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第2話 「何て?」

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 野郎の微笑みを注視したところで何も楽しくはない。
 壮大な隠し事を何気なく打ち明けるように囁いた彼へ、俺は「ああそう」と努めて気のない返事をした。いや、心の底から強い想いを込めて感情の含まれない返事をした。

「それで、あんたは心当たりとかない? 漂流したとか……」
「いえ。向こう一ヶ月はそういったスケジュールは入ってないはずなので」
「なんでタイミングによっては漂流ワンチャンある感じなの?」
「こう見えて多忙な身なんです、僕」

 こう見えてと言われても、初対面の彼が漂流好きなタイプかどうかなどわかるはずもない。
 ともかく心当たりはないとのことだったので、「ああそう」をリピート再生してから、青空を見つめたままの彼女に視線を向けた。一番会話にならなさそうな相手だけに声をかけたくなかったが、仕方がない。

「ええと、灰原さん、交信は終わりました?」
「うん」
「そうなんだ。えっと、会話は可能ですか?」

──二重の意味で。

「ええ。UTC二時三十分までなら」
「え、何て?」
「UTCは協定世界時のことですね。セシウム原子時計によって刻まれる、世界各国標準時のことです」
「何て?」

 面倒くさい。たぶんこいつら無駄に雑学があるタイプの厨二病だ。面倒くさい。自分の妄想に説得力を付随してくるタイプのこじらせだ。文化祭で自分のバンドが歌う妄想よりも、六法全書の暗唱で相手を論破する妄想して楽しむタイプの人種だ。

「日本時間に直すと十一時半くらいですから……あと一時間半くらいは話してくれるそうですよ」

 腕時計を確認しながら、能登くんが満面の笑みを浮かべている。いや、よかったですねじゃない。

「そう。次の交信があるから」
「ああ、そう……」

 無人島の漂着といえば、体力を温存しながら水や食料を探すのがベターではないのか。俺は会話だけですでに向こう一ヶ月分の体力を消耗しつつ、「じゃあえっと、灰原さんは心当たりとかないですか? ここにいる原因に」と問う。
 今の俺なら、「宇宙船の墜落」と「私があなた方を呼び寄せました」くらいまでなら受け入れられる気がする。

「ボートに乗っていた気がします」
「ああ、そこは普通なんですね……」
「ボートに乗せられた我々は、そのまま星の河を流れて誕生します」
「そうなんですか、よくわかりました。ありがとう」

 宇宙人の基準で言うと、彼女は生まれたての赤ちゃんということらしい。
 赤ちゃんにこれ以上難しいことを問うのはあまりに申し訳ないので、俺は一度三崎さんに視線を向ける。目が合うなり肩を揺らして縮こまった彼女に少々傷つきながら、結局は、比較的話しやすそうな能登くんに向き直った。
 じゃあ、と口にしかけたところで、彼は「あなたは?」と微笑みを崩さないまま首を傾げた。

「俺?」
「そうです。あなたはどうなんですか? まだ、ここにいる心当たりをお伺いしていません」

 ああそうか、と一人頷いて頭をかいた。
 こいつらがあまりに怪しすぎて記憶がないことを隠していたが、どうやら境遇は同じようだ。自称する肩書きには目を瞑って、多少は信用して打ち明けた方がいいだろう。

「俺は──」

 俺の声を遮ったのは、獣の咆哮だった。
 腹の中を殴るような低音は瞬時に鋭く冷えて、背筋を駆け抜け、脳に危険信号を灯す。発信源は島の中心部、木々の生い茂る暗闇の奥だ。
 蠢く影の正体を見極めるために、三人も身構えたままそちらを見据えている。俺がその背中から緊張感を読み取るのが早いか、一人分の影が正体不明の獣に向かって駆け出していった。

続く

担当:前条透

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