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僕は左右がわからない
「えっと、次の角右で、、あーっごめんごめん、左!」「左側のー、、あっ、いやいや、えー右側?右側w」
この会話は僕の日常だ。
冗談じゃなく真剣に左右が一瞬わからない。「そこを右」とか「向かって左」とか言われると「ええっと、右ってどっちだっけ?左ってこっちだっけ?」
とっさの判断がつかないことが多々ある。
かなりヤバいですが 笑
生活において大きな支障はないけど、人に左右が分からないと話すとちょっと呆れられるというか、びっくりされる。
「いや、とっさに左右が分からないですよー」というと、「ええー!?まじで?」という引くぐらいのリアクションをされることがごく稀にある。
左右がわからない人は実は日本に結構おられるようで、ネットで調べたら『左右盲(さゆうもう)』というらしい。正式な医学用語でも病名でもなく、その状態を伝えるために作られた造語だ。病気や障害ではないけど、左右が瞬時に判別できない症状だ。
しっかりと意識さえすれば左右の判断ができる。普通はそんな意識を持つ必要はない。
右って右?左って左だよね?
例えば。
「さて問題です。右はどちらですか?」と急に問われても自信を持って答えられるように僕がしている工夫は。
「右は右手、利き手だ。僕の利き手は右でお箸を持ったり、ペンを持ったりする。右は右だ!」と心で強く想う。同時に右手をぐっと軽く握る。小さく拳を作る。右が右であるという事実を確認する。
この一連の作業を終えてはじめて「右です!」と答えることができる。ふー。大きく胸を撫で下ろす。毎回こんな具合だ。左右を答えるのは超疲れる。かなり意識的して考えて判断しないといけない。
「右にあるそれ取って」「もうちょい左」「右から3番目の」「左から2番目にある」「向かって右に見える」「向かって左側」
あれ取ってきてっていう指示ももう混乱しかない。
「右上げて左下ろす。左下ろさず、左上げたまま右下ろす、右上げないで左上げない、右上げる」
こんなゲームももう混乱しかない。
車の運転
さきほど、左右の判断がとっさに付かないことは生活においてなんら支障はないですよ。と書いたけど、よくよく思い返してみるとやはり支障が出ていた。支障が出ていたことさえとっさに思い出せない。
それは車の運転だ。
車の運転において左右の判断ができないのはかなりヤバい。このテーマを書いていて、あれれ?そういえば、、と思った。車の運転は一瞬の判断の連続だ。直進、右折、左折が数分ごとにやってくる。
当然、右折左折を繰り返さなければ
目的地にはたどり着けないし家にも帰れない。どこにも行けない。
「そこ左ね」助手席に座っている妻のナビゲートで走る道。「はーい、左ねー」と言いながら右にウインカーを出す。右の車線に入っていこうとする寸前「いやいや、左っ」と当然、妻に突っ込まれる。僕はいたって真剣だ。「あー左ねーw」と言って左にウインカーを出す。
妻には「もー危ない」と呆れられる。
車の運転ではこのようなことが結構多いので、左右の判断が付かないことは危険だ。あと、喋るの下手なのに加えて運転中やたら話したがる。つい熱が入ってしまう。そのせいで注意力が散漫になって目的地を通り過ぎることが大いにある。
これは『ヒヤリハット』ではなく、ただの『うっかりミス』だ。うっかミスの連続はヒヤリハット。ヒヤリハットの連続で事故を起こす。
ひとりで運転している場合はこのようなことは少ないけど、確かに危険だ。運転は集中して散漫にならないよう心がけているつもりだ。
いつか事故を起こしかねない。
とはいえ、よく免許が取れたものだ。
教習所の先生には「お前、もう免許取るのやめろ」と実地教習の時に怒鳴られた。
憧れ
利き手を矯正したり、されたりすると左右の判別が付かなくなることがあるようだ。思い当たる節がある。それは左利きだったらかっこいいなという憧れがあった。
左利きの人は生活において何事にも不便だという話を聞いたことがあった。『不便』というワードに確かに心の中がときめいた。同時期、小2の頃クラスメイトに左利きの友達がいた。
それまで左右の判断はできていたかと問われると少々怪しい。左右が分からなくて、もしかしたらちゃんと学んでこなかったのかもしれない。
その男の子が好きだったので一緒に遊びながら観察して研究し左利きに憧れた。(行動がキモい)左手を使えるように努力した。
左でお箸を持ち、左で鉛筆を持つ、左でものを投げる。毎日訓練した。その努力のおかげで左でご飯を食べ、左で自分の名前を書いて、左でボールを投げることができるようになった。
日に日に上達していく様は自分でも感動した。
家族にはさりげなく自慢し、友だちにもすごいでしょと静かにアピールした。生活の中でしれっと左を使う。
僕は左右がわからない
しかし、その努力と引き換えに僕はある時からとっさに左右が分からなくなってしまった。視力検査ではよく躓いた。上にも書いたように、マークが向いている方向に手と頭のイメージををリンクさせ時間をかけて答えていた。
子ども時代はそれで良かったものの、大人になっていくにつれて、左右がわからないことを恥ずかしく思うようになった。憧れて身に付けた『左利き』も使えなくなって残ったのは自分の中の違和感だけだった。
左右がわからないのは僕だけだ。
でも、ずっと左右がわからない状態でやりくりしてきた。左右がわからないという事情でバカにされたことは一度もない。
今となってはこれも僕の特別な能力や才能じゃないかと思えるようになった。
左利きに憧れたあの頃のように。遊びの中で発見した好奇心を大事にしていたように。純粋に努力して手に入れた左右が分からない『左右盲』という才能。
最後にあの頃の君へ。
左右がわからなくてありがとう。
ちょっと大変な場面もあるけど天性の愛嬌でクリアできるよ!
最後まで読んでくださりありがとうございました。また更新します。
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