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満を持してマティス展。偏愛(?)に満ちた鑑賞レポート!

「マティスってどんな画家?」
と訊かれた時は、色彩と構図が・・・フォーヴィズムの・・・なんてことは言わず、「ピカソ最大のライバルであり友人だったフランスの画家」というところから始める。マティスを知らない人がいても、ピカソ(1881-1973)の名を聞いたことのない人は非常に少ないはずだからだ。

そんなマティスの展覧会が、現在、六本木にある国立新美術館で開催中(~5/27)のため、足を運んだ。よほど注目の高い展覧会なのだろう、雑誌や書籍、テレビでも取り上げられ、ネット上でも至るところで展覧会の様子を見ることができる。

そのため、展覧会の基本的なレポートは大御所サイト等にお任せすることにして、ここでは、画廊勤務経験をもつ私が、思わず見てしまう部分について個人的な好みも含めて勝手に語ってみる。実は先のピカソとの対比も、画廊時代にマティスをご存じないお客様から訊かれた際に答えたことだったりする。

はじまりはじまり~

心憎い展示形式

さて、画集とは違い、美術館で絵画を鑑賞する醍醐味は、なんといっても臨場感を味わえることだ。遙か昔に生まれた作品の現物が、今を生きている自分と同じ空間に存在していることの妙。もはや同時代に生きていると言っても過言では無いだろう。

よく撮影可能な展示スペースを設けている美術展があるため、今回も念のため、スマホの充電を満タンにして臨んだところ、予想以上に大充実の収穫だった。
まずはこちらから。

見よ、人が目に入らないレベルのサイズ感(4.1×8.7m)を

フランスはニースにあるマティス美術館のメインホールを飾る大型切り紙絵が日本初公開にてお披露目。圧巻な展示風景に、カメラ(だいたいスマホ)を構える人たちで賑わっていた。画集では体感できない圧倒的な存在感だ。色彩、形、一つとして同じ形はない。唯一無二の世界がここにある。

作品解説は解説パネルにお任せして・・・

せっかくだから解説もパシャリ。

私が近づいてついつい見てしまうのは、このあたりだ。

作品の横、釘が打たれているキャンバスの側面が丸見えでキュン

この作品はグワッシュ(不透明水彩)で色づけした紙の貼られた紙がキャンバスで裏打ちされたもの。その様子をうっすら味わうことのできる額装・・・いや、展示の仕方自体にも思わず興奮してしまうのだ。もし側面にぴったり接するような額だったならばここまで気にならなかったかもしれない。画集や雑誌、ポストカードでは鮮やかな色彩と大胆な形にうっとりするだけだが、このように現品を目の前にし、正面から横から観察すると、制作過程、その後のメンテナンスまでも想像できるようで楽しさ倍増である。

同様に、女性のしなやかな身体の造形を大胆な切り紙絵で表現したことで有名な4点の連作ブルー・ヌードシリーズの中から今回出展されていた「ブルー・ヌードⅣ」も、床の展示線ギリギリからじっくり拝見。

これは釘が打たれておらず包まれているようだ

重ねて貼られた紙の質感、その色合い、画面上にかかれた構図の下書き線がたまらない。木製の額は5cmくらいの厚さだろうか。ちなみにサインの横に書かれている数字「52」は、1952年に制作されたことを示している。これはマティスのみならずピカソなど他の画家たちもよく絵に書いていることが多い。絵画鑑賞の際にちらっと気に留めておくと、解説を読まずとも制作年が分かるのでいい気分になれるかもしれない。

作品と額側面の間に空間が広いので見やすい(側面も)

これは「波」。せっかく「ブルー・ヌードⅣ」でサインと制作年について述べたのにこれは何も無かった。目録によると、1952年頃だという。なるほど「頃」がついている。推して知るべしということか。

今回注目すべきは側面と・・・

そして私はまた横へ移動して撮影。キャンバスに釘が打たれているパターンの子である。しかもこの作品で注目したいのは、額そのものの展示方法だ。よく見てほしい。額の下に、展示を安定させるための留め具のようなものがついている。なるほど、横長すぎる作品のため、美術館が工夫したのだろう。最近細かい地震も多いため、念には念を入れたのだと思うと、美術館の作品への愛を感じて嬉しくなる。

1953年 陶の習作

これは切り紙絵「アポロン」で使われているいくつかの要素(模様)をテラコッタ(陶器)の習作として制作したもの。現代アートと言っても通じそうな佇まいだ。

照明の下でテラテラした感じに見える

ここで気づいたことがあったので、次で詳しく語ってみることにする。

習作、マケット・・・完成していない豪華展示

習作、である。
今回の展覧会は、習作が多い気がするのだ。展示の前半は普通に油彩が多く並んでいたため気に留めなかったが、撮影OK区域に入ってから、習作が目につくようになった。

習作、それは下書きであり、試し書きであり、完成の前に描かれる状態のものをいう。しかしながら、習作にサインが書かれて、展示されたり、画廊などで販売されたりしている作品が、マティスのみならず、世の中に多く存在している。習作が愛されているのだ。
想像してみてほしい。何かの完成を目指すべく、まず描いてみるという作者の心情を。初めての作品に取り組もうとする作者の気高い精神を。習作として展示される作品にこそ、私は作者の息づかいを感じてテンションが高まる。

木炭と墨で描かれた習作、この黒い線・・・

これは「告解室の扉のための習作」という。ここまで見てきた習作よりはるかに習作らしい習作に見える。

下部も注目

少し荒々しい線の引き方。もともと筆致スピードの速いマティスが、その手指の速度と思考の速度を掛け合わせて描いたであろう習作。強い線、何度も重ねられる色。もしかしたら迷いながら描いたのかもしれない・・・そんなことを想像させるのが習作の面白さであり魅力であると思う。完成していない状態が完成なのだ。それを今ここで見られることの愉悦。

マケット

これは、「白色のカズラ(上祭服)のためのマケット」。
マケットとは、模型のようなもので、習作と似た意味合いかもしれない。そういえば最初に挙げた「花と果実」もマケットだと解説パネルにあった。今回の展示は、習作とマケットが数多く出品されているようだ。なんて貴重な。後で最初からもう一周して味わわなければ。

ここはヴァンスか六本木か

さて、先程の上祭服をデザインしたのは、ここで使用するためだったようだ。ヴァンスにあるロザリオ礼拝堂…多才なマティスはこのような世界も生み出していたのだ。そしてそれを見事に再現したこの展示空間に感動。

ロザリオ礼拝堂(内観)この再現度もハイレベル!
時間によってスタンドグラスの光が動いていく
ステンドグラスの習作

礼拝堂の展示スペースでは、会場内に降り注ぐ朝日から夕日まで、時間によって移り変わる光が再現され、ステンドグラスの色が動く様を体感することができた。

そして、礼拝堂の外観はこちら。20分の1スケールのマケットだという。

背景の影の美しさよ。やるな、国立新美術館。

建物自体、マケットを制作していたとは。マティスの集大成とも言える礼拝堂への想いを想像すると、静かなのに熱い何かがこみ上げてくる。実際に行けばまた違った感情になるかもしれないが、習作やマケットに囲まれた空間で異国を思い描けるのは身近な贅沢に思える。

横にもマティスの絵が

墨に惹かれて

マティスは墨で描いた作品も多い。ややもすると習作かと思ってしまうが、例えばこちら「木(プラタナス)」は墨で描かれた完成形だ。マティスは植物や人物などあらゆるものを観察し、その見事な洞察力によって数々の素描作品(線のみで描かれたもの)を残している。

筆と墨が使われた作品

彩色されていない作品は、漆黒の線が無限の世界を見せてくれるように感じられる。この木の色は何色なのだろうか。見る人の気分によって変わる気がする。鑑賞者に与えられた自由がここにある。

そして私は何より墨を使うことで波打つ紙の形状にも目がいく。引き寄せられるように見つめてしまう。画廊ではこのように波打っている状態の作品は裏側に厚紙のような紙を貼り付けて裏打ちすることで、できるだけ落ち着けて綺麗に見えるように整えて額装する。美術館のように完璧な照明と空調ではない個人宅でも作品の良い状態を永く保てるようにするためだ。そして何より波打ちが気になる人も多くいるため、できるだけ気にせず絵に注目してもらうためでもある。

この作品は当時の空気をまとっているように見えて嬉しい。この紙の前でマティスが楽しそうに描いている様が目に浮かぶようだ。すでにお気づきかもしれないが、私は墨による紙の波打ちが結構好きだ。人間味と現実感が寄せては返す波のごとく気持ちいい。

墨はピカソとも同時代のスペインの画家、ジョアン・ミロ(1893-1983)も、来日時に墨に魅せられて購入してから、作品に多く取り入れるようになった。後年のミロからは、明らかに筆で墨を使って描いていると思われる作品をいくつも見つけることができる。
国も時代も関係なく、墨に惹かれる芸術家のいることが嬉しい。

でもやっぱり色と形は永遠

今回の展示は習作が豊富で墨作品も多く、展示風景も充実していた。撮影不可の展示スペースには「本のある静物」など重厚な油彩があったり、マティスの使用していたパレットがあったりと、隅々まで楽しめたため、気づけば会場内を2周してしまったほどだ。

他にも「ジャズ」という、文字通りジャズをモチーフにしたリズミカルな挿画本(版画作品とテキストが掲載されたもの)より、全20点のポショワール作品すべてが並ぶ様は壮観。公式サイトに展示風景写真が載っているので、展示会へ行けない人はもちろん、行った人も改めて見ると、思い出を鮮明に反芻できるのでお勧めだ。

「ジャズ」は写真不可だったが、それらの雰囲気に近いお宝印刷物は写真OKスペースに展示されていた。70年ほど前に出版された書物たちで、個人蔵だという。ぱっと見だが、シミや退色もなさそうに思える。よくぞ大切に保存してくださった。どなたか存じ上げないが、あなたのおかげで至福の閲覧時間を味わえた。

表情はまさにマティスの描く女性
本棚ではなく展示ケースに入れたい本。裏表紙も見たいが想像して楽しもう。

最後に……今回の展示が素晴らしすぎて、想定以上に色々書いてしまった。展示方法が、習作が、紙の波打ちが…など偏愛に満ちたことを派手に認めてしまった気がするが、すべてはマティスさんのせいだ。彼が時代を超えて私の魂を震わせにきたおかげで、言葉が溢れてしまったのだ。マティスの色彩、形は永遠に新しい。これからも多くの人たちを震わせ、恍惚とさせ、好き勝手に物語を想像させてくれるだろう。

アンリ・マティス(1869-1954)

そう、どの作品も、好きに鑑賞していいのだ。きっと彼もそう思ってくれているはずだ。そもそも今回の展示会タイトルは「マティス 自由なフォルム」なのだから。


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