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誕生日おめでとう、僕のTwitter

12/12、珍しく通知が入っていることに気付いて見てみたら、Twitterが記念日をお知らせしてくれていた。

僕は誕生日を登録していないので、僕自身の誕生日ではない。

少し考えて、気づいた。

2017年12月12日、「ゆんぐう」のアカウントが生まれた日だと。

擬人化するのもバカらしいくらい、ほとんど稼働していないアカウントであり、自分自身でもブログと連携させたり、自身でタイムラインを見たり、メモ代わりにリツイートしたりいいねしたりする程度にしか使わないので、呟きの頻度たるや恐ろしいものがあります。

薄々察せられるかもしれませんが、僕はTwitterが苦手です。

見る分には便利だなぁ、と思うのですが、下書きを挟まないあのスタイルが、僕みたいにものを考えずに発言するところのある人間にはいささか使いにくかったりします。

下書き挟むnoteですら、後から「あー」と悔やむことがあるくらい、割と衝動に任せて放言するところがあるので、思っていることをばーっと書いていくTwitterはどうも苦手です。

それで許されるとは思っちゃいないけど、自分があまり言葉が綺麗ではないことも、人の発言を真に受けて考えなしに暴言で返すようなダメさ加減があることも知覚しています。

Twitterを見ていて思うのは、本当に人は無自覚に嘘つきだ、ということ。

恐ろしいくらい正直に、誠実に、そうでなければいっそ楽しく使う人がいる半面で、息を吐くように嘘を吐いてしまう人がいます。

学歴を偽るとか、職業を偽るとか、未婚なのに既婚者ぶるとか、その逆とか、そんな嘘はたいしたものではないのです。
自覚的につく嘘は、ばれた時に自身の信頼を損なうかもしれないけれど、ネットの世界のみの肩書きに大した意味もないので、損なうものは大したものじゃないかもしれない。

けれど、無自覚につく嘘は、きっと必要以上にその人を貶めてしまうのだろう、と思います。

なぁ、貴方は本当に「そんな人間だったのか」と思われたいのだろうか。

きっと本心からの言葉でもないだろうに、何故、あなたは「最低の」発言をしているのだろう。

たとえどう思われたって、それが本心ならば、きっと失うものは「失うはずだったもの」だから、そんなには痛手ではない。
けれど、「本当はそう思わない」ことで失うものは、たとえ1mmだってとんでもない損失だ。

Twitterをやっていると、僕は常にその瞬間に恐怖する。
適当に呟いた言葉が、そんな深い意味もなく誰かを刺すことがあることを、僕は本当に認識しているだろうか。

たった一言で露見する人間性も、たった一言で失う信頼も、いくらでもあることを、そこまで意識して使えているだろうか。

そんなことを考えながら、まぁ、その時はその時と苦笑いしながら、Twitterをいじっていたりする。

改めておめでとう、僕のTwitter。
もうすでに5日遅れになったけどね!