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ひまわりの記憶

10代の頃、ホームページを持つのが流行った。当時は、前略プロフィール全盛期時代。身近にいるのに知らない人と繋がれることがすごく面白かったし、現実社会では出せない弱音を吐ける場所があることが救いだった。

あの頃は個性豊かで、今よりもゆるい多様性があったような気がする。個性を押し出しても、批判より仲間が群がってくるようなあったかさがあった。

私が運営していたのは詩のホームページ。退屈な授業の中で考えた詩や口にできない感情を詩に込めては、ホームページに載せていた。青臭いその頃の詩たちは今でも思い出せるほど自分の中で印象深い。10代ならではのあどけなさや世間知らずな視点、反骨心がストレートに詰め込まれていて、自分で考えたのに今でも自分の胸に刺さることがある。

あの頃から私は文字の中でだけ、呼吸ができた。言葉や表情で会話をするのは自分にとっては難しいことだったから文字に想いを託しながら、なんとか生きていた。

そんな時に出会ったのが、年上の男の子。私はその人が紡ぐ詩に一目惚れをした。普段、私は人の文をあまり読まない。小説などの作品類は別だけれど、個人の詩やエッセイなどはもし感化されてしまうと自分がどこかに行ってしまうような気がするので、なるべく目にしないように避けている。それは今も変わらない習慣だ。

なのに、その人の詩だけは心にすっと入ってきた。文から漂ってくる孤独感と絶望感に、心が共鳴した。

名前も顔も知らない相手が気になる。名前も顔も知らなくてもいいから、この人の見ている世界が知りたい。心底そう思って、詩を送ることにした。今振り返れば、拙い言葉の羅列だったと思う。

すると、その人は返詩をしてくれて、以来、私たちは時々、詩を送り合うようになった。クリスマスや誕生日には、相手のことを思って詩を紡ぐ。それが私たちの恒例行事になった。その人の紡ぐ詩はやっぱりどこか寂しくて、それでいて抱きしめられている感じがするほど暖かかった。例えるなら、死のそばにあるぬるま湯のような感じ。絶望がすぐ近くにあるのに、なぜな優しさも感じられるのだ。

ある日、私は彼に「太陽みたいだね」と言った。大げさではなく、彼は息苦しい私の心を晴れさせてくれる太陽だった。そしたら、彼は「もしそうなら、君は向日葵だね」と言った。なぜと問うと、「太陽は向日葵に必要とされるから生きていけるんだ」と言った。

自分に価値なんてない。私の言葉は誰の耳にも届かない。本音が発せない家庭の中で、ずっとそう思ってきたから彼の言葉がすごく嬉しかった。花になんてまったく興味がなかったけど、その日以来、私は向日葵が大好きになった。その花の形を頭に思い浮かべるだけで、温かい気持ちになれたから。

彼との関係は数年後、終わった。私が彼の中に踏み込みすぎてしまったからだ。もっとこの人を知りたいと思ってしまった。その気持ちが彼を追い詰めた。彼の過去や苦しんでいるものを受け止めたいと思ってしまった。生い立ちを語った彼はホームページを閉鎖して、姿を消した。私は彼の歩んできた人生を目にして、その重さに泣いた。ここまで生きてきてくれたことにありがとうと伝えたくて、泣いた。

その後、私の誕生日やクリスマスにだけメールが来ることがあった。年に数回のメールは一方的で返信をしても2度目のメールは来ない。でも、そこには毎年詩が綴られていて、それを見る度に私は最高のプレゼントを貰った気がした。どんなに値が張るプレゼントよりも、彼が紡ぐ言葉の羅列は私を笑顔にし、勇気づけてもくれた。

数年経つと、自然にメールは来なくなり、私の中でも徐々に彼の存在が小さくなっていった。でも、あれから何十年経ったけれど、向日葵を見ると、いつも彼のことを思い出す。唯一、私が好きになれた花。綺麗だと心から思える花。

今頃なにしてるんだろうと、ふと考えることがある。何かの拍子にSNSで偶然繋がれたりしないかなあと、妄想を繰り広げることある。大人になった彼はどんな人生を歩んでいて、あの後どんな風に生きていったんだろう。あの頃と同じような孤独や絶望をもし背負っていたとしても、泣いていなければいいなと思う。

いつも誰かを照らし続ける太陽でなくていい。そうでなくても、あなたは必要な人だと今の私なら伝えられそうな気がする。私も、あなただけを必要とする向日葵ではなくなったけれど、風に晒されながら、それなりに逞しく生きている。

いつか。そんな奇跡がもし起こったら、また詩を介して、心の会話をしたい。

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