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できる限り、物を持たない。

 できる限り、物を持たない。多くの物を持つと、あっちにいったり、どこかに迷い込んだり、埋もれたり……。管理できなくて、自分に苛立ったり、焦ったり……。ただでさえ、私はよく物を失くす。よく、どこ行った、と探し回る(※物は勝手にどこかにはいきません)。

 長男を出産し、長男が1歳になるかならないかの頃だったと思う。なんだかよくわからない初めての育児で、とにかく何が必要なのかさえわからない。家の中は恐ろしいスピードで物が増えていた。育児に関する物だけでなく、どさくさに紛れて色々なものが増えていった。

 私は毎日イライラしていた。初めての育児、うまくいかない離乳食、夜泣き、子供と二人で散らかった部屋の中にいて、ゲッソリしながら子供の相手をしていた。朝昼夜の食事の準備や片付け、洗濯、掃除、すべてが義務だった。何もかも義務、そんな感覚に縛られている私は、何をするにも億劫で。   何とかしなきゃ、と頭のどこかで思っていた時、インターネットで何もない部屋を目にした。物が少ない、という生活を目の当たりにし、衝撃を受けた。物が少ないと心も頭もスッキリしそう!そして、一方で「うちは子供がいるからな、こんなスッキリした生活無理だわ」とブラウザを閉じた。

 しかし、何もない部屋の衝撃は残っていた。頭の中で自問した。子供がいるから家が片付かない、子供がいるから色々なものが必要、そんな風に子供がいることを理由にして、物が多いのが当たり前だと思っていないか。本当にスッキリした部屋は無理なのか…?子供がいるからって、物が多い理由にはならない。この家には絶対必要ないものがある。そう確信した。とにかく物を減らしたい!という気持ちが沸き起こった。

 すごい勢いで、私は寝室として使用していた和室に、すべての物をぶち込んだ。通常の状態で、いらないものだけを探し出して手放す、ということをやっていたって、なんの解決にもならないことを知っていた。何度も何度もそんな行為は繰り返していたから。少し間引いてスッキリした気分になったって、すぐに物だらけの毎日に嫌気がさすのである。だから、すべての物を一か所に集めてみればいい。どれだけ物があるかを可視化して、本当に必要なものと1つずつ向き合えばいい。荒療治だけれど、それしかないと思った。

 当時住んでいたのは賃貸の2DK。寝室として使っている部屋には、子供のベビーベットもある。とにかく、すべての部屋のものをその和室に詰め込んだ。この部屋が片付かなくては、今夜寝る場所はない。夫が帰ってくる時間までにスッキリさせるぞ!今までの反動か、私はやる気に満ちていた。

 家中の物を和室に集めるだけで重労働で、一気に和室は、足の踏み場がなくなり、ゴミ山になった。いや、すべて家の中の物なのでゴミではないのだが、ゴミ山という表現もあながち嘘ではない。
 一方で和室以外の部屋はすっからかんである。家具は移動していないが、中の物がなくなっただけで、なんともいえない解放感。もう何もなくていいのではないか、とさえ思うけれど、さすがにそれでは生活に支障が生じる。

 さて、和室のゴミ山をなんとかせねば。私はそのゴミ山に向かった。子供がゴミ山の中で目を輝かせて発掘している。隣でその様子を見ながら、必ず必要なものだけをまずはピックアップし、必要なものだけ隣の部屋に置いていく。本当は1つ1つ、置き場所を決めて定位置に置いていきたいものだが、子供が誤飲したら危険なので、彼から目を離すわけにはいかない。

 ある程度必要なものを隣の部屋に置いたら、隣の部屋(子供の遊び部屋)に子供を連れていき子供を遊ばせる。その間、私は1つ1つの物に定位置を与えていく。

 そんな作業を延々と繰り返していた。最初はルンルンしていたが、途中から何とも言えない気分になった。全然減らない、ゴミばかり、判断できない物もある。判断できない物は隣の部屋(子供の遊び場)に放置しておく。とにかく和室の物を減らすのが先決である。

 この時、半分くらいがゴミになった。明確なゴミは少なかったけれど、「もう必要ない」という物があまりにも多かった。「もう必要ないかもしれない」という物も含め、あまりにそれは多かった。
 どうしても判断できない物だけ、保留ボックスを設けて、そこに入れていった。

 結果的に、保留ボックスは一度も開けられることがなくそれから1年が過ぎた。1年の間に、物が増えたりもした。けれども、あの時大掛かりな"物との対峙"をやったお陰で、"もう物は増やしたくない"という気持ちが非常に強くなった。何にも考えないで、家に物を招いていたということも痛感した。意外に、"本当に必要なもの"なんてないのだ、ということも知った。

 その経験はあまりに私の中に大きくて、それ以降、我が家の物はあまり増えていない。増えても、見直す。子供の物は子供が小さいうちは私が管理した。物が増えたらこっそり使っていない物を袋に入れて、別の場所に置いておく。そのことに子供が気づかなければ、半年くらいの頻度で手放すようにした。

 子供が成長してからは、子供に任せる。ゴミの日の前に「何か使わないものとかある?」と声はかけるが、それ以外は任せるようにしている。夫は、もう10年くらい使っていないテニスシューズやゴルフセットを持っている。一時期、気になったこともあったけれど、人の価値観は他人が変えるものではない。

 私は私の価値観で、私の物を管理している。

 写真は私の財布。昔は、1万円札何枚かが飛んでいくお金を出して、財布を買っていた。今の財布は、千円札3枚でお釣りがくる。小さくてカード入れがたくさんある。小銭は持たない。お札は予備以外は持たない。

 カード入れには、身分証だけでなく、プリペイドカードとクレジットカード、図書カードなどが入っている。図書カードをいただいても持ち歩かないと私は使わないので、いただいたら入れるようにしている。クレジットカードは極力使わない。

 財布に高いお金を使う必要はない、と思えたのも、物と対峙して、高いお金で買ったものが全く使われていないことを目の当たりにしたからかもしれない。

 「365日のシンプルライフ」は究極だ!と思いながら鑑賞した。私がやったこともかなり酔狂なことかもしれないが、酔狂なことはやってみると、かなり得るものは大きいと思う。辛いことも多いけれど。

 和室に集めたものと対峙する行為が、本当に辛かった。結局一日では終わらず、その日はなんとか寝る場を確保した。どんどん辛くなっていき、なんでこんなこと始めちゃったんだろう、と思ったこともあった。けれど、辛いからこそ、物を持たない今があるのだ。

 私の今の生活は、所謂"ミニマリスト"と言われる人たちから見ると、物は多いと思う。でも、私は私の生活で不要なものは持っていない。

今日の独り言

自分の家の中の物が、気持ちよく居られるように。自分自身が、心地よく生活できるように。

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