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三代続いた親子の確執 その10

私の祖母のシゲと母のみよの間にも、ずっとずっと確執がありました。今回からは、母の話から探ってみたいと思います。

【母・みよの証言】

なんで、この母親の元に生まれたのだろう?なぜ、こういう運命だったのだろう?幼い頃から思春期にかけて、いつもいつも私(みよ)は思っていた。

3,4歳の頃だと思う。しっかりと記憶に残っているのは、道端で母(シゲ)から、思い切り殴られ蹴られた記憶。大勢の大人たちが集まってきて
「子どもを殴るのはやめなさい!可哀想に!」と集まってきたおじさんやおばさんの言葉を今でもはっきり覚えている。

たぶん、母の意に沿わない行動を幼い私はしてしまったから、殴られたに違いないのだが、このDVの記憶は90歳を過ぎた今でも、許せなかった記憶だ。大人になって、一度だけこのことを母に「なぜ、幼い自分を公衆の面前で殴ったのか?」問いただしたことがある。母は「しょうがなかった。姑からは毎日小言を言われ、舅の言葉にビクビクし働かなければならなったので、感情をぶつけるのは、お前しかいなかったんだ!」と言われた。

そのあとに、「ごめん」とか「申し訳なかった」の一言があれば、許せたかもしれない。しかし、母は舅・姑のせいだと言い訳した。親は自分の感情がコントロールできなければ、子どもにその矛先を向ける。こんな親には絶対なるまい!とずっと心に持ち続けていた。

母は13歳で奉公に出たので、読み書きなどが苦手だった。そして、自分の経験を踏まえ、「女は尋常小学校を出たら、家の手伝いをして家業を助けること!」が口癖だった。

尋常小学校に通っている時も、朝早くから家の手伝いをしてからじゃないと、学校に行かせてもらえなかった。けれど、私にとって学校生活はとても楽しく色んなことを学ぶことが楽しかったので、成績も良く、小学校卒業したら、女学校に進学することを夢見ていた。けれど、「進学はしなくて良い。卒業したら、家の手伝いに専念すること」を両親から言われてしまった。

どうしても、進学したい!と思っていたら、救世主が現れた・・・


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