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信念の価値はどこにある

1. 信念

信念・信条は、行動を通して望ましい報酬を得たり目標に達したりするための道具としての側面を持つ一方で、それ自体に価値があり、目標とされるものである。

したがって、信念・信条は、単に外界の情報によって形成されるのではなく、それがより高次のシステムによって処理されることで形成される。Confirmation bias, selective attention, theories of motivated belief formation等で示されているように、言い換えると、外界から刺激(特にcertainty and positive valence)を受容するときと、脳内で処理するときの2つの段階で外界から選択的に情報が得られている。
この一連の情報処理は一方向に進むのではなく、常に双方向性にアップデートされるものである。

ちなみに、以前は、信念・信条はそれ自体が益であり、またそれを通した行動によっても益を得られるという特性から、報酬と信念は結びつけられ記憶されていると想定されていた。しかし、例えば喉が乾いていれば水の価値が高くなり、お腹が空いていれば食べ物の価値が高くなるように、実際には(脳のOFCという部位が関わり)コンテクストによってその価値が変動する。

さて、信念自体に価値があることをもう少し掘り下げてみる。人には、自分の信念に沿うような新しい情報を得ることで、信念をさらにアップデートし強固にしていく、情報の非対称性がある。この非対称性こそが精神的健康につながっていると考えられている。ただ、環境によってはこの非対称性は望ましくないこともある。

特に私が面白いと思うのは、低次と高次の脳システムの相互作用low-level system vs high-level system interplayおよびに、信念と得られる結果の相互作用beliefs vs outcomes interplayである。
Brain function-structure interactionの話にも通ずるが(https://youtu.be/MtTOg0mzRJc by Jeff Lichtman。主題はconnectomeだが)、脳は他の臓器と違って、それが働いたとき、その働きによって次の瞬間には、概念的には異なる状態にあるというところが、脳研究を難しくさせている。つまり、相互作用を詳細にみようとするとき、時間解像度を非常に高くする必要がある。

これに対して、もっと時間解像度の低いポピュレーションニューロサイエンスpopulation neuroscienceは、この問題を念頭に置きつつ、年単位の長期にわたる変化を観察できるという強みを生かしてどういうRQを持ってこれるかをずっと悩んでいる。

Bromberg-Martin, E. S., & Sharot, T. (2020). The Value of Beliefs. Neuron, 106(4), 561–565.

2. 意思決定のプロセスにおけるバイアス

意思決定のプロセスでは、情報を収集し蓄積していく段階がある。
例えば、不安を煽るような環境下(ここで参照している研究では、与えられた難しい数学の問題について、評価者の前でプレゼンしてもらうという予告による社会不安を煽るような環境を与える)では、不安を煽るようなものがない環境と比べて、意思決定を下すまでに必要な情報の蓄積の過程に違いがあるのだろうか。

不安を煽るような状況下では、外界から得られる情報を否定的に解釈してしまうため、肯定的な判断を下すのに必要な情報よりも、より少ない情報で否定的な結論に至ると考えられた。メカニズムとして、①情報を入手する前から、結論が否定的な方に偏っている、②同じ情報量でも、否定的な情報が否定的な結論に至るスピードの方が、肯定的な情報が肯定的な結論に至るスピードに比べて早い、ということが仮説として立てられた。この上述の2つの仮説の検討のためにsequential sampling modelが用いられた。

結論は、不安を煽るような状況下では、否定的な結果に至る方が簡単である、すなわち、より少ない情報量で否定的な結論に至った。一方で、肯定的な結論に至るまでに必要な情報量は、状況によって変化がなかった。
この結果は、②のメカニズムによって支持された。すなわち、不安を煽られない環境にいる集団は肯定的な情報によって肯定的な結論に至るのに必要な情報量がそうでない場合と比較して少なかった(valence-dependent drift rate bias)が、不安を煽るような状況下では、否定的な情報によって否定的な結論に至るのに必要な情報量も少ないために、このバイアスは見られなかった。

ざっくりまとめると、不安感を抱えている人は、ネガティブな情報を少し目にしただけで、ネガティブな結論に到達しがち、ということである。ネガティブな結論は、メンタルヘルスの悪化にも関係あり、また不安感自体もメンタルヘルスが悪い状況を反映している可能性がある。

自分からみたポイントは、2つある。
1つ目は、環境の操作を本実験では実験室環境下で行ったわけだが、ACEsやトラウマ体験などのライフコース内での経験がメンタルヘルスの悪化を引き起こすメカニズムを説明したsensitization hypothesis(ストレスに関する生物学的基盤、例えばHPA axis、が過覚醒された状態)に通ずると感じる点である。
Positiveな環境の影響については、Tali自身がプレゼンでも少し触れていたので、多分そのうち出てくると思われる。ACEsにしても、ACEsが注目されてからPCEsが注目され始めたように、また、心理学でも不安や抑うつ気分などのネガティブな心理的状況からレジリエンスや自己肯定感のようなポジティブなものが注目されたように、ネガティブ→ポジティブという流れは定番みたいなものだ。

2つ目は、saliency toward negativityは進化論的にも、環境への適合において、安心できない危険な環境では、perssimistの方が生き残れそうという意味で重要だが、これが、1つ目の論文におけるbelief-outcome interactionにも通ずる点である。

Globig, L. K., Witte, K., Feng, G., & Sharot, T. (2021). Under Threat, Weaker Evidence Is Required to Reach Undesirable Conclusions. The Journal of neuroscience : the official journal of the Society for Neuroscience, 41(30), 6502–6510.

3. 信念が変わるとき

信念・信条の変化は、価値観に基づいた意思決定と言える。
すなわち、おのおのの信念・信条には必ず価値utilityがあり、信念・信条の変化は、過去の信条に付帯する価値を新たな信条に付帯する価値が超えたことを受けて、新しい価値を選び取ることで起こると考えられる。

信念・信条に付帯する価値は、それが内的internalか外的externalか、および正確性が求められるかaccuracy-dependent否かaccuracy-independentの2×2の4象限に分けることが出来、それぞれの要素における価値を総合して、その信念の価値を計算できる。

人は、自分にとって一番価値のある信念・信条が「一番正確性の高いもの」だと誤認しやすい。とても正確な情報を目にしたとしても、しばしば信念・信条が変わらないことがあるのは、これ故である。

人がものに与えるスコアとしての価値は、社会的コンテクスト(環境)、その人自身のパーソナリティや価値観valuesによっても変わるので、十人十色の信念が存在することになる。
また、価値の計算は、前述の要素の重み付けの変化によっても変動する。例えば、正確性が大事だとナッジされれば、その軸の価値がより重視される。さらに、バイアスやヒューリスティックも要素の価値計算に影響を及ぼす。

価値の計算においては、もちろん信頼区間が存在する。
したがって、信念同士を比較する際には、価値の分布が重なり合っていないほうが、より強い意志を持った決定が出来る。価値の分布が重なり合っているということは、その価値同士の差が小さいことを意味しているからである。強い意思決定をするためには、Nを増やし、信頼区間を小さくするために情報収集をする。
また、信頼区間同士の比較にはメタ認知力が必要である。メタ認知力をあげれば、価値が高いものを選択出来るようになるし、信念の変更が必要な際は、新たな情報収集に注力することができる。

正確性の軸を価値基準に入れるのは面白いと思うが、疑問なのは、正確性の判断は、外界への影響external outcomesとの比較において成り立つものなのでは?という点である。
しかし、外界からの刺激受容時と、脳内処理時の2つの段階で外界から選択的に情報が得られているならば、信念の正確性は誰が評価するのだろう―すなわち信念とその結果得られた外界への変化は誰が比較するのだろうか。これも、Taliがプレゼンで少し議論しており、権威者が評価する絶対評価という意味ではなく、我々一般市民による評価のことを言っていたと思われる。
対して、この実験の文脈では、例えとして株への投資がexternal-accuracy dependent utilityとして用いられていたので、絶対評価のことだと思われたが…そうすると、永遠に循環する方程式みたいに、どちらがもともと影響を及ぼしていたのかが曖昧になると思われるので、ここの違いに着目した定義付けが必要である。

研究内容それ自体ではないが、いくつか言及しておきたいことがある。
イントロの冒頭で、「神経科学的知見に、これまでの心理学および行動経済学的な知見を合わせた」という趣旨の内容が記されており、今後の研究の在り方を示唆していると思われた。

また、ディスカッションのpolicy implicationにおいて、アドボカシーとか政治家とか専門家は、正確性という軸だけでなく、前述の4つの要素それぞれにおいて、価値をプレゼンすることが大事だと述べられていたが、人・環境において流動的であるutilityを前にして、万人受けするプレゼンは難しく、すべてを含んだ、それ故インパクトに欠けるプレゼンよりは、ある程度オーディエンスを絞った上で、それぞれに有効な軸に重きを置いたプレゼンをすべきでは、と感じた。

Sharot, T., Rollwage, M., Sunstein, C. R., & Fleming, S. M. (2023). Why and When Beliefs Change. Perspectives on psychological science : a journal of the Association for Psychological Science, 18(1), 142–151.

4. 生活の中での信念

私が大学時代に少し所属していた宗教団体では伝道(勧誘)に際して、準備された人だけが救われる(救うことができる)と教えられた。
神様ならみんな救ってよ、とすっきりとしない気持ちを抱えていたが(それが教会に通うことを辞めた理由の1つでもある)、科学という宗教に鞍替えして、やっぱり同じだよね、とも思ったりする。

同じ、とはどういうことかというと、我々が準備したエビデンス・言葉が刺さって、価値が迎合する人だけが現代科学で救われる、ということである。
人はそれぞれ何か宗教みたいなもの(文字通りキリスト教などの古典的宗教、無宗教secularismという宗教、科学、はたまた、トレンド・流行・社会的承認まで多岐にわたる、その人自身の軸となる価値観を与えるもののこと)を持っており、その中でinternal outcomesを最大化することで幸福になるのではないかと思っている。
つまり、信念が何であれ、日々の生活ではそれから得られる外的・内的なutilityを最大化することが、人生の最大の目的とも言えるかもしれない。

それを支える1つのサービス・学問であり、私も携わっているものに医学がある。
現代医学では、寿命が最大のアウトカムとして設定され研究や臨床が進められているが、patient-oriented outcomesやprecision medicineなど、医学の役割は拡大の一途を辿っている。拡大すればするほど、その人自身が大事にする「宗教」に合致した医療の提供が難しくなると感じており、医学の文脈において、何を求め与えるべきなのか今一度考える必要がある。

CC Tokyo Talk by Tali Sharot より備忘録



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