られて性の話をタブーとした経験
・性被害に遭った経験
などもあって、絶対娘には伝えたいことだった。

学んでみると、ものすごく深い学びで
どんどん性教育にのめり込んでいった。

ただ、この時は我が子に伝えることが目的で
講師になる未来なんて予想もしなかった。

長女が1歳の時に学び、伝え始め
次女が無事に産まれてきてくれてからは
2人に対して日々学んだことを伝え続けた。


◼︎深まる学び、芽生えた希望


育児ノイローゼになったことをキッカケに
1人のカウンセラーさんと出会い
自分と初めて深く向き合ったことで
私は少しずつ自分を取り戻し始めた私。

性を学び・実践し続ける中で

・正しい知識を手渡すことは
 子どもを信頼し、見守る心の余裕に繋がること

・自分を知って、自分を大切に出来るからこそ
 相手の権利も侵さないでいられるし
 互いを認め合い、尊重することが出来る

のだと、性教育を通して体感した。

全て親が正しいなんてことは絶対にないし
親の思い通りになんてなるわけがない!

むしろ、子どもを変えてはいけないんだ。

自分の気持ちを怒りではなくきちんと伝える

子どもの気持ちを否定せず最後まで一旦聞く

そんな当たり前にも思えるようなことを
私は性教育から教えてもらった。

とは言え、一方的に怒ってしまうこともある。
私の問題をぶつけてしまう時もある。

いいことではないのかもしれないけれど
私もまだまだ未熟な31歳、母親6年目の人間。

そんな自分に対して必要以上に責めることは
しないようになってきたなと感じている。

非を認めて後から必ず謝るようにしている。

そしてその何倍も、
あなたが大好き!大切!宝物!
本当に生まれてきてくれてありがとう!
の気持ちを伝えるようにしている。

いい育児ができているなんて1mmも思わない。
自信なんてない。
育児が得意ではないと思う。
今の方が癇癪の激しい次女に手を焼く日々だ。

それでも、等身大の私で誠心誠意
子どもたちと向き合えているとは思う。

何が正しいかなんて分からないけれど
「生」教育を通して
何でも話し合える親子関係を
今のところは築けているように思う。

何よりも、私が自分に◯をあげられている。
自分の存在を自分で大切に思えている。
どんな自分も自分なんだと受け入れられている。

だから、今が一番楽しくて幸せだし
自分の人生を自分で選択して生きている
実感を生まれて初めて持てています♡

「ママに話して良かった♡」
「ママ大好き♡」
娘に言われたこの言葉も本当に嬉しかった。

また、育児だけではなく人間関係においても
素敵な方と次々に出会えるようになり
自立した心地よく対等な関係性を結べるように
なってきたのは、間違いなく性教育のお陰。

そんな素晴らしい性教育なのだが
子どもたちが保育園に行くようになって
色んな話を聞かせてくれるようになってから
我が子にだけ伝えていてもダメかもー..?
という想いが強くなっていった。


◼︎引越しという転機

2023年まで私は香川県に住んでいた。

子どもが1歳、3歳になったタイミングで
保育園に預けて社会復帰した。

この頃は、看護師として9:00〜16:00まで
平日はみっちりと仕事をしていた。

朝やっとの思いで子どもたちを送り届けて
ヘトヘトになって働いて
帰宅したらワンオペで慌ただしく家事をする。

コロナ、そして仕事と育児に追われる日々に
嫌気がさしていた頃だった。

私にとっての幸せって何だろう?
バタバタガミガミこんな風に過ごしたいの?
本当にやりたいことって何なんだろう?
ずっとこの生活を続けていくの?
自問自答を繰り返していた。

すぐに何かしようというわけではなかったが
オンラインも普及してきて
周囲で個人事業主として活躍する友人を見て
何となくいずれ自分の好きなことを
仕事にできたらいいなと夢を抱き始めていた。

看護師の仕事は好きだったが
育児と家事と仕事のバランスが難しかった。

神経をすり減らして働く日々に疲れ果て
子どもが体調不良でも休み辛く、肩身が狭いー..

子どもとの時間を何より大切にしたい!
だけど、私は仕事がしたい!
そんな想いからいい働き方はないかという
模索を続けていった。

たまたま2023年、夫の仕事の都合で
滋賀県に戻って来れることが決まった!

本当に嬉しかった♡
6年間頑張ってきたご褒美だと思った。

そして、これもたまたま!

引越し先が待機児童日本一という
保育園入所激戦区だったこともあり
お迎えの早い幼稚園に通わなくては
ならないことになった。

こんな経緯があり、この引越しを機に
私は思い切って看護師を退職し
やってみたかったフリーランスという働き方で
性教育講師としての活動を0から始めた。


幼少期、そしてどん底時代から今日まで
私がどのように人生を切り拓いてきたかという
長い長い生い立ちストーリーこれにて完結です!

もし、ここまで読んでくださった方がいたら
本当にありがとうございました。

そして、おめでとうございます!

ここまで読んでくださったあなたは
誰よりも私のことを深く、詳しく
知ってくださることになりました(笑)

誰にも言葉で伝えたことのない私の黒歴史も
短所も本音も包み隠さずに書きました。

こんな私で生きていく!
そんな覚悟を持って書き記しました。

過去の私と同じような気持ちを抱える
誰かのお役に立てることがあるかもー..
そんな想いもあります。

Beauty Japanが無ければ
こんなに苦しい過去に向き合うこともなかった。

こんな風に向き合うキッカケ、環境に
恵まれたことに心から感謝しています。

今回、Beauty Japanで育児中のママに
想いを伝える上で、どうしてもこの記事は
書き終えないといけないと思いました。

こんな過去を乗り越えてきた私が伝える
「性」と「生」のお話。

一人一人が自分らしさを大切に
誰もが自分の存在を大切に思える社会をつくる!

生きることにフォーカスした「生」教育を
これからも沢山の方に届けていきます!

是非、応援して頂けたら嬉しいです♡
今後とも宜しくお願い致します。

2024.5.31  はらいゆか

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?