三代続いた親子の確執 その7

昭和20年9月酉蔵は、ようやく戦地から戻ってきた。親子6人と舅姑の8人の大家族の生活が始まりました。

軍隊生活が長かった酉蔵は、子どもたちへの躾が厳しく、母親である私への風当たりも強かったものです。

以前も話しましたが、夫は見映えが良く、外では女性にモテたのでしょう〜結婚しているにもかかわらず、
いろんな女の人からのお誘いがたくさんありました。

既婚者なのを知っていて、わざと訪ねてきて、夫を誘う女性も何人も居ました。

そんな時、彼女たちは決まって私の方を見て、わざと酉蔵を誘うのです。(あんたみたいなブスを酉蔵さんとは、釣り合わないんだよ!)
いつぞやは、こんな風に言われたこともあります。

その誘いに乗って、ノコノコとついて行く酉蔵ではなかったものの、
私の知らないところで会っていたのかも知れません。

私の唯一のプライドは、酉蔵の「正式な妻」であることだけでした。
ココだけを拠り所に、離婚の話も出ることなく、最後まで添い遂げられたのだと思います。

後年、娘からこんな話しを聞きました。
「私が小学生くらいのとき、
お父さん(酉蔵)に、結構今でも言うラブレター💌が何度も送られて来ていた。私は、小さいながらに、この手紙を母親にみせてはならないと思い、ゴミ箱🗑️に何回も捨てたことを、今更だけど教えるね」

毎日の生活に追われながらも、
酉蔵の女性関係については、
何も問いただすことなく、我慢してきました。

今思えば、そのことが夫婦をずっと続けてこれた理由かも知れません。

昭和24年に舅の由松が他界し、
一家の主となった酉蔵は、昭和30年代に入り、いよいよ船主という事業を始めることになりました。


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