鶏が鳴き、都電が走り、住民が銀杏を拾ったまち・神田 -写真と語りから浮かぶまちの記憶-
(文=まもる)
突然ですが問題です。
この写真は、どこの写真でしょう?
こちらは昭和33年(1958年)の東京都千代田区に位置する皇居の一部です。
写真左下の、三角になっている場所の大木は、関東大震災を耐え抜いたと言われる震災イチョウです。
そこから道路を跨いだ先にある、3つ並んだ長い建物は、コロナ禍でワクチンの大規模接種会場となった場所です。
ちなみに、写真が撮影された昭和33年には、特急こだまの登場をはじめ、ミスタージャイアンツの長嶋茂雄氏がプロデビュー、東京タワーの完成、子どもたちの間ではフラフープがブームになっていたようです。聖徳太子が印刷された一万円札が「新・一万円札」として発行されたのもこの頃です。
今私たちが生きている神田も、長いまちの歴史の一つの側面です。今回の記事では、神田に住んできた人の語りと昔の写真から、今とは違った神田の姿を見てみます。
そう語るのは、昭和18年(1943年)生まれの坂田さん(仮名)。
坂田さん家族は明治時代から神田で商売をしていた。第二次世界大戦中、まだ「幼子」だった坂田さんは地方へ疎開しており、神田の自宅は昭和20年2月の空襲で焼失したという。
終戦後、実家が建ったと報告を受けた坂田さん家族。坂田さんは、祖母に背負われながら神田に戻ってきた。
坂田さんが住んでいた地域では、印刷や製本など本に関連した工場が多かった。1階は工場で2階が住宅という、職住一体の形態をとっていた家がよくあったという。
坂田さん家族は、家の敷地内で鶏を何匹か飼育し、小松菜も育てていた。坂田さんが住んでいた地域には、旅館や豆腐屋、乾物屋、魚屋、肉屋、八百屋など、多種多様な商店が軒を連ねていた。
また、坂田さんの自宅の前ではキャッチボールをしている子どもたちもいたらしい。たまにガラスを割ってしまう子がいたためなのか、ガラス屋さんもあったとか。
と、坂田さんは語っていた。
そう語るのは、今も神田で飲食店を営む石川(仮名)さん。石川さんと坂田さんは2歳違いである。
都電は終戦後から都民の足として、東京の交通を支えていた。最盛期には41路線も存在した都電は、現在、三ノ輪橋から早稲田の間の12.2kmを荒川線が走行しているのみである。
坂田さんと石川さんは都電を使って、中高へ通っていたらしい。
石川さん家族が営むお店は神田の人気店。当時は出前の数も多く、石川さん家族と「若い衆」が、常時16, 7人でお店を切り盛りしていたという。
石川さんの自宅から都電の駅までにある通りには、イチョウの木々が今なお植えられている。
みんなで銀杏を拾って、それをみんなで食べる。まちも綺麗になる。まさに一石二鳥だ。
当時の二万円というと、今だと一体いくらなんだろう?
この記事を読んでくださっている方は、今秋の銀杏を拾いに行く計画を立てている頃だろう。
南明座とは、神田で営業していた映画館のことである。
この他にも、日活や松竹系などの映画館が、神田で営業していたという。
当時は映画のチケットが、新聞の集金に来た方々によって配られていたという。そのため、石川さんは小学校が休みの日曜日によく行っていたらしい。私の両親も、幼少期の頃は映画によく行っていたそうだ。
石川さんはお店の「若い衆」たちと、私の祖父が始めた稲荷湯へ来ていた。石川さんが営むお店の近くにある銭湯よりも比較的広かった稲荷湯は、仕事終わりに大勢で入浴するには都合が良かったのだろう。
当時の稲荷湯は、日を跨いで12時半頃まで営業していた。
1日の疲れを風呂で流してから、食事を摂って、寝床につき、次の仕事へ備える。そういうルーティーンが出来上がっていたのだろう。
石川さん御一行は、多い時には23人で来ていたらしい。
30年前の11時台は、さぞ賑やかだった事だろう。祖母も、石川さんたちと結んだ約束を楽しみにしてたのだろうなぁ。
昔からある建物やお店はテレビで特集されることもありますが、普通の家や沿道に植えられた木にも、それぞれに色々な人の思い出が詰まっています。そうした記憶はお金に変えられない価値がある、と私は思います。
私自身、神田で生まれ育っているのに、全く知らないまちの姿がお二人の話から浮かび上がってきました。昔の神田の話を聴いているのに、私にとってどのお話もとても新鮮で、その時代を生きていないのに、なぜか懐かしさを覚えました。
地域の図書館には、郷土資料として昔の写真を掲載している本や雑誌が多くあると思います。最近では移動の制限が緩和されてきており、帰省もしやすくなったと思います。様々な方法で、色々なひとが見てきたまちの歴史を知ることができるでしょう。
みなさんも、身近な人にふらっと、昔のことを聞いてみるのはいかがでしょうか?
お風呂で話を聞く際には、のぼせないようにご注意ください。
私は、人に話を聴き、昔の写真を読む、という趣味は、当分やめられそうにありません。みなさんも稲荷湯へ来て、お話頂けたら嬉しいです。
*時限立法
一定の有効期間を付与した法令のこと
参考文献
雪廼舎閑人(1982年)『都電百景百話』大正出版
雪廼舎閑人(1982年)『都電百景百話正・続)大正出版
三好好三、2021年、『発掘写真で訪ねる都電が走った東京アルバム 懐かしい「昭和の時代」にタイムトリップ! 第4巻』フォト・パブリッシング
Aflo, 「特集 1958年の出来事」(最終閲覧2022年7月10日)
https://www.aflo.com/ja/editorial-images/features/903
参議院法制局, 「限時法」(最終閲覧2022年7月10日)
https://houseikyoku.sangiin.go.jp/column/column041.htm#:~:text=%E3%80%8C%E9%99%90%E6%99%82%E6%B3%95%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81,%E3%82%88%E3%81%B0%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
東洋経済、2018年、「昭和の東京を縦横無尽に走った『都電』の記憶」
https://toyokeizai.net/articles/-/233836 (最終閲覧2022年7月10日)