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ボンボンぼんやり夏休み🌴

夏休みが終わった。
 
学校は別に9月から始まるのでいいのになと思ったけど、予定は変わらない様子らしかった。
 
夏休み最後の3日は、
・「追試」(1学期に赤点を取った場合に受ける試験)の日と、
・休日と、
・授業があると勘違いして行った日。
 
……を経て、ついに二学期が始まった。
 
夏休みの最後に「追試」の採点をするために出勤したり、
授業がないのに間違えて学校に行ったりするのは、
面倒くさくて、無駄足や、損をしたということが重ねて起きたような日々だと言えるかもしれないけど、不思議と私は嫌じゃなかった。
 
1ヶ月余りの夏休みは、頭をぼんやりさせるのに十分で、私は本当に学校にまつわるすべてのことを忘れてしまったから。
まるで新しい場所に行くみたいに怖い気がしたし、
さらに、「新しい場所」であるのは私にとってだけで、他の人々にとっての「慣れた場所」に単身乗り込むような、それは妙な不安だった。
「新しい人」が自分だけだなんて、1年前に初めてこの職場に来た時のことだし、
その時はこんな不安を持たなかった(持たないようにしていた)というのに、これはいったい何だろう。
 
自分だけが「出遅れて」いて、
状況に馴染むのに人一倍時間がかかって、
変なふるまいや失敗をしてしまうのではないかと恐れたのかもしれない。
私は、「みんなはできるのに/自分はできない」という構図が怖いみたいだった。
 
だから今週、練習かのように、数時間~半日ずつ、徐々に身体を馴染ませるようにして出勤するのはちょうどよかった。

どうやら始まるみたいですよー、
ちょっとめんどくさいけどそんなにイヤではないですよね……
そういう気分で、わりとご機嫌に1学期を終えましたもんね? 
職員室でみんなと話すようになってきたし、最後にはコミュニケーション能力と欲求が爆発して終わっていたじゃないですか、
だから、きっとだんだん思い出していきますって。
大丈夫。 

と、脳は(綿矢りさの『私をくい止めて』みたいに)私に言い聞かせたり励ましたりして、不安がる心のかわりみたいに、もう十分に知っているらしい身体が動くのにおまかせして、すーっと行けばいいだけ。
という練習の期間。
それでよかった。
 
 

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(❇️映画『プロミシング・ヤング・ウーマン』の主人公がしていたコスプレ。カワイイ!!)
 
何せ、恥を覚悟で言うと、私は8月の中盤から最近まで、とにかく家でずっと寝ていたのだった。
 
遠方での育児家事のお手伝い(お小遣い付き)から帰宅し、友達と一緒に街や川を何度か散歩して以来、私は2~3週間かけてずっと寝ていた。

その間、出掛けたのは週に一度のヨガだけ。
帰り道に、人生で初めての「行きつけ」(=友達?)になりつつある喫茶店に立ち寄り、そこにいる人たちとおしゃべりするだけ……!(それはスバラシクいい!)
 

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言っておきたいのだが、ずっと寝ているからといって、寝たくて寝ているのは初日の夜までだ!

あとは、別に寝ていたいわけでもないのに寝ている。
だいたい一日目にはもう腰が痛くなるので、苦心して布団の上で姿勢を変えつつ、無理して寝る。
 
私はとにかく寝ると決めたのだった。

それは、積極的怠惰とも言えるし、惰性とも言う。
そんなことはわかっていた。

 
部屋を片付けたくなかった。
引っ越したまま「収納」として使用している段ボールを処分したくなかった。
それ以前に、「収納用品」を注文して、買って、届くように手配して、受け取る、ということをしたくなかった。
歯医者に行きたくなかった。
眼科にも行きたくなかった。
住民票を移しに区役所に行きたくなかった。
それ以前に、「離街届け」みたいなやつを発行してもらうように、前の街に書類を送りたくなかった。
年金にまつわる手続きをしたくなかった。
ワクチンについて前向きで積極的な行動をしたくなかった。
売ろうと思って箱詰めしてある本を、引き取りに来てもらう手配をしたくなかった。
何も料理をしたくなかった。
何も食べたくなかった。
とくに人としたい話がなかった。
文章を書いたり売ったり、新しい仕事について考えたくなかった。
 
まあ、そんな感じ。
多くが、夏休み前の段階では、「しよう!」とか、「しなくては。」とか、「したほうがいいかな…」と思っていたことだった。
残りは、普段だったら「したい♪」と思うようなこと。
 
だから、「何もしたくない」というより、少し前の自分(たち)に反発するような観点と、「ただ、したくない」ということが入り混じって肥大し、大変な大きさの「怠惰」に膨れ上がって暴走しただけだ。

オッコトヌシみたいに!!……??(『もののけ姫』) 
 

『もののけ姫』を久しぶりに観たのだった。
テレビでやっていたし、「観たことない」と言う友達に勧めた手前、私もその気になって観てみた。

・エボシ様の赤い唇が美しく、カッコよかった。
女たちをしっかりと守り、率いていて、そこに住む女たちが「外の世界みたいに、男たちに威張られない」と嬉しそうに言っているのを見て私は泣いた。
25年前の作品で、もうそんなことを描いていたんだね。
・人間の身勝手さと、動物の「生」に対する貪欲さは、「生きよう」とする点ではどっちも同じかもしれないけど人間の方が醜いように見えた。もしかしたら、私は、動物や自然に対して罪悪感があるのかもしれない。
・「恨み」(タタリ神)に呑み込まれそうになる(呑み込まれてしまう)オッコトヌシに対して、「それはダメ!」と叫ぶサンや母(山犬)達のことを思うと、サンたちだって同じ「恨み」を抱えているはずだろうにと切なくなった。
・サンの言うように、<「恨み」に呑み込まれないでいる>とはどういうことなのだろうと考えた。
・「恨み」に自分を委ねることの結末(のひとつ)はこういうことか(オッコトヌシのように、自分を失ってしまう)と怖くなる。
・自分自身を明け渡して「恨み」にならないでいるには、本人の「資質」や「根性」以外に何があるのだろう? 何かあってくれ……と思ったりした。
 

実際は、寝ながら、こんなふうに立派げなことを考えていたわけじゃなく、ただ寝ていた。

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(❇️散歩で見た風景)

「ホルモンの影響」という言葉を最近読んだ小説で覚えたので乱用してみると、すべては「ホルモンの影響」と考えたらもう気が済むのだった。それぐらい、どうだってよかった。
 
私は「ホルモンの影響」で、いろんな場所で寝ながらひたすら本を読んだ。
寝転びながら本当に寝ていることもよくあって、何回も本が顔に激突した。
流していたラジオが終わり、次の番組のDJが夢の中に出てきて気持ちの悪いことを言う……という夢と現実の入り交じる悪夢など……!
 

【読んだ本のリスト】
『マチズモを削り取れ』(武田砂鉄)、『自分で名付ける』・『もうすぐ結婚する女』(松田青子)、『レモンケーキの独特なさびしさ』(エイミー・ベンダー)、『働くことの人類学』(コクヨ)、『スター』・『どうしても生きてる』(朝井リョウ)、『メタモルフォーゼの縁側』(鶴谷香央理)、『乳と卵』・『夏物語』(川上未映子)、『イルカも泳ぐわい。』(加納愛子)、『僕の人生には事件が起きない』(岩井勇気)、『同級生』・『卒業生』・『空と原』・『O.B』(中村明日美子)、『すみれ荘ファミリア』(凪良ゆう)

 
おもしろかったけど、間を置かずに読み続けることは頭がおかしくなるのと紙一重で苦しかった、けどおもしろかった。

ハライチの岩井勇気が好きになってしまったので、エッセイを買って読んだり、おすすめのBL漫画を読んだり、過去のラジオを聴きあさったりした。
新しく好きな人ができるのはとてもいいこと!!! と熱く実感した(している)。しかも、このような時期に。実際には死んだりしないけど、それは生きのびるための確かな救いだった。岩井の語る、わけもなくつい異常になりがちな一人暮らしトークになぐさめられて、私はラジオをごはんを食べるみたいにして聴いた。

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(手がパン🥖)
 
『働くことの人類学』は、線とか引いて熱心に読んだ。
カラハリ砂漠の狩猟採集民族の話を読み、「<生涯、一人で一つの仕事に専念しよう>とはハナから思ってなくて、できることをできる時にできる人がやる感じ」や、「でも、狩猟も好きで、人と会ったり、なんかわかんないけど楽しいことがあると思って外に出掛けて行く」とか、私じゃん! と思った。
流行りの「ノマド」の語源になった牧畜民や遊牧民たちについても書かれていた。
彼らが「一つの場所に定住しよう」と思っていないのは、「定住できる」とは全然思えない環境のため遊牧しているのだけど、「全然定住しようと思っていない」姿は、私にはとても普通に思える。
私は狩猟民で、遊牧民だったのかもしれない。
 
でも、本に取り上げられていた民族のうちの一人が、
「日本人は『仲間のため』と言いながら団結して仕事をするんだろう? すごいよな。そういうことができないから自分たちは少数民族のままなんだろうな」
と言っていて、どっちの価値観にも限定しておらず、よい本……!

むやみに「読みたい欲」だけが突出していて、プロのもプロじゃない人の文章も、ネットであさってたくさん読んだ。
脳がそこから何かの要素を吸っているみたいな感覚で摂取する。お腹は減っても食べるのが面倒で、食べたら部屋が汚れるから掃除するのが嫌だし、そもそも食べるものが家に無く、空腹は過ぎたら忘れることを知り、つらくなりながら読んだ。これは惰性。クスリかも💊💊つまりこれが、一人暮らしの異常性。笑
 

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「ホルモンの影響」かどうかわからないけどお腹が痛くなり、一人で「憩室炎」を疑って、電車に乗って知らないクリニックに行った。
そこでは年配の人たちが集まりワクチンを接種している真っ最中で、明らかに異質な年齢・風体で登場したうえに謎の腹痛・しかもそんなに痛そうでもなさそうな人(私)に対して人々は困惑していて、でもやさしかった。
本人である私自身も含めて、誰も私がどうしてそこに来たのかわからないような町のクリニックで、先生にいぶかしげに住所を見られながら、「何でうちを選んでくださったのか……、職場が……近い……とかなんですかね?」と問われて「(そうでもないけど)ハイ」と答えつつ、たどり着いてみたら便利と言えるほどの立地でもなかったただの住宅地にはるばるやって来た私自身がひたすら恥ずかしくて、マスクで見えないのにずっと薄笑いをしてごまかしていた。

いや、なんか腸とか胃とかを見るのによさそうな機械を持ってるってあなたがホームページで言ってっからさ!
 
診察を受けて、私も先生も双方納得のもと、結局何の検査もせずに(「憩室炎」や「盲腸」にしては、私が痛がってなさすぎた)、薬だけ出してもらった。数日間、痛みや薬の不安(何日間かかけて家を捜索し、段ボールから出てきた「お薬手帳」に、過去に激しい蕁麻疹が出た薬の名前が書いてあり、「お薬手帳」を持って行かなかった私は、知らずにその薬を出されてしまった! ちょっと飲んだ!)におびえ、落ち込んで過ごした。その後、まさしく「ホルモンの影響」で生理になったから腹痛はうやむやになり、というか、何によるどこの痛みなのかわけがわからなくなったから、しばらく放っておくことにした。

「ホルモンの影響」が終わって腹痛はなくなり、そのかわりに「ホルモンの影響」で頭痛ととても眠たい症状があり、ネットで調べたり、身体の要求にしたがってよく寝た(何がなんやら)。

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(団地と花火の絵🎇)
 
それが、その2~3週間にしていたことだった。

期間の長短はあれ、このような状態には時々陥るので、私は「またか」と思って身をゆだねるのだが、
こういう過ごし方(ただ寝ているだけ・めんどくさいのであまり食べない・寝たいけど寝たいわけじゃないけど寝たくて寝ている・つらい)について人に話すと心配される。
(話し方がうまくないのかもしれない。)

自分では、「必ず終わる期間」だと知っているけど、でもやはりつらいのは罪悪感があるからだろうな~。
そうでなくとも、常に「何かしていなくてはいけない」という気に駆られている。
何も考えずにただ休む、ということが本当に苦手だ。まじめなんだな~。
 
適度に放っておかれるのがありがたく、あまり心配されないのも大事だった。

その2~3週間にLINEのやりとりをした友達や、
泊まりに行った家の友達はみんなやさしかった。

私はもう少し元気に、おもしろおかしく存在していたかったけど、自分の頭の中に具体的なことが何も浮かばないので(そのことは少し悲しく)、仕方がなかった。

私は、この症状が永遠に続いたらどうしようとか、
この「あまり何もしたくない」とか、「思いつかない」とかは私が何とかできる問題ではないんだな、
今まで「○○がしたい!」と思ったり、「好き!」と思ったりしていたことも、あくまで心が勝手に動いていたことで、自分の力ではない……。
ということを今さらにして思い知ったような気がして、そうしてやっぱり不安だった。

心、動くかな…。起動するのかしら…。

不安が極まりそうになったとき、一緒にいた友達が、絵を描きながら、「夏休みってことなんじゃな~い?」とのんびり言ったから、私はほっとした。

何も思い浮かばなくても私は友達に会いたくてやって来て、友達は何も浮かばない私の隣に居てもいいって言ってくれてるみたいだなと思った。
何もしていなくても居ていいとゆるゆるゆるされていることや、私が張り切って存在を示していなくてもそこに居ていいのだというのは、もしかしたらこれまであんまり経験していなかったことだったのかもしれない。

自分の実家じゃなくてもそうしていてよく、
一人暮らしの部屋で自分一人のときじゃなくてもそんなふうにしていていい……の? いいの?!?! 
知らなかった。(泣)

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(マリトッツォを食べました🥯)
 
自分がスマホだとしたら、
“ただ充電器につなぎっぱなしの状態”
みたいな期間は、
でもきっと何か一新するようなことなんだろうなという気もした。
頭の中のクリーニングみたいな。
次のことが始まる前の期間。
 
その影響が色濃く出て、私は学校のすべてを忘れちゃったのだった……!(つづく)


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京都が好き。川が好き。
 

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