僕がShazamをする理由
音楽との出会いはまさに“縁”だと思っている。
この世のすべての出会いはタイミングだ。
「なぜこのタイミングでこの曲に出会ったのか」不思議に思う。ただただタイミングだけなのですが。
僕は音楽ノイローゼなので、もしかしてこれはお導きなのかもしれないとも考える。
例えば、お店の有線から流れてくるグッドな音楽。当然、バンドやグループ、アーティストの名前も曲も知らない。琴線に触れた事実があり、心に刺さる。瞬間、そのエモーショナルを維持したまますぐに情報を知りたい。
頭の中で再生され、メロディーを忘れないように繰り返しループする。
そんな場面で「誰の曲だろう?この曲カッコいいなー」なんて思いながらアプリ『Shazam』を立ち上げる。そのままスマホをスーッとスピーカーに近づける。
そして、今流れているのはこの曲ですよと検索してすぐ教えてくれる。
【最近のShazam履歴①】
まさに夢のような、僕の想いをすぐ叶えてくれるアプリ。それが『Shazam』だ。
僕は生活の中で常に『Shazam』を使っている。2012年、13年ごろから使っているヘビーユーザーだ。先ほども書いたように、いい曲(僕の心に刺さる曲)が流れればところ構わずスピーカーに向かってshazamするのが習慣となっている。
飲食店、カフェ、洋服屋さん、美容室、書店。店に入れば、じつにさまざまな曲が有線から流れている。(お店の店主さんが自らセレクトして曲を流している場合、勇気を出して直接教えてもらう)
流れてくる音楽をいつだって見逃したくない。出会いにはそれなりの理由がある。
いつでも受け止めてあげる覚悟で僕は音楽をハント(採集)している。曲が流れればすぐさまスマホをスピーカーに近づける。店員さんやお客さんに変な目で見られる。「オレは今流れている曲が知りたいだけなので」などと心の中で呟きながら検索結果を待つ。
日本においてまだまだ名もなきバンドだった場合、すこぶる興奮する。「またひとつ名曲に出会った」と小さくガッツポーズする。短時間のうちにすぐに情報を知れることはこの上ないくらい嬉しい。
【最近のShazam履歴②】
この一連の行為を繰り返しているうちに、人からどう思われようが、どう見られようが、「関係ないし」とメンタル面でも強くなった。気にしいは気にしいなのですが、こういう行動に於いては今では人目をまったく気にしなくなった。
結論。いつでもどこでもshazamしているとメンタルが強くなる。
shazamした曲はすぐネットで検索してYoutubeのプレイリストに保存する。
日々そんな暮らしぶりをしている。
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『Shazam』を人生で最初にインストールして使ったのはおそらく2012年あたりだったと記憶している。当時、音楽を一緒にやっていた友だちが教えてくれた。初めて使った時は感動すら覚えた。こんな夢のようなアプリがあるんだ。これさえあれば、もう悔しい思いをしなくて済む。
shazamに出会う以前は、お店やラジオ、あらゆる場所でカッコいい曲に出会ったのに、その曲を僕には知ることができなかった。店員さんにも聞けないし人見知りだし。勇気を出して聞いても「すみません、ちょっとわかんないです...」と返ってくることも多々ある。僕はいつも悔しい思いをしてきた。
「今流れているこの曲は誰の曲だろう」すぐそばで鳴っているのに手を伸ばしても逃げて行くような。曲はいずれ終わってしまう。終わる前にメロディーを覚えておこう。何度も頭の中でループさせる。
【最近のShazam履歴その③】
そんな涙ぐましい努力も結局、数日後には肝心のメロディー忘れたり、思い出せなくなってあれは一体誰だったんだ!と悔しい思いをしたことが数え切れないほどある。
もしかしたらもう2度と出会えないかもしれないと。
もうそんな思いするもんか。と自分を奮い立たせ、音楽にインスパイアされよと一生懸命shazamすることが、大袈裟だが僕の生きがいになっている。いや大袈裟に言わせてほしい。音楽が僕の生きがいです。
「どんな場面でもshazamする」と自分と約束した。
もうあの時のような後悔をしないように僕は今日もshazamをする。
最後に。
素晴らしいサービスを開発してくださって本当にありがとうございました。心からお礼を申し上げたいと思います。
アツくなってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。また更新します。
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