「不安と共に生きる」この時代を生きる私たちが必要なコト

(2020年4月のメルマガより抜粋)

3月の連休前までは、日本の大都市でのコロナ感染はそれほど大きな影響がなかったかのように思われましたが、3月最終週末前から東京での感染拡大から週末の首都圏の外出自粛などで、一気に緊張感が高まってきた今日この頃。

いかがお過ごしですか?

コロナウィルスが中国で流行り出した1月。

まさか、3月の今、世界で日本でこんな状況になるとは思いもしませんでした。

でも、各地で卒業式が省略化され、お花見が自粛され、ようやく暖かくなってきて外で歩きたくなる季節に外出制限がされ、みんな大好き志村けんさんが亡くなり、これはなんだろな?と思うのです。

日本人が一番こころウキウキするこの季節に行動が制限され、日本人がみんな大好きなあの人が亡くなり、(私個人的にはそうでもないですが)みんなが楽しみにしていた東京オリンピックも延期になり、(もちろんコロナは
日本のみならず世界各地で猛威をふるっているのですが)このことは何を教えようとしてるんだろう?と思うのです。

あなたはどう思います?

以前、とある方から聞いたウケウリなのですが「昭和はモノの時代」「平成は体験の時代」そして「令和は精神の時代」だそうです。

これまで「瞑想」や「心理学」は「あやしい」「宗教だ」と思われていたのが徐々に「確かに大事かも」と一般的にも普及し始めてきたり、私も今、興味を持っている「発酵」など目に見えない菌や微生物の世界についても、以前は「汚い」「除菌」「殺菌」と忌み嫌われてきたのが、大自然全体のバランスの中で必要な一部であることが見直されたり、ここ数年の天災による大きな被害の度に「当たり前のことなんてない」「感謝の気持ちが大事」「祈りにはチカラが宿る」などが少しずつ腑に落ちてきたりしているのではないかなと思うのです。

そう、今回のコロナをはじめ、これまでの大雨や台風など、多くの人を「残念」「悲しい」「寂しい」気持ちにさせてきた天災は、誰を責めることも出来ない。まさに自分の精神性を鍛える・成長させるべく、起きた出来事ではないかと感じます。

外出制限・禁止は「自分1人くらいいいでしょ」という自分勝手な想いよりも「他のみんなと共に生きる世界で自分ができることは何か」を考える、まさにアドラーの【共同体感覚】を少し感じることができる機会であるし。

未だにドラッグストアの棚からトイレットペーパーがすぐになくなったり、外出制限を前にスーパーが激混みになったり、これまで経験したことがない状況を前に人々の不安が露呈しているのを感じる中で自分はどうするか?を考える機会であるし。

ネットでは色んな人が色んな意見・情報をシェアしまくってる中で、それらを自分はどう解釈して取り入れていくか「自分軸」を確認する機会でもあるし。

今回のコロナによる影響は今まで経験したことがないことなだけに先を予測することが出来ず、見えない未来に対しての不安が膨張し続けているように感じます。

国内転勤や海外駐在を経験したことがある読者の方はわかると思うのですが、行ってみたらなんてことはないのに、行くまでは、行く先での生活が見えず、不安がいっぱいだったということがあったかと思います。

こんなことを書いてる湯本ももちろん不安な気持ちがあります。

でも、「不安」がスタートとなって、「不安をなくそう」とする行動は「苦しい」を生み出します。

重ね煮の船越康弘さんも、マクロビの良さを認めている一方、「病気をなくしたい」という「不安」発の「食改善」はやればやるだけ苦しくなると仰っていて、まさにその通りだと強く共感しました。

「あれは食べてはダメ」と自分を制御し、「そんなのを食べているの?!」と他人を批判する。それは苦しい生き方であると。

それよりも自分がどうなりたいのか?

幸せな人生を送りたいのであれば「嬉しい」「楽しい」「感謝の気持ち」をもってして、目の前の食べ物を身体に入れることで結果的に身体が喜び、病気も薄らいでいくと。

これは湯本の個人的な見解ですが、最近の環境問題に対する提言を行う方の発信もこの「不安」発の「苦しみ」を生み出すもののように感じてなりません。

怒りをぶつけて・・・

誰かを批判して・・・

聞いていて、とても苦しく感じます。

ただ、こうした発信も皆、決して、悪意があって行っているわけではなく「不安を払拭したい=よくしたい」という想いがあるから。

じゃ、この不安がなくなった状態、つまりは「100%安心安全」な状態ってどんな状態なんだろう?

100%安心安全の中に浸かっていると、緩みっぱなしで引き締まるところがなく、成長もなく、達成感もない。

本当に、このずっと常に100%安心安全でいることは私たちにとってイイこと?

「不安」があるからこそ、これまでとは違うやり方を挑戦してみるわけだし、自分なりの考えを持って準備をするわけだし、勇気を持って取り組むわけだし、周りとチカラを合わせて乗り切ろうとするわけです。

もちろん「不安」でいることは誰にとっても「快」ではないはず。

でも、そんな「不安」を”ポケット”に入れて持ち歩く。

「不安」を「エネルギー」に換えて目の前のことに向き合う・前に進む。

不安は、忌み嫌って取り除いたり、ないことにして見ないようにしたりするともっと大きくなって私たちを苦しめるから。

大切な感情の一つである「不安」も私たちの一部であることをちゃんと認めてあげて、一緒に付き合っていく。一緒に生きていく。

「精神の時代」に生きる私たちに必要なコトってそういうことじゃないかな。

あなたはどう思いますか?

死ぬとき後悔しない「最高な人生だった」と言える毎日を今から一緒に創っていきませんか?

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