わりときげんよいひと🍦
コピー室で会った人と久しぶりに話した。
(ところで、「自分が何のフォントで書きたいか?」 ということについて、アンサー:「ちょっとずつ変わる」ということを実感している。
丸くなくてよく、ゴシック体でいいし太くなくていいのだが、それに普通の大きさがいい。ない。)
明朝体でいっか。
いや、やっぱりHGPゴシックMだって。
(ワードで下書きしています。)
🤖
コピー室で会った人の話。
時々、「元気ですか?」と言い交わすのが日課の相手で、たいていは向こうが「あまり元気じゃないですう~」と言い、私は「元気ですよ!」と言うというのが定型のやりとりだった。
相手は今日は、「『完全にプライベートなこと』で元気がない」と言う。
こういうことも多いし、そもそも「元気がないんです~」と言うのが好きなんだろうな、この人はと思いつつ、それ以上踏み込むこともできないので、「そうですか……」と返す。
すると、「なぜ元気なんですか? 何もかもがうまくいっているんですか?」と聞かれた。
聞かれると、別にうまくいっていないこともたくさんあった。LINEは来ないし、私は日曜日は寝てばっかりだ(寝ても寝ても眠い)。〈月~土曜日まで頑張って日曜日に閉じこもる〉ということを特段したいというわけでもなくしていて、そろそろ飽きそうだった。そして、「もろもろ、このままでいいのか?」というのは、そういう日曜日にわりと浮上するテーマだ。ごはんも作らないしな。部屋の片付けもしたいのにしていない。授業が予定の速度で進められていないところが出てきて少し心配が生まれたし。うまくいっているとは言えない。
それら全部がよぎったわけではないが、
「全然うまくいってないこともありますよ! でも何て言うかご機嫌って言うか……」
ご機嫌なのか? そうか、ご機嫌……。
深いような浅いような、でもいい会話だったな~と思った。
あの人はこういう会話を好むなあ。私もね。
ところで私はなぜ元気なのか? だったな。推しがいるわけでもないのに。
🛸
当面の苦しみから解放されたというのは大きそうだった。
少し前まで、チームを組んでいる人による「アカハラ」っぽいこと(名付けるとするとね)に、数日間悩んでいたのだが、自分が悩んでいるということに気付いてからは楽になった。すぐに行動して、立場のある人に言ったから! だから今はもうらくらく。
自分が悩んでいるということに気付いたのは、美容院だった。美容師さんに、なぜだかわからない重苦しい気持ちを話していたら、自分が具体的に、そして実際的に悩んでいるということに気が付いた。「アカハラ」めいた要求や難問に責任を持って対応しようとしたから辛かった。その間ずっと一人で抱えていたから私はとてもしんどかったのだった。
でも、美容院で、私はなぜこの話をしたいと思って今しているのか、考えながら話してみようと決めて、観察しながら実行してみたらすぐにわかった。私、辛かったんだ! って。それで、立場のある人に言おう、明日言おうとすぐに決めることができた。
自分がなぜその話をし(ようとし)ているのか? =【コード】について意識する、ということは、千葉雅也の『勉強の哲学』に書いてあった。
相手に :
相談したいのか?
背中を押してほしいのか?
笑ってほしいのか?
共感してほしいのか?
あなたは間違ってないよって言ってほしいのか?
それを意識するというのはつまり自分を客観的に見るということなのだが、そうすると、会話がずいぶんスマートになるなあと思った。シンプルでわかりやすくなる。会話だけでなく、それにともなう感情もストレスが少ない気がした。
私は、美容師さんの前で、なんだか最近気分が重たく、しんどい心境であることについて話すことによって整理し、問題点をあぶり出したいと思ったのだった。そのための聴き手としても、タイミングとしても、その時、美容師さんはとてもふさわしかった。
これは大きな学びだ。
さて、じゃあ当面の重荷がとれたから私はご機嫌なのだろうか……?
それもあるがそれだけでもない気がする。
重荷がのっていた時だって私はわりと元気だった。
何にせよ、元気だということにしておきたいのかな? ウーム。
朝井リョウがテレビで、「……とは言え、自分はどちらなのか? と聞かれると、やっぱり私はポジティブなほうです」と言っていたのを見た時、私もー! とすぐに賛成した。
性質かもしれない。でも、そんな答えじゃつまんないしな。私はこういう話題について、あーだこーだ言いたいのだ。話しがいのある誰かとずっと話していたいのだ!
自分の中で、物事に対するスポットライトの当て方が、わりと均等なのかな?
いいことも悪いことも?
うーん。
🧘
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