新しい部屋と台所と私
テストの採点と引っ越しと、家族の家族が増えたことが重なって、ここ一ヶ月の記憶がない。
本当は、一個ずつ書いていたかったなあ!
たとえば、
前の家であるアトリエ「畑のとなり」を出ていく前日、大家さんが畑から取ってきて渡してくれたトマトときゅうりは、新しい部屋でスーパーにも行けなかった一日目の私の夕飯になった。余裕がまったくなく、まな板も包丁もまだ出していなかったから、洗って丸かじりした。きゅうりはボリボリでバリバリで青臭くて野生って感じだった。ありがたくて、しみじみと味わった。こんなおいしいきゅうりとトマトは二度とない気がした。
それにしても、そのさなかに、よくぞ休憩を取ってカフェに行ったり、シーズン二度目の梅シロップを作ったり、家族や友達の安産を願ってお参りに行ったり、辛口ジンジャーエールにあこがれて新生姜を煮たりしたことだよ。
立派だったな~。
だからまだ奥の部屋(寝室)の収納がすべて段ボールなのかなあ~。うーむむ。
前の家のふりかえりもしたいけど、まだできてないなあ。
でも、基本的に私の暮らしは変わっていなくて、同じままだ。
築45年の平屋から引っ越して、新しくも広くもないけど小ぎれいな(…と不動産屋さんが言った)1DKで同じ暮らしをしているなんて不思議だ。
山と川のある静かで美しい街から移ってきて、文化的でもきれいでも落ち着いてもいないけど便利ではある(…と隣の駅に住む同僚が言っていた)街で、同じような気分で暮らしているのは、自分でも予想しなかったことだった。
私はこんなにもこだわりがないタイプだったっけ……。
新しい家で、私はたいてい台所のある部屋にいて、料理を作ったり、ソファーに寝そべったり、床にコロコロをしたりしている。(ラグ的なものを敷いていないので小さいごみがよく見えるため。)
そうそう。「貴婦人の昼寝」と名付け、もう9年も人生を共にしている、大きくていびつな形のソファーは、引っ越し屋さんが「奥の部屋のドアにつっかえちゃうから、これ以上入れるのはムリです!」と汗だくで悲鳴を上げるまでもなく、私は最初から台所に置くつもりだった。
それは、この部屋に住むことに決める前からもう決めていたことだった。
何事も決められないくせに、その時は妙に勘がはたらいて、このソファーはかわいいから絶対に人々の目にふれるべき! と思ったらしい。
つまり、人が来てくれる家にしたいと思ったみたいだ。
それは、前に住んでいたアトリエ「畑のとなり」がもたらし、馴染ませた感覚なのだと思う。
家には私だけが住んでいるのだけど、私だけではないというか、そんなのもったいないというか、私が払っている家賃はきっとここに来る人の分も含まれている、と思いたいらしい。それでちょうどいいというか…。家賃ってやっぱり高いから。
私はそもそも家に居続けるのがあまり得意ではないし、「半オープン」である状態が性格に合っているのかもしれない。
春の初めに久しぶりに読んだ吉本ばななの『キッチン』の冒頭で、主人公のみかげが
「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う」と言い、
「どんなに古くても狭くても汚くてもいい。キッチンの床に寝ころがって眠りたい」
と言っていたけど、いやまさかな! と私は思っていたし思っているけど、今の台所ならギリ眠れるかもしれない。…あ、すぐそばにソファーがあるからか! ハハハ。
……床は無理よ、やっぱり。
話題が変わります。
自覚しているかぎりのことしかわからないのだが、私はあまりひとりごとを言わない方だと思う。
職場に一人、激しくひとりごとを言うおじさん先生がいて、授業の開始時間が差し迫っているのにノープランで必死に頭を回転させている時に隣の席になったりすると、「うるさいな」と思うこともある。
ひとりごとの内容は主に、自分の一つ一つの行動についてで、実況というか、順番通りに行いたいことを口に出して確認しながら一つずつこなしているということらしい。
「よしっ、まず、これを出して、えーっと、今日は○組からやな、よし! じゃあ、これを並べたらコーヒーを飲もう」といった調子だ。
非常勤で、固定席を持っていないため、毎回その日の席を確保してから、自分のロッカーにしまってある必要な備品一式を運び、並べ、忘れたり間違えたりすることなく準備するのはなかなか骨が折れることなので、同じ境遇の身としてはよくわかるし、何だったら私も口に出したいぐらいだ。
さらに聞いていると、おじさんのひとりごとは、それだけにとどまらず、スポーツ新聞を読んでの感想(「阪神また勝ったのか!」、週末の競馬予想などとめどない。
それだけならまだしも、この前驚いたのは、「お待たせしました!」と言いながらコーヒーを運んできたことだった。もちろん誰も待ってなんかいない。自分で自分に言っているのである。さすがに、他のおじさんにツッコまれていたけど、ひとりごとおじさんは「アハハハ!」と明るく笑っていた。
その様子を見ながら、私は、この光景はもしかして身に覚えがあるかもしれないと気が付いた。
ひとりごとおじさんは、ひとりごとで、「りょうちゃん(自分の名前)、よく頑張ったな~」とか、「なんやー、うっかりしてた!」とか、「あほやったな~。こんなんしてたらうちの嫁さんに叱られるわ」とか言う。その声は穏やかでやさしく、だいたいいつも笑っている。
……これって、自分で自分に言っているよね? おじさんは、自分を認めたり、ゆるしたり、なぐさめたり、励ましたり……を日々細かく、見落とさず、日常的にやっているのでは?! それって究極の自己回復なのでは??? と思った。
そして、それに近いことを私も家でやっている……!
たとえば、台所の壁紙が上手く貼れたら、「きれい~」とか、「立派だ~」と言い、その後も、見るたびに「この部屋、あの壁のおかげで最高にかわいいな」と思う。
たとえば、一日の中に詰め込み過ぎた予定を何とか終えて家に帰ってきたとき、「あ~よく頑張ったなーすごかった、くたくただーそりゃあ疲れるよ」とか言う。
……いや、今気づいたけどあまり言ってなかったな。心の中で思ってるだけ。もっと声に出すのが大事なのかも。
それに、だんだん新しい暮らしにも慣れてきてしまって、早くも、「できて当たり前」みたいになりつつあり、最短の時間や最小の労力で「こなす」ことに主眼を置き始めている! そうなると、「できて当然」のはずなのに「できない!(間に合わない! 電車に乗り遅れそう!)」とかにすでにシフトしてしまって、褒めるどころか自分にイライラ……どんくさいなーとか、やっぱり元来なまけものだからダメなんだとか……
自分に厳しすぎでしょ!!!
りょうちゃんみたいに、一個ずつ自分を褒めて、喜んでいきたい。
それが幸せの道だ~。やってみるるる~。
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