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わたしたちの戦場のメリークリスマス

1 6月、2017年

わたしは毎日戦場を歩んでいる
そこは見渡す限り、女性しかいない
たまに男性もいるらしいが、それはとても珍しい事だ
毎日、毎日、わたしはひたすら前へ進んでいる
三ヶ月
半年
一年
二年
年月ごとに一本の柱が立っている
わたしはその柱に辿り着くと、ほうっと一息つく

ーああ、ここまでなんとか生き延びる事ができた。

乳腺外科
乳癌という病の襲撃を受けた兵士達が集うところだ
年齢は様々
二十代らしき若い人もいれば、白髪混じりの年配の人もいる
待合にはテレビがひとつ
時刻は情報番組の多い午後二時過ぎ
聞き流されているだけのテレビに、その場にいる皆がハッとした


「…ああ、亡くなられたのね」
「まだお若いのに」


テレビの画面には、とても美しくて若い女性の顔が
キャスターとして活躍され、ある歌舞伎俳優のパートナーになった方だった
同じ名の敵と闘っていた人であった
実際に会ったことはなくとも、同士の様に感じていた

その人が天国に召された

静寂が訪れた
そこにいた誰もが、その方の早すぎる死を悼んでいたのだと思う

ー敬礼!

不思議とそんな言葉が浮かんだ。

ー敬礼!

荒くれた野っ原の戦場で女たちが真っ直ぐに立ち

ーお疲れ様でした!

天を仰いで敬礼する
そんな光景が頭の中に浮かんだ

「再発の様子はありません」
「ありがとうございます」
「次は半年後に」
「はい」

わたしはどうにか術後三年目を生き延びたらしい
会計を済ませていると、見知った顔の人とすれ違った

「あら、あなた」

Hさんだった
病院の進めで行ってみた患者会で知り合った方だった
初心者のわたしにいろいろな事を教えてくれた
サバイバー歴10年過ぎの歴戦の勇者だ
笑い皺が印象的な明るい方だった
Hさんは隊長と呼ばれ、戦場における情報交換の場を提供していた

「医療の進歩は凄いわ。それに期待しましょう。生き延びるのよ、それまで」

昔は死の病と言われていた色々な病も、人類は乗り越えてきたんですもの
いつもHさんはそう言っていた
確かに歴史を振り返れば、病魔との闘いばかりだ
ペスト、麻疹風疹、破傷風、猩紅熱ー
いつか、人類は癌も克服できる日が来るのかもしれない
ひょっとすると、簡単に
抗癌剤?あんな恐ろしい薬を使ってたの?
切除していたの?なんで?
信じられない、みたいな日がくるかもしれない
そんなことを考えながら、目の前の1日を生きて、生きて、生きて。


2.   12月、2017年

半年後

「大丈夫ですね、再発無し」
「ありがとうございます」
「また半年後に検診に来てくださいね。じゃあ。メリークリスマス」
「あ、そうですね。先生もメリークリスマス」

たまたまその日はクリスマスイブの日だった
病院を出ると、雪が降っていて、街はキラキラと輝いていた
繁華街の街路樹を飾るイルミネーションの下で、Hさんを見つけた
人混みの中1人立ち止まって、点滅する光を見上げていた

「Hさん!」
「あら。検診に行ってきたの?」
「はい。今年もなんとかセーフでした」
「良かったわねえ。私ね、またやっちゃったみたいなのよ」
「え?」

明るく話すHさんの言葉は、その真逆の内容だった


再発。


この二文字がどれほど恐ろしいか
体じゅうの血液が、氷みたいに冷たくなった

「だから、今のうちに綺麗なものをたくさん見たくなって。ここに寄ったの」

白くてさらさらな粉のような雪が舞う聖夜
イルミネーションの柔らかい光の下を、たくさんの人が行き交う
美しく煌く、街の明かり

思わず泣けてきた私に、Hさんが謝った

「ああ、ごめんなさい。こんな楽しい時に、暗い話だったわよね」

クリスマスのパレードが始まった
機嫌の良いサンタとトナカイを筆頭に、たくさんの子どもたちが歩き始めた
子どもたちの腕にはめた鈴の音が鳴り響く
パレードの中にいる我が子を撮ろうと、親たちの携帯の光が瞬く
Hさんが言った

「もう十分に生きたかしらね。私もうすぐ60歳なのよ。子ども3人も独立して家庭も持ったし、孫も見たし。やることは全てやったって感じかしら」

わたしは何も言えなかった

「なんて、嘘よ。再発したとは言っても、すごく初期の初期なのよ。さっさと取っちゃって、終わりにするわ。まだまだ生きるわよ。大丈夫、大丈夫よ。ごめんなさいね、あなたを不安にさせたわね」
「いえ」
「またお会いしましょうね。あなたも、どうか元気で」
「Hさんも」

そしてHさんは街の人混みの中に消えて行った

Silent night, holy night
All is calm, all is bright

クリスマスに良く聴く曲が流れている
わたしは人混みの中を泳ぐように歩く
しばらくあてどなく、歩く

「どうか隊長、ご無事で。きっと生還してください」

そう呟いて、空を見上げたら、目に浮かんだのが坊主頭の誰かだった
あれ、誰だっけ、としばらく考える
坊主頭が下手な英語で、メリークリスマス、メリークリスマスと言っている

Merry Christmas!
Merry Christmas!Mr.Lawrence!

昔見た映画の、あれだ。
戦メリだ。戦場のメリークリスマスだ。
頭の中に、あのしんみりとしたピアノの旋律が流れ出す
良いね、と思った。今のわたしに一番ぴったりのBGMだ
映画の内容自体は全然合わないんだけどね
坊主頭の誰かの声がずっと繰り返される。

Merry Christmas!
Merry Christmas!Mr.Lawrence!

幸せで温かいクリスマスソングと、しんみりした戦メリのメロディが交差する。

カオスだな、と乾いた笑いが思わず出る。

どうか
どうか神様、Hさんのこれからの戦いに、少しでも、あなたの力をお与えください

そう願った
2017年の冬のこと

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3.   10月、2020年

コロナ禍に見舞われたこの年に 隊長は帰還した

マスクに医療用帽子に 装備をガッチリと固めた姿で 患者会に現れた

「まだまだ生きるみたいね。私って結構しぶといみたい。そうそう、2人目の孫が生まれるそうなのよ。コロナコロナで色々心配もあるけど、無事に生まれてくれるといいわあ!あなたも元気そうで何よりだわ。何年目?ああそう、6年!5年の節目を過ぎたのね。あなた良かったわね、本当に良かった」

隊長はたくさんの笑い皺を浮かべて、まるで太陽のように眩しかった。


                               おしまい

         

               2020年、10月過ぎ、嬉しいことがあった日に。








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