見出し画像

第5話 知らねえよ、ググれ

第4話はこちらから


「IMO? 国際海事機関が何だって?」

 怪訝そうな低音が僕の耳朶を打つ。肩越しに振り返ると、丸眼鏡の向こうで重たい瞼がさらにその水平線を引き下げているのがわかった。これでもか、というほど細まった目に「老眼か」とからかう声はなく、代わりに喜多が「はあ?」と首を傾げた。

「国際会……何?」
「国際海事機関。International Maritime Organization(インターナショナル・マリタイム・オーガニゼイション)。国際連合の機関だな」
「へえ、物知りだね。一応先生なだけある」
「だろ。Wiki先生は偉大だ」
「ググってんじゃねーか」
「他にも、国際数学オリンピックとか、国際流星機構、昔カグメが売ってた清涼飲料水の名前、なんてのも出るぞ」
「あーあー、もういいって」

 わざとらしく耳を塞ぐ響斗をよそに、僕は「どんな飲料水なんですか?」と問いながら、水彩画を背にして立つ。遠島先生はスマホをポケットにしまって、「知らねえよ、ググれ」と頭をかいた。

「嫌だねえ最近の若者は。何でもすぐ人に訊けばいいと思ってる」
「アンタが言い出したんだろ」
「ええと……」

 瞬時に食ってかかる響斗を一瞥し、結局は「そうですね。帰ったら調べてみます」と苦笑した。

「おう。レポート用紙三枚くらいにまとめて、新学期にでも提出してくれ」
「それ、夏休みの課題ですか?」
「そんなとこだ」
「いや、明日始業式なんだけど?」
「文句が多いな。そんじゃあ、最初の部活の日で」
「ああ、まあ、がんばります」

 隣に立つ後輩はまだ何か言いたげだったが、僕は見ないふりをして部室を出る。部長の鞄を持った遠島が鍵を閉めるのを見届けて、誰からともなく足を踏み出した。男三人がぞろぞろと連れ立って廊下を歩くさまは滑稽かもしれない、とぼんやり考えたが、間もなく遠島が「そんじゃ、気をつけて帰れよ」と言い残して立ち去った。
 猫背気味の背中を追いかける「あれで戸締りの意味あるんですかね」という声も無視して、僕は昇降口へ向かう。足は自然と早くなる。
ポケットに入れたスマホを取り出して、画面をつける。

「あ、さっそくググるんですか? 先輩って、妙なとこ律儀っていうか」
「『IMO』って何だと思う?」
「IMO? そりゃ、イモはイモですよ」

 それこそ、今回なくなったサツマイモとか、と続ける響斗に、「うん」と曖昧な相槌を打つ。ほぼ駆け足になる僕についてくる彼のほうがよほど律儀だと思うが、口にする余裕はなかった。
 ほどなく到着した昇降口で、僕は三年生の下駄箱を見て回る。

「僕、『IMO』を『イモ』って発音したんだ」
「んん? 一緒じゃないんですか?」
「ああ、ごめん。これは表記上の都合だった。あんまり気にしないでくれ」
「はあ」
「さっき部長に送ったLINE、既読が付いてる」
「あ、そうなんですか。返事は?」
「ない」
「えっ、珍しい。いつも鬼早返信の部長が?」

 一度だけ手元のスマホに視線を落とし、すぐに顔を持ち上げる。目の前にそびえ立つ下駄箱を端から端までじっくり観察して、息を吐いた。

「部長の靴がない。絵も出しっぱなしのままだったし……本当に部長は、自分の意思でどこかへ行ったのか?」


続く
担当:前条透

次回更新は7月15日(木)です。


第6話はこちら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?