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ロックかロックじゃないか

「いやぁロックだね」

誰もがよく言っている(誰でも言っているとは限らないが、僕の周りではよく聞く)であろう“ロック”という言葉。これはいわゆるほめ言葉である。「いやぁ粋だね」と同様のレベルの意味を持つと言葉だと思っている。

加えて、「いやぁロックだね」と言う方がさらにダメさ、アウトローさが出てしっくりとくる。そして何よりこの「ロック」という言葉は紛れもなく日本語である。加えて“ダメさ”という言葉も当然のごとく付随する。

ダメさとはつまり“イケている”という意味。

“ロック”という言葉は他ならぬロックンロールのROCK(ロック)である。ビートルズやストーンズやツェッペリンやジミ・ヘンドリックスが鳴らしてきた骨太サウンドそのものである。(ストーンズもビートルズもツェッペリンもジミヘンも詳しくない)

ロックスターがこの世に残した名盤を僭越ながら聴いて育った。僕を作ってくれたのは紛れもないロックだ。ロックが僕の生きがいだった。

13歳の頃からギターを始めた。そして音楽にのめり込んだ。高校時代からロックをロックとして意識的に聴くようになった。

オアシス、ブラー、マニックス、クーラ・シェイカー、スウェード、マイブラ、レディオヘッド、ストーン・テンプル・パイロッツ、ピクシーズ、ペイブメント、ソニック・ユースなどの90年代のオルタナティブロックを好んでよく聴いた。

20歳の頃にはバンドを始めた。ドアーズ、ベルベット・アンダーグラウンド、テレビジョン、トーキング・ヘッズ、ザ・フー、ツェッペリン、イエス、ピンクフロイド、T.Rex、デヴィッド・ボウイ。挙げればきりがないほど、ライナーノーツを読み、バンドを探し、漁るように聴いた。

90年代が終わる2000年頃のロックの転換期にはシカゴの音響系ジム・オルークにはまり、Aphex Twinのブレイクビーツ、テクノやアンビエント、オウテカ、スクエアプッシャー、DJ Shadowのダークなヒップホップにハマる。

また、デーモンアルバーンとジェレミーヒューイットのアニメバンドGorrilazが始動。レディオヘッドが『KID A』『Amnesiac』をリリース。

この頃ロックは多様性の時代へシフトしていった。

ロックを語るには僕にはまだ若すぎるし、早すぎる。“ロックとは何ぞや”と問うのもおこがましいので、敢えて言わないが。

結局ロックに意味なんてなくて、ロックはただの“言葉”でロックは“生き様”だ。

“生き様”というと何となくカッコ良いし聞こえも良いが、常識を逸脱した人、破天荒な人、変人、天才、生活のことを指す言葉だと思う。

つまりそれらに当てはまる人の生き様こそがやはりロックだということだ。


「ロックかロックじゃないか」

この世の中にはその二つしかないと思っている。が、価値観は皆それぞれ違うしそれでいいと思う。みんな違って、みんないい

しかし、ロックそのものの持つ表現が曖昧で漠然としているため、確かな線引ができない。上に挙げた人もまさにロックンロールで誰もがLike a Rolling Stoneだ。

相手に(関係性もすごく大事)「ロックだね」と言った人も気分が良くなって言っているのだろうから、言われた人もこの人になら言われてもいいなという、「ロックだね」のロジックが成立していると思う。

つまり、簡単にいえば「赦されている」ことが前提であると言える。「赦す」とはインドでは最高にして最大の教えである。

もっと深掘りすれば、「ロックだね」と言える、言われる関係性を築くことが非常に大事だ。

ロックは誰にでも通用する言葉ではない。

ある一定の年齢になってくると通用しないし、ロックの概念やロックそのものの意味やルーツ、バックグラウンドを知っているのと知らないとでは冒頭の会話すら成立しない。

ロックとは極めて危うい言葉だ。
容易に使ってはいけない。

「ロックだね」と言ってもロックの歴史やロックのバックグラウンドを知らなければ頭の上にはクエスチョンマークが出来上がる。

はて??ろっく??

ロックって、、ジョン・ロック?あの思想家の?
FF6の?トレジャーハンターのロック?

という具合に成りかねない。

誰もが何気に使っている「ロックだね」と言う言葉はまさに哲学のようなものになってくる。

ロックとは生き様だったり言葉だったり、テンションだったり気分だったり、その人の持っているストーリーだったり。

ロックが持つ言葉はまさにロックである。と同時にロックとは刹那でいて、どこかで無責任な言葉だ。

私的なことで恐縮だけど、ロックだねと言えるほどのエピソードが僕にはない。僕は今年36歳。この年齢になれば多少のヤンチャも人によっては経験しているのだろうけれど、僕にはない。

ロックが好きでロックを聴いて育った。ロックバンドに夢中になった。学校には毎日行っていた、サボったことがない。授業中も静かで嫌いな先生もいない。

ノートもバッチリ取る。成績はすこぶる悪いけど、タバコもやらない、ハッパもやらない、ケンカもしたことがない、万引きもしたことがない、バイクもクルマの名前も知らない。

22、3歳の頃、一度急性アルコール中毒になって病院に運ばれたことがある。それもロックじゃない。酒なんてロクなもんじゃねぇ。
(ほとんど毎日飲むけど)

長々と書いたこの話はロックかと問われれば、ロックじゃない。ネクラな僕の人生もまたロックじゃない。

僕は思う。ロックとはつまり“厨二”だ。

結局、誰だっていつまでたっても厨二でいたい。ネクラでイケてない厨二を拗らせている。

それがロックの正体だ。

とはいえ、ロックは世界中の人を救ってきた。
ネクラでイケてないヤツが世界を救ってきた事実がある。ロックがネクラが厨二が音楽を超えていく。

ウッドストックでは愛と平和と反戦を主張し、ライブエイドでは1億人に飢餓を救うアフリカの難民救済を目的としたチャリティーライブ。

日本で毎年開催される大規模フェス、フジロックフェスティバル。世のなかには実に様々なフェスがある。いつの時代も世界を救うのはロックだ。そう、暗闇を照らす一筋の希望光。

それがロックだ。

そんなネクラな僕もロックに命を救われた一人だ。

でも、「ロケンローベイベー」だなんてとても言えない僕はやっぱりロックじゃない。

ちなみにカバーのイラストは僕が描いたソニック・ユースの名盤『Washing Machine

最後まで読んでくださりありがとうございました。また更新します。

ロッケンロール。

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