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第4話 もっと強い毒を盛るべきだ

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 輪ではなくなったヘアゴムが、僕の指に腹から力なく垂れ下がる。虫の死体を持っているかのようで、気分が悪い。部長はいまどこでなにをしているんだ。おかしなことが起きているというのに。

「水彩画は塗り潰せないはず、だったよな」

 部長が描いた静物画からサツマイモの部分だけ、まるで綺麗に切り抜いたかのように白くなっている。指先を当てるも、凹凸は感じない。塗り潰した訳ではなさそうだ。

「神城先輩、ビビッときましたよ! ボクの推理だと部長はいまお手洗いにいます!」
「なんだその驚きも捻りもない推理は」
「まぁ、聞いてください」

 響斗は左手の人差し指を伸ばしながら、画材を洗うためのシンクにもたれかかる。

「静物画の謎ですが、神城先輩、水彩画は『ガチ落ちくん』で消せるの知ってました?」
「えっ、そうなの?」
「そうなんです。部長はせっかちですから、サツマイモがなくなったことでどうかしようと考えたんじゃないでしょうか?」

 すぐさまケータイを取り出して検索する。響斗の言う通り、意外と簡単に消せるみたいだ。

「そしてそのヘアゴム。部長は絵を描くとき、必ず髪を結びます。髪が絵の具で汚れるのが極端に嫌ってますよね。もちろん『ガチ落ちくん』で消すときも、例外じゃないでしょう。しかしヘアゴムが千切れてしまった。その拍子に束ねた髪が広がり、毛先についてしまった。状況から察するに、部長は『ガチ落ちくん』で毛先についた汚れを落としているところではないでしょうか」
「だったらここで洗えばいいじゃないか」
「それはほら、乙女的な事情があったのかもしれません」
「乙女的な事情、ね」

 爪の甘い推理だと、直感が訴えかける。根拠が薄い。ガチ落ちくんで水彩画を消せたとして、部長が消す方法を知り得たとして、手洗い場にいるという選択に行きつくだろうか。僕が部長なら、負けた気がするから絶対に絵は消さない。犯人を地獄の果てまで探し出す。

「神城先輩はどう思います?」
「わからない。でも、もし仮に、万が一にも誰かの陰謀だったとしたら、イモだけじゃなくて全部盗むとか、絵をびりびりに破り捨てるとか、文化祭そのものを中止に追い込むとか……。そう、もっと強い毒を盛るべきだ」
「神城先輩は動機が気になるんですね」

 彼の言葉にうなずく。その後、僕らは部長にLINEで一報を入れ、待つことにした。部室がゆっくりとオレンジで満たされていく。キャンバスに現れた不格好な空白をじっと見つめていると、ノックもなしにドアが引かれた。心臓が跳ね上がる。やる気のない相貌とシワだらけのYシャツ。大ふちの丸眼鏡がじとっと僕らを見つめる。

「なんだ、戸締り先生か」

 両手で胸を抑えながら響斗は「びっくりさせないでよ」と愚痴をこぼす。

「喜多。遠島と戸締りを掛けて呼ぶな。顧問をなんだと思ってるんだ」
「顧問らしいことしてないじゃん。早く帰りたいだけの癖に」

 先生に促されるまま、リュックサックを背負う。シンクの近くには口が開いたままのバッグが放置されていた。某テーマ―パークにいる恐竜のキャラクターが大きな口を開けたままぶら下がっている。クラスの仲の良い女子とおそろいだと確か聞いたことがある。僕は肩紐に腕を通すと、忘れ物がほかにないかを辺りを見渡し、特になさそうだったのでカーテンを閉めた。電気を点けていなかったせいで、オレンジは瞬く間に塗り潰された。

「戸締り先生、今日ボクら以外でこの部屋を使った人っている?」
「雑談に付き合ってるほど暇じゃないんだ。さっさと帰れ。今日娘の誕生日なんだよ」
「なに言ってんの。あんた独身でしょ」

 すでに廊下へ出た響斗たちを追いかけようとすると、視界の端からなにか光るものを感じた。薄暗さではっきりとわからなかったが、出所は部長の静物画からだった。

「神城先輩、どうしました」

 彼の声を無視して近づく。うっすらと絵の輪郭が見て取れた。鈍く光っている場所はサツマイモが存在していた、あの空白だった。「なにこれ」と響斗が背後から覗く。指で触るも当然凹凸はない。
 ――毒としてはかなり弱い。だが、それは確実に僕ら美術部に刃を向け、確実に蝕もうとしていた。なにかが手についた訳ではないが、思わずズボンで拭う。
 おそらくは蛍光ペンだ。暗闇に浮き出る文字は、僕が教科書の重要ワードを塗り潰すそれより遥かに濃い色を発している。まるで誰かに気付いてもらうことを前提としているみたいだった。

 僕らが一体、なにをしたって言うんだ。いたずらならどうぞご勝手に、部長にだけしてやってくれ。たまらずため息を吐き、目の前の不可解な文章を読み上げる。

「すべてがIMOになる」

続く
担当:飛由ユウヒ

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