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4月の課題図書

4月の課題図書🌸

金原ひとみ『ミーツ・ザ・ワールド』

「死にたいキャバ嬢と推したい腐女子」と帯に

なんでこれを買ったんだっけ? って言うと、「友達はその場限りでいいし、時によって変わってもいい」って金原さんがこの本について話していたのを何かで読んだからだった。
ニュアンスが違うところはあるかもしれないけど、私は、
「【人(友達)と自分は違う】ってことを知りながら共存すること」
について知りたかったんだったな。

ある友達がどうやら自分と違うところが多そうで、一緒にいるとちょっとしんどいなーと思うことが増え、どうしたもんかいの~と思っていた。

「じゃあ一緒にいなければいい」と、死にたいキャバ嬢のライなら言うだろうな。
そりゃそうだ。
その潔さに、読みながら終始憧れ続けた私は完全に腐女子由嘉里側の人間だ。
(ところで、この本を読む人でライ側の人間なんているのかな?)
ライの言う通り、一緒にいなければいいのだが、断るまでもないお誘いもあるじゃないか。それを承諾するに至るには、一片の私の「行きたいな」の気持ちも存在しているわけだから、友達でいるか/やめるかのジューゼロの世界ではないんだ、ってみんなもよく言うじゃん。

今度、「私は毎週金曜日の夜街に出て薬物中毒の人が薬を買うみたいに本を買いまくるから毎回そんなに高いお店にご飯に行く余裕がないの」って言ってみよっかなー

何これ急に降ってきた。

🍶

ライと由嘉里はもともと友達なわけじゃないから、思ったことを明け透けに言い合う。
(合コンで酔っぱらい、歌舞伎町の道で吐いていた由嘉里を、ライが拾って家に連れて帰ることから始まる関係。)
自分の意見を遠慮なく相手にぶつけるようなやりとりはまるで議論だ。

あーもしかしたら私は友達と本の話をしたいのかもしれない本を読んでほしいのかもしれない本を読んでって言おっかなー何これ気持ち悪いでしょ人に本を読めなんて

まただ。何か出てくる。

👻

やっぱ本を読まないと止まるんだよなー自分の中の時代がそこで。そして加速するエイジング。すぐにダサくなる。

「人には立ち入られたくないところってあるでしょ。俺は別にさ、他人なんて勝手に死ねみたいなスタンスじゃないよ。むしろもっと、愛したいし愛されたいスタンスよ。人類総ラブよ。でも、超えちゃいけない一線てあるじゃん。死なないで! って泣いて止めるのは違うよね? それはゆかりんもわかるよね? でさ、人の生き死にに人は関与できない・・・・・・みたいな一昔前のサブカル的ノリ?みたいなのも違うよね。今はさ、そうやって色々気を付けてないとダサくなる時代なんだよ。こうなりたくないし、これも違うな、かといってこれもダサいし・・・・・・・みたいな? そういう網の目を潜るようにして生きる時代じゃん? ゆかりんだって感覚的にわかるでしょ? 親友のために過去のトラウマを解消するお手伝いをしましょうっていうストーリーがいかにダサいか」

・・・・・・ってアサヒも言ってたじゃん。

アサヒは歌舞伎町のホストでライの友達。これは、死にたいライ(というか、「消えていることが自分にとっての自然」と言う)を引き止めたい由嘉里が、アサヒに相談した時の返答。

余談だが、アサヒはめちゃくちゃクズなのだが、ものすごくカッコイイのだ。クズなのに! アサヒには、家出少女を性的に搾取している疑惑が最後まであったのに、それを忘れて恋するレベルで好きになってしまった。この私が! そして実はもちろん搾取してなかったってラストで明かされる神設定~✨

由嘉里はライの「死にたみ」を理解できないし、死んでほしくないから奔走する。「生きたい」自分と「死にたい」ライとの間に横たわる永遠の溝に徐々に気付きながらも、どっちかだけを優先させず、また、自分とライを比べすぎたり重ねたりすることなく、自分の意志と希望を物語の終わりまで貫く。ものすごく悩み、傷付くのだけど。
二人の違いが「死にたい」か「生きたい」かなので、書き方によっては悲壮感が漂いそうだし、過去の金原さんの作品では、全体を覆う重め暗めなムードが特徴(それがよかった!)だったかもしれないが、この作品は明るい。アサヒの他に、行きつけのバーのオシン、作家のユキがいるからだと思う。
いや、由嘉里が明るいからだ。推しがいる由嘉里はめちゃくちゃ強くて明るい。

私はライを知って、「死にたい」とか、「消えているのが本当の姿」と自分のことを思う人が本当にいるのだろうとわかった。
それは、自分のことを肯定できないとか、好きになれないということに少し似ているのかもしれない。自分が好きではないということがその人の性質というか。
それを無理やり明るい方向へ導こうとしたり、自己肯定感を強制するのはやっぱり変で、そのままフーンと思う他ないことなのかもしれないな。(これは特に生徒について想像してる。)
たとえそうだとしても、だからと言って完全に何もかもが分かり合えないわけじゃない。ライと由嘉里みたいに重なることがあるのだろう。
しかし、ライは由嘉里のどこが好きだったんだろうな! 
・・・・・・自分と違うところ? ひゃーっ!

授業で生徒の前に立った時に緊張するのは、自分とは究極的に違う人(達)がいるかもしれない、と私が予感しているからだろうか。

自分とは圧倒的に違う人がいるということは絶望でもあるが事実で、でもどうすることができないわけでもないということを考えた小説だったし、そのことはもう忘れない気がする。

ライは死んじゃうかもしれない。でも生きてて、五年後に現れるかもしれない。再会した彼らは幸せそうだったり、不幸そうだったりまちまちよ。でも彼らとまた出会うって、再会するっていう希望は私たちに残されてる。私たちがそれを持ち続けることは、誰にも、神様にも、いなくなっていく彼らにも止められないし、左右できないこと。片思いを何年もしちゃうような慎ましい私たちに残された、ささやかで、強い力よ。

オシン→由嘉里(『ミーツ・ザ・ワールド』)

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