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実はもう変わっている【夢日記】

 おばあちゃんちの裏はちょっとした森のようになっていた。森を背負っているような形。おばあちゃんちに行くことは、森に行くことというような気持ちだった。

 父の運転する車に母と私は乗っている。母は助手席、私は後部座席。父が何かの問いに答える形で「これを見てみ」と古い冊子をこちらに寄越した。
 それは本当に古い古いもので、中を見ると家庭科と美術の教科書を一緒にしたようなものだった。でも、中身は漫画雑誌のような気軽さがあった。今見たら裁縫の手順などとてもわかりやすく図解で載っており、「これ欲しいなぁ」と内心思うようなものだった。
 そして、その冊子の始めの方に、父が描いた絵が描かれていた。それを見て私は父を少し見直した。父はこんなふうに絵を描けるんだ、と。
 父の意図はおそらくそこではなく違うところだったけど、それは私がその冊子を手にして父の絵を見たことで解決したように思った。

 そのまま車で進んでいくと、少し暗めの道に入った。日がかげっただけかもしれない。前方に茶色っぽい土台のようなところがあって、そこで見たことのあるおじさんが何か体を動かした表現をしていた。「あれ! もしかしたら大木さんかも!」 こんなところで、大木さんの一味に遭遇するなんてなんて偶然だろう! と半ば感動している。感激とともに通りすぎる時によーく目を凝らしてその男性を見ると、私が知っている大木さんとは少し違う人に見えた。私は少し残念がりながらも、心のどこかであれは大木さんだ、と思っている。

 大木さんを通り過ぎて少し行ったところで車が止まった。
 そのままいつまで経っても車は動かない。止まっている時間が長いなぁと感じて、私は目の前の障子を勢いよく開けた。開け切ったピシャっという音で、私と母は自分たちがどこかの家の小さな畳の部屋にいることに気づいた。
 開けた障子の先は小さな軒からの狭い庭が見えていた。私と母は顔を見合わせて「私たち今まで車に乗っていたよね」と確かめ合い、今までのことがなんだったのかお互い理解できなかった。車も父もどこにもいない。

 私は立ち上がって、誰かいないか部屋の奥の方へ足を向けた。奥には先ほどの大木さんの公演の受付みたいなところがあるのみだった。


 その同じ部屋だったろうか、すこし賑やかな雰囲気になっており、母と小さな男の子がひとり、私と母の間で何か本を覗いている。私はその子を従兄弟だと思っている。従兄弟は、夢中になっている本の一部を私に寄越した。織り込まれている部分のもので、それは地図だった。
 どこの地域のものかわからなかったが、陸ばかりでなく海が入り組んでいる地域のものだった。私はなにかすごいヒントをもらったような気がした。その中の一部に、おばあちゃんちのあるところの地形・配置とよく似ているところがあった。背後に森を背負っている家。でも、似ているだけであってそれと何か関係があるかはわからなかった。
 それとは別に私が気になったのは地図の上部、島が切れ切れに連なっている部分。地図に顔を近づけてよく見ると、西側にある島から東側にある島への交通手段として、飛行機が使われていた。飛行機が飛んでいる絵がコマ送りのように描かれていた。あるいは実際のものとして見えていた。私はロープウェイで行ける距離なのに飛行機使うんだぁ、と思っている。

//夢ここまで
at 20240623

~筆者雑記~
 後に残る夢だった。狐につままれたような、今までの現実は実はこうでしたー、といわれてるような。父が運転する車に乗っていた母と私は幻想を見ていたのか。ピシャっという音で我に返るが、障子を開けたのは車に乗っていると思っている私なので、現実が変わっていることを無意識に見えてはいるけど、頭でも心でも認識できていないという状態なのかもしれない。実は、これと同じような夢を数日前にも見ているのです(^^;)
 今回のもうひとつの要点は「冊子」でしょうか。今回の夢ではそこから2回も何かを感じ取っている。切れ切れになった島の雰囲気は、愛媛と広島の間あたりの瀬戸内海の雰囲気と似ているかなと思います。
 森を背負ったおばあちゃんちのエピソードも見ているのですが、残念なことに思い出せません…(涙)


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