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現実と虚構は違う、なんて当たり前、のはずなのに

「言いたいことは言おう!」という風潮が強い昨今。
でも、威勢がいいのはネットの中だけで、現実はなかなか言えないのが古来からの日本人気質なのでしょうか。
実際には言わない、社会人は我慢、忖度という単語が躍るご時世。
せめてネットだけでも言いたい、そんな風に考えてしまうのは分かります。

僕もそうです。

妹に「普段、そんなに気が小さいくせに、どうせnoteではイキった文章書いてるんでしょう」と言われて「なんで僕のnoteのアカウント、知ってんだよ!」と反応してしまった現実の僕、めちゃくちゃカコワルイ。
(実際には身バレしていません。ひゃっほい)
その瞬間だけ、Twitterに「死にたい」と呟きたくなる気持ちが分かってしまう等身大の自分は、noteの中で背伸びしている自覚はあります。

イキリ、イキリト君、意識高い系。
様々な言われ方をしますが、ネットの中でくらい、自由でいたい。
電脳の中でくらい、カッコいい自分でいたい。

現実は立派なネット弁慶、気が弱すぎて何も言えないチキン君。
だからこそ、ネットでだけでも物申したい、正しい自分を演出したい。

何度も強調しますが、僕もです。というか、僕がそうです。

だから気持ちは分かりますが、ちょっと待ってください。
そのイキリ、ネットの中だけで済んでますか?

と、妙に煽りっぽい始まりにしてしまったので、気を悪くされた方多数かもしれませんが、別に既存のラノベやラノベファンを否定する気は欠片もなく、純粋に楽しんでいるファンを嘲笑う気は欠片もありません。

しつこいですが、僕もそうなのです。
明らかに厨二こじらせて、いい年こいても治らないタイプなので、そこを執拗に叩く意図はありません。何だよ、その自傷行為。

自分がファンかどうかはさておき、SAOはオンラインゲームを主題として扱ったライトノベルの先駆者として偉大だと思っておりますし、キリト君は普通にかっこいい男の子だと思います。

むしろ、なんでこんな造語になったかなぁ。

本来、多少の自己投影性を持ちながらも、創作というものは完全に虚構の世界であることを理解しながら、人はそれを楽しんでいるはずでした。
現に、誰もがそう思っているはずです。
それでも時に人は、「現実と虚構の区別がつかない人が出たら困る」という理由で虚構を叩きます。
そしてそういう常識的な人が、ラノベのような、現実世界では浮いてしまうほど「カッコいい」セリフを無意識に吐いていくのが両立するのです。

確かに、彼らは現実と虚構の区別が「つかなくなる」のです。
良い年をした大人が、不倫ドラマを見て不倫に焦がれたり、はたまた真剣に目くじらを立てたり、自分自身がつかなくなりそうになった経験から「つかなくなる」というのです。

僕も、一概に否定はしません。それもまた、いいじゃないですか。
自転車アニメにハマってロードバイクを買う行為やバスケ漫画にハマってバスケを始める行為が、虚構に焦がれてあり得ない現実を夢見た果てなのだとしても、人に迷惑をかけなければいいのだと思うのです。

けれど、それが迷惑をかけないのは「若い内だけ」になりやすいのです。

日本という国は、未だ年功序列が強い国です。
年長者には発言権があり、年長者が現実にそぐわない虚構を夢見た時、「虚構にそぐわない現実」を虚構側に寄せようとしてしまうのです。
本当はそこまで仕事が出来る訳じゃない人間が、「この部署最強のガーディアン」ぶって振る舞ったり、お仕事漫画に感化されたセリフを後輩に吐いて恫喝した時、それを「イキリ」と流してくれる後輩でない場合は、予想以上に傷ついてメンタル不全に陥らせてしまうこともあるのです。

本当のところは必ずしもそうではありませんが、あくまでイメージで言いますと。

残念ながら、ラノベやドラマの主人公というのは、格好いいけど揃って愛想がない、同性の同僚や年下に優しくするのがあまり得意ではなさそう、と捉えられがちな子たちばかりです。

それでも作品世界の中の当人達にとっては個性ですし、それなりに自分の個性とお付き合いしていると思うのですが、そんな彼らの模倣をした現実世界の人間はフォロー下手になりやすいです。

小説やドラマの世界では、主人公と対している「誰か」の感情のバランスがちゃんと取られているはずです。
けれど、現実世界の「誰か」は自分にとって制御できない相手です。
自分にとっては「良いこと」だって、相手が「良いこと」に消化出来ないのなら、やらない方がいい、言わない方がいいことだってあるのです。

たとえば厨二的セリフとして
「お前の力はこんなものなのか」を上げてみましょう。

相手が『○○は口が悪いが、実は優しい』と心の底から信じてくれている状態で聞くのと、気を遣わなくてはならない面倒な相手だと思って聞くのとでは破壊力が全然違います。

更に言うと、自信家な人間にいった場合と、過小評価がひどくて落ち込みやすい人間にいった場合も違いますし、普段は明るい人間でも大失敗をやらかして落ち込んでいる時ではまた違います。

その辺の見極めをしなければならないことが、現実と虚構の違いです。
それが出来ないなら、どうなるのか。

立派に、大迷惑な存在になってしまうのです。

そして、個人的には僕が、どうあがいても「人は人が生きたいようにしか生きられない」と投げやりに思う僕が、何でこれをまるで否定するかのように言うのか、といえば。

ふ、ふざけるなよ、この性格ブサイクのクソジジイ(ババア)がぁぁぁぁ!
謝れ、詫びろ、作中の○○に土下座しろぉぉぉぉっっ!

ラノベやドラマの主人公気取りなんだ、と気づかされた時の、相手のとんでもない痛々しさを笑うより前に怒りが湧き上がってくる辺り、僕もまだまだ未熟だなぁ、と少し経つと冷静になります。

とはいえ、ここで一番重要なのは。

イタい(かもしれない)○○ごっこを始めた時、許容出来るかどうかは当人の人格次第ってところでしょうかね。
僕だって、言うこと真っ当で優しい上司が「俺の右手が光ってうなる」って言ったくらいで引かねぇわ、別に。
謙虚で明るい後輩が「○○は俺が守る!」って決めポーズ作ってるくらいなら、「まぁ、残業続きで疲れてるんだなぁ」程度にしか思わねぇわ。

人格なんて言ったところで、性格なんて良い必要すらねぇわ。
内面の性格がとんでもなく悪くたって、人間だもの、としか思わんよ。

ただ、さ。

弱い立場の人を選んでいびるようなゴミメンタルの人間が。

自己完結できずに、人を踏み台にするしか出来ない自分を持ち上げる為に。

なりきりごっこをするんじゃねぇぇぇぇ!!!

一番ムカつくのは、今みたいな「オタク=クールでカッコいい」みたいな勘違いしまくった風潮がない頃だったら、率先してオタクをバカにしくさったような「一社会人として」「会社員として」「ビジネスマントシテ」連発人種のくせに、こういうことするっていうのがもう、僕の中で、好きな子を目の前で寝取りされているようなムカつきを覚えて(以下略)。

まぁ。

一番イタイのは、こんなことで「寝取り」とか言ってる僕自身です、はい。