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最終話 すべてがIMOになる(後編)

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 部長の肩を借りながら、丸椅子に腰を下ろした。まだ脈が驚いている。僕は額の汗を制服の袖で拭った。それを見た遠島が「暑いな、窓開けていいか?」と言う。僕らは無言で頷いた。ぽつぽつと歩き始め、鍵に指を掛ける。冷たい風が緊張を運ぶ。

「2年前、俺は今ほど戸締り当番を熱心にやっていなかった。やっていないどころか、教師の間でも面倒臭い業務として押し付けあっているくらいだった。かなり遅くまで残りたがる生徒がいたからな」

 伊都江いとえ高校は生徒の自主性を重んじる風潮にある。生徒手帳の冒頭五ページに渡って校則が記されているものの、それを暗記する物好きはいない。人様に迷惑さえかけなければ何をしてもいい。
 かくいう美術部も、夜の教室を描くという名目で遅くまで活動していたこともあるくらいだ。夜である理由は他でもない、青春を謳歌したいというロマンだ。そんな私利私欲に振り回されるのだから、戸締り当番を厄介事と思うのは無理もない、と僕は思った。

「ニ瀬妹子も教師の目を忍んで残る生徒の一人だった。あの時期は新入生歓迎会の部活動紹介があったからな。準備に明け暮れていたんだろう。ニ瀬はそこで派手なマジックを披露するつもりだ。ただ、首吊り自殺なんて演目、マジックだとわかっていても教師であれば誰だって止める。だから隠れて練習していた。それであんなことに……」

 先生は窓のサッシにもたれながら、虚空を見つめていた。視線の先に、彼女の面影を追っているような気がした。

「ニ瀬は自殺なんかじゃない。紛れもない事故死だ」
「……嘘だ!」

 響斗は肩を震わせながら、潰れた声で叫ぶ。ただ、真実を跳ね返すだけの力はもう残っていない。彼の背骨を、部長が優しく支える。

「あれは不幸な事故だった。自重で解れるはずのロープが、うまく作動しなかった。そのまま彼女の首を絞めてしまったんだ」
「じゃあなんで、自殺なんて噂が流れたんすか……」

 響斗の疑問はもっともだった。僕ら生徒は、事故死ではなく自殺と説明を受けていた。それはだな、と遠島先生が口籠る。彼が醸し出す重たい空気から、言おうとしていることがわかった。僕は先生の代わりに口火を切る。

「学校のメンツを守るため、ですよね。危険なことを学校側が黙認していたとなれば、ニ瀬先輩の死とは関係ないところで騒動が激化していたかもしれない。ニ瀬先輩は首を吊ったんだ。自殺という言葉のニュアンスは間違ってはいない」
「……流石だな。情けない話だが、その通りだよ」

 先生の目が僕を捉える。

「ついでにもう一個、情けない話がある。ニ瀬が亡くなった夜。その日の戸締り当番は俺だった。俺は校内を一周しただけで、それ以上確認することもなく早々に帰ってしまった。今だからこそ後悔しているが、当時の俺にとっては、やはり面倒臭い仕事でしかなかった。その結果がこれだ。やるべきことを放棄し、その見返りに生徒一人を失った。俺は、教師失格だ」

 誰も、何も言い返すことができなかった。代わりにすすり泣く部長の声が聞こえた。今までなんとか持ちこたえていたのだろう。僕は立ち上がり、部長に椅子を渡す。それくらいしか、出来ることがなかった。
 先生が続ける。

「責任逃れするつもりはない。人一人が亡くなったんだ。結果だけみたら事故かもしれないが、俺は責任を感じていた。校長や警察に何度も訴えたよ。俺を罰して欲しいと。でも校長はこれ以上事を荒立てたくなかったみたいだし、警察は事実しか見ていない。俺は免れてしまった。だから始めたんだ。お前たちが言う、戸締り先生を」

 先生が腰を浮かせ、窓枠に座る。くせ毛が夜風で揺れる。

「一年以上続けてきたが、罪の意識は消えなかった。俺は許されるような人間じゃない。どうやったら罰を受けることができるのか、精一杯考えたよ」「……再犯に見せかけた、偽装犯罪」

 僕が言うと、先生は頷いた。
 わざわざ弱小美術部を狙ったのは、二瀬先輩のことを知っている人が多かったからだろう。同級生で仲が良かった部長。姉弟のように接していた響斗。僕も、ニ瀬先輩と関わっていない訳ではない。マジックのアイデアを一緒に考えたこともある。先生の話を聞くまで忘れていたが、首吊りのロープのアイデアを出したのは、たぶん僕だ。

「もちろん佐持を殺すつもりはなかった。殺人未遂を犯したという事実だけあれば良かった。そうすれば二瀬の自殺を、連続殺人に見立てることができる。俺は今度こそ、罪を受けることができる」

 先生は天井に向かって息を吐く。強い風が吹いて、窓がガタガタと鳴る。

「しかし、まさか俺の方が出し抜かれるとはな。こうなってしまった以上、俺がやれることはただ一つだ」
「なんすか、やれることって」


 響斗が尋ねる。先生は何かを企むような笑みを浮かべていた。


「そういえば、《すべてがIMOイモになる》の答えには辿りつけたか?」
「あぁ。あれはOじゃなくてCだった。Itokoイトコー Magicマジック Clubクラブだろ。俺たちをこの部屋に導くための暗号だったんだ」

 先生は首を横に振った。

「あれはOで間違いない。まぁ、一種の言葉遊びだ。多少こじつけではあるが、計画を進めるうえで一貫性があって良かった。その甲斐あって、お前たちはここまでたどり着いてくれた。終わり良ければ総て良しだな。ニ瀬のファーストネームや佐持の名前のアナグラム、静物画のモチーフ、マジックで使うはずだった水彩画。偶然にもIMOが多かった。すべては、そこに便乗したに過ぎない」

 彼が何を言おうとしているのか、僕にはわからなかった。漠然とした恐ろしさだけがそこにあって、耳を塞ぎたい衝動に駆られる。

「IMOという表記・・には二つの意味がある。芋は英語でpotatoポテト。ポテトってのは海外のスラングで『愚か者』という意味がある。そしてもう一つが『In my opinionインマイオピニオン』。メールの文末などに添えたりする。意味は『わたし的には~』だ。ひとつ、賢くなったな」

 遠島先生は静かに息を吸う。

「この計画が成就されなかった時、そのすべてが愚行になる。
 誰かが俺を弁護しようとも。あれは俺自身に課した、犯行声明だ」

 そこからは、スローモーションだった。窓のサッシに座る遠島先生の身体が、外に向かって倒れていく。まるで夜闇に吸い込まれていくように。部長の悲鳴が聞こえる。先生の身体が水平になりかけ頃に、僕は腰を持ち上げた。届かない、と思いながら。
 視界の端から、走り抜ける姿が見える。響斗だった。大きく伸ばした手が、先生の太ももを捉える。響斗の身体も、そのまま引っ張られていく。俺は鈍い脚を無理やり動かし、手を限界まで伸ばした。響斗の制服に触れた。そのまま腰に腕を回し、下半身に力を入れる。絞り出すように声を出し、歯を食いしばった。血管が千切れそうだった。
 落下の勢いが止まると、僕らは先生を引き上げた。必死だった。頭の中は空っぽで、自分自身が何をしていたのかさえ覚えていない。ただ、夢中だった。先生に死んでほしくはなかった。それだけは胸を張って言えた。

「死んだら、何も残んないっすよ」と響斗が言う。
「俺は、償えないのか」
「何言ってんすか。もう償ってるじゃないですか。戸締り先生って呼ばれるのがその証拠ですよ。同じ過ちを繰り返さないようにする。それだけで十分ですよ。死のうとするなんて、やめてください」
「……すまない」

 先生は静かに笑った。彼を縛っていた呪いがようやく解けたのだと、僕は思った。実際はどうだったかわからない。その後僕たちは、遠島先生の車で自宅に帰った。疲れ切っていたのか、一言も言葉を交わそうとはしなかった。距離が一番遠かった僕は、最後に遠島先生と二人きりになった。車を降りるとき、また学校で、と僕は言った。これ以上は野暮に思えた。

 遠島先生の一件があった次の日、僕たちは美術室に集まった。部長から「出し物を変えよう」と提案があったからだ。誰も反対はしなかった。創作意欲に欠けるところはあったし、何よりも美術部として他にやるべきことがあるような気がしたのだ。何をやるんですか、と響斗が尋ねる。部長の瞳には決意が漲っていた。

「ニ瀬先輩のために絵を描きましょう」

 僕たちは黙々とキャンバスに向き合った。言葉を発さなかったのは、たぶんそれぞれの頭の中にあるニ瀬先輩が違ったからだと思う。
 部長とニ瀬先輩は親友だった。響斗は弟のように可愛がってもらっていた。僕はたまにマジックの相談に乗っていたくらいだが、その思い出は決して悪いものではなかった。
 時間を忘れて描いていると、ドアを開ける音がした。もうそんな時間かと思い、顔を上げる。遠島先生は興味深そうに僕らの絵を見ていた。

「俺も描いていいか」

 僕らはそれぞれ顔を見合わせた。部長が静かに頷く。彼女は口元を横に引きながら答える。

「今日はもう遅いんで明日にしましょう」


おわり

担当:飛由ユウヒ


最後まで読んでいただきありがとうございました。
またの次回作をお楽しみください。
ゆにばーしてぃポテト一同。




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