8/13 感じない方がいいこともある

 鈍感なのは良いこと。これは今の時代になってよく聞く言葉じゃないだろうか。人からの悪意に対して鈍感な人は徳をするということだ。良し悪しというものは表と裏しかないわけではないのはわかっている。ただ私はこれに関しては悪意に関して鈍感なことは必ず正であると感じている。イタズラや意地悪、しょうもない嫌がらせはありふれているし、相手からの負の感情を受け取らないのは幸せなこととだと感じる。
 というのは、私はそういったことに敏感だからだろうか。相手の嫌がる顔、心境を知ってしまっているからこそ、一歩踏み出すことに恐怖を覚える。質問しないのは悪!だとか好き勝手言わないでほしい。こっちだって知りたくないわけじゃない。できるようになりたいが、色んな要因で出来ないのだ(頑張って鈍感のふりをして質問やお願いをするけれど)。
 
 ここまでの文章を読んで軟弱者だの、だから何と思った人に伝えたい。それも間違っていない。あなたの人生、経験、それらがこれを逃げだと思ったのならばそれは間違いない。あなたにとっては。それはこちらも同じ。私の人生、経験がこういった行動を取らせている。だから、それは損だよ!とか、それじゃ成長できないよ、だの説法はいらないのだ。自分の成長を取るあなたと、自分を守ることを取る私ではそもそもの戦法が違うのだ。ダンクを決める方がかっこいいと思う人がいるように、3Pが一番かっこいいと思う人だっているのだ。弁えてほしい。

 つまりだ、何を言いたいのかというと。自分の生き方に合った選択をするべきなのだ。正しいも間違っているもある。それは自分の目標であったり、主義と相談することであって他人と共有できるものではないのだ。主義は人それぞれあるのだから、そこに沿った生き方を考えてみるべきではないだろうか。

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