ある程度の生活ルーティンが無いと人の心は終わっていく話。

今がまさにその状況でして。

私は母親と二人暮らしなのですが、基本的に生活リズムが同じ又はどっちかに合わせてる事が多く譲り合いだったりある程度の波はあれど崩れたことは一度もなかった。

それが今現在、さっぱり崩壊してしまっていてどうしたらいいのか全くわからない。

ここ一ヶ月、母の具合があまりよくない。
私は恐らく母のこの症状を糖尿病だと思っているのだが、母は重度の病院嫌いで内科に行こうとはしない。しかも若干の陰謀論者なので病院を寧ろ毛嫌いしている。
しかし毎回言うことは同じ「長患いはしたくない、死ぬならサックリ死にたい。」…そんな都合のいい話があるか。

祖父(母の父親)は100歳まで生きるであろうと思うくらい毎日ピンピンしていて、長距離をありえないスピードでガンガン歩くし(京都旅行では置いてけぼり食らって難儀した)毎日三食キッチリ食べて生活のルーティンを一切崩さなかった。
そんな人であっても、晩年は胃ガンが見つかりステージ4で高齢だったこともあり、ステント拡張で十二指腸の入り口を広げ食べ物の通りは良くしたが、あとは痛みを逃す延命のみしか施しようが無かった。見つかってから約3年で亡くなった。ステージ4の割には長生きしていた方だと主治医は言っていた。

見つかった当初は「まあ、なんとかなるさ。」と病院の食堂でカキフライ定食をペロリ平らげていたが次第に物も言わず、食べもせず、最後にはあんなにふっくら肌艶のよかった頬がしわくちゃの紙のようになり、この世の全てへの意欲を失った目をして、私たちが祖父の年金受給日にお金を下ろして様々な支払いをした後、会いに行ったその日の深夜に人目に触れず病床で血を吐き、亡くなった。

余談だが、カキフライ定食を平らげていたあの日、祖父の後ろの席では主治医がコーヒーを飲んでいた。
母は「主治医はきっと思ってるよ、祖父さん、胃ガンなのにカキフライ定食なんか食べて!って。」と祖父に言うと、しばらく考えた後に爆笑した。祖父の爆笑は大声を出さない、ニヒルな顔で笑うのを今でも鮮明に思い出せるほどよく覚えている。

母よ、貴方にはそんな祖父の病への恐怖と生への執着をその曇りなき眼で見たはずだろう。そんな生命力に溢れた人でさえ長患いしたのだ。

実際、人生は何が正解なのかは分からない。

分からないからこそ美しいと言う人も居るが私は分からないからこそ厄介でしかなく、面倒臭いなと思うのが本音だ。

私と母は29年間同居し、共に暮らしてきた。まあ私が実家住まいだと説明した方が早い。理由は特にないが家から出る理由もないしなんとなく、母を一人にするのは可哀想だとも思ったからだ。
しかし、今はその選択が間違いだったのではないかと思うことが増えた。

小学生の時に両親が離婚して以来、母はパニック障害と不安神経症を患い普通に働くことが出来なくなった。それ以来、うちの家計をほぼ支えてくれていたのは祖父で、必死に貧乏の最中走り続けてきた。
祖父が亡くなってからは私の稼ぎだけで生きてきたがやはり私一人の収入で二人食っていくのは大変だ。オマケにこの税金が高くなってきた昨今ではより生活が苦しい。相変わらず貧乏のままだ。更には2年前から私が鬱病になり、パートタイムでしか働けず家計はどん底にまで落ちることもあった。

今、母はもううんざりだと言い始めたのだ。

具合が悪くて機嫌が悪いのも相俟って、昨日は私への文句が止まらなかった。なんなら私と暮らしたくない、根本が合わない、無視したい、死にたいと散々ぼやいたのちに10時間以上眠りについた。恐らく精神安定剤の飲みすぎで起きれなかったのだろう。

その間私はと言うと仕事が休みだったので、溜まった家事を全てこなし、自分の面倒も見て、疲れきったところで母の機嫌を治すために甘いものをコンビニで調達し、すっかり次の日の朝になってしまって、風呂に入って眠ったのはそんな愚痴を聞かせられた翌日の昼過ぎだった。

恨んだりはしていない。この境遇に自分の身を置いているのは自分だ。ましてや長年精神障害の母の機嫌を取ったり、時には有り得ない程の暴言を吐かれても黙って辛抱したりは慣れている。

だが、今回は参ってしまった。
何故なら慰める言葉が皆目見つからなかった。

本来なら「そんなことを言わず、仲良く暮らそう」と肩の一つでも抱いてやれば良かったのだが、私自身が今の生活に疲弊してしまってるからだ。

今の生活が嫌だ→そうだね
お前は私のことを何もわかってない→そうかもね
お前と暮らすのはうんざりだ→私もだ

そう、うっかり私も疲れていると言いかけてしまった。

こんなことを言ったら家族とは言え崩壊の一途を辿るだろう。結局、ボロカス言われてる私が何故かボロカス言ってくる方を慰めるしかなくなる。

それと同時に自分の一人立ちの出来てなさに驚いてしまう。ある程度の生活力はやっと身に付いたと思っていたが、母が寝込むととんでもなく辛かった。精神的に参ってしまった。

最初から共に暮らしていなければ、こんな事にはならなかったのに。早く実家を出るべきだった。互いの存在が互いの負担になってしまってると最近骨身に滲みている。

家族と言えど一人一人の人間だから、意見も違えば考えも違う。しかし私は母の意見が絶対の世界で生きていたので今ごろになって弱った母に決定権を渡されるのがとんでもなく怖いのだ。

長患いしたくないと母は言ったが、既にこの家は長患いしているだろ。

結局、共同生活において生活ルーティンは大切だと改めて感じる。私が週5正社員のように働き、母を私の面倒から解放してやりたいし、私自身もしっかり働いて母から距離を置きたい。これが正解だ。そうすることで貧乏も少しはマシになるだろうし、生活もしやすくなる。

精神病が二人も揃うと大変だ。本当に。
当分はこんな思いをしたくない。毎日神に祈るような気持ちで起床するのだ。





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