君は無責任ヒーロー

 関ジャニ∞というアイドルが好きだ。彼らを知って、え??????これは好きになるしか?????となって、安田章大くんが1番好きですとファンクラブに登録して、もう10年近く経つ(めんどくさがり故に更新を怠りすぎて会員証3枚持ってる)。

 彼らについて書こうとするたび言葉がぐちゃぐちゃに溢れてまとまらなくて、一度もちゃんとした文章になったことがない。幾度めかになるのだけど、今日も挑戦してみます。

 関ジャニ∞は昔から、「誰よりも自由」「枠をはみ出す」「ルールに縛られない」というキャッチコピーをつけられる。とても愛を感じるけれど、ちょっと疑問に思うこともある。違う。彼らは縛られている。アイドルという固定観念にも、ジャニーズという歴史ある組織にも、人間としての価値観にも、自分たちが刻んできた歴史にも。
 でも、だからかっこいいのだ。白くて毛並みの綺麗な翼を持っている自由さじゃなくて、置かれたその場所で必死にもがいている姿がかっこいいのだ。視界を埋め尽くすほどたくさんの観客の前で、その身一つでステージに立つのはどんなに怖いだろう。一挙手一投足がすべて、顔も知らないお茶の間に前に映し出されるのはどんな気持ちがするだろう。
 そうやって、何度も失敗して、恥ずかしい思いをして、共感性羞恥のど真ん中で、それでもこの世界には愛しかないのだと、馬鹿みたいに平易な言葉を歌っている。そのがむしゃらさが、泣きたくなるくらい、笑ってしまうくらい、私にとっては大切な輝きなのだ。


 特別がほしい、と泣いていたとき、特別はもちろんくれなかったけど、代わりに、「ぜんぶ」をくれたのが関ジャニ∞だった。
切り札は、「特別」だけではないと知る。
「ぜんぶ」も切り札だと知る。
 鈴を鳴らしてもエイトレンジャーは来なかったし、彼らの歌詞に登場する素敵な「君」が私だったことは一度もなかったけれど、それでも、彼らは私に愛をくれた。
 それはもう、どう考えても、脳内で理屈をこねまわそうと、感覚を錯覚で掌握しようと、揺るぎなく、疑いようもなく、彼らがくれたものは愛だった。初めて、そう信じてもいいのだ、と思えた。



 ずっと誰かに洗脳されたかった。今でも。なんでもいい。生まれた時から人類は全員平等に愛しくて、平等に胡散くさい。ひとつの思想を信じきってしまいたい。ポジショントークで賞賛したり批判したりしてみたい。陶酔したい。楽しみたい。本当は、本当に、大好きな人を疑いたくなかった。でも、私ひとりを洗脳しようと時間を割いてくれる人はいない。どんな言説も、誰の賢い言葉も私を洗脳しきってはくれなかったけれど(もちろん自覚していない部分で侵されてばかりだということは知っている。でも、それをひとつでも多く暴いて認めたい、と思ってしまうくらいには洗脳が弱いのではないかと思う。もちろんこれも洗脳かもしれないけど、だったら別の味を希望します)、関ジャニ∞は、ときどき、本当に一瞬、私のことを騙してくれる。彼らのことだって何度も何度も、もしかすると何よりも疑ったけれど、それでもその一瞬、私は本当に、何の疑いもない、ただのひとつの主観として、この目をぎょろぎょろさせて、彼らの愛を享受することができた。

 誰も傷つかない洗脳は、救済と同義だ。アイドルのファンが気持ち悪いと思われる意味はわかる。私は彼らの存在が悪ではないことを、あまりに無邪気に信じている。彼らがどんな人間でもいい。私の知らないところで何をしていてもいい。彼らの歌う綺麗事が、ひとつも心に響かなくてもいい。それでも私は、関ジャニ∞に騙されるような単純な頭で本当によかった。ジャニーズアイドルに一瞬でも騙されることさえもできなければ、きっとこんな世界で生きていられなかった。


 オタク界隈には、「生きてるだけでファンサ」という言葉があって、すべてそれに尽きる。特別な具体名の愛を見つけるのでも、職場を変えるのでも、私がその人生を見届けられなくなってもいい。私は関ジャニ∞を信じ切ってしまったから、裏切られることなんてない。
 だって、関ジャニ∞はジャニーズ事務所やレコード会社とたくさん契約しているのかもしれないけれど、私は彼らと個人的な契約をひとつも交わしていない。ただ睦ごとのような口約束があるだけで、だからこそ、私が彼らを信じ切ってしまえば、裏切られることなんて永遠にないのだ。


 数年前、メンバーが関ジャニ∞をやめたときも、とても悲しかったし、今でもときどき悲しくなるけれど、それは私の感情で、彼が私を裏切ったなんて思わなかった。なんでもいい。生きていてくれれば、できれば美味しいご飯をたらふく食べて何でも好きなことをしてニコニコしていてくれればいいなと思うけれど、でも、それだって無理しなくていい。
 本当に苦しいときに助けてもらったから、「ただ生きていて欲しい」というのがどれほど傲慢で、難しい願いなのか知っている。そんな言葉を他人に言えるほどまともな人間じゃない。でも、だからこそ、ライブで姿を見るたび、レコーダーの再生ボタンを押すたび、インスタやブログが更新されるたび、何だかもう、全てに満足してしまう。生きていればいい。彼らひとりひとりが彼ら自身の幸せを疑わずにいてくれれば。10年前、関ジャニ∞として私の前に現れた7人が、今日も生きている。みんな同じタイミングで日付を更新している、それだけで、全てが、もう、はなまる満点なのだ。



 彼らの人間性に興味があって、立ち位置とかスキャンダルとか性格とかで推し量りたい人はそっちをやったらいいと思う。私は、彼らと永遠を信じる方をやる。今この瞬間に、私は世界で1番幸せなんだって勘違いする方をやる。個体と個体として出会ったことの、敵対せず手をとっていることの、奇跡に打ち震える方をやる。オタクは本当に気持ち悪い。その通りだ。それは、見るもののほとんどが気持ち悪いこの世界で、確かに信じられる価値観だと思う。


まだまだ無限に語れちゃうのだけど、とりあえずこのへんで

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