【読書】広田照幸『教育改革のやめ方』
今回読んだのは広田照幸『教育改革のやめ方』(岩波書店、2019年)です。
目次
Ⅰ 中央の教育改革
1 近年の教育改革(論)をどうみるか
2 日本の公教育はダメになっているのか
3 【対談】新しい学習指導要領は子どもの学びに何を与えるか
4 なぜいま教育勅語?
5 「昔の家族は良かった」なんて大ウソ!自民党保守の無知と妄想
6 教育改革のやめ方
Ⅱ 教育行政と学校
7 地方の教育行政に期待するもの
8 学校教育のいまと未来
9 地方分権と教育
10 「学校ガバナンス」の光と影
11 保護者・地域の支援・参加をどう考えるか
Ⅲ 教員の養成と研修
12 教員の資質・能力向上政策の貧困
13 教員集団の同僚性と協働性
14 「教員は現場で育つ」のだけれど
15 教育の複雑さ・微妙さを伝えたい
著者である広田照幸先生は教育社会学者で、日本大学文理学部の教授をしています。日本教育学会の会長も務めています。
教職員の多忙化=労働問題?
この本の要旨は、「主体的・対話的で深い学び」への転換を求めるならば教育予算を増やして教職員の人数を増やすべきということではないでしょうか。
教育現場に勤めている立場からすると、納得することばかりでした。どんなに素晴らしい理念を掲げても、教える側の条件整備が追いついていなければうまくいくはずがありません。「思考・判断・表現を伸ばす教育」を進めるならば、教授方法やカリキュラムの工夫など大きな転換が必要だと著者も述べています。その大きな転換をするためには、教職員の多忙化や超過勤務問題の解消は急務でしょう。教職員の多忙化というと、労働者としての権利を守るという側面をクローズアップしてしまいますが(もちろんこれも重要な問題です)、少人数指導や個別指導など新しい学びへの転換を考える上でも避けては通れない問題であることを考えさせられました。
今、SNSで #教師のバトンが話題になっていますが、教師の多忙化は労働問題である(だから解消せよ!)という論調が多く見られます。しかし、そこだけを強調しすぎて、結果的に問題が矮小化されてしまってはいないでしょうか。教師がいかにブラック労働かという思いが #教師のバトンに寄せられていますが、もっと世間に関心をもってもらうには「教師の多忙化は、教育の質にかかわる問題である」ことを主張したいところです。
大学の教員養成の現状
もうひとつ、この本の中で興味深い話題がありました。それは、大学の教員養成の現状についてです。
今、大学では「大学でしか学べないこと(=知的な素養を身に付ける)」がどんどん削られて、「実践性に傾斜した」教員養成になってきていると書かれています。
こうして内地留学に来ていると、そのことを実感します。教職大学院は実践力を重視し、現場で即戦力になるための知識や技能を習得することが求められます。一方で、教科の専門性を高めたり知的基盤を培うような授業はほとんどありません。
私は現在の「実践型のカリキュラム」こそが「質の高い教師を養成する」という方向には違和感を感じます。私もかつて大学院にいたのですが、「大学でしか学べないこと」がたくさんありました。学問としての教育とじっくり向き合うことで、教育者としての自分の土台を作ることができたように思います。乱暴な言い方になりますが、現場に行って学べることは現場で学べばいいです。大丈夫です、いやでも学びますから。
教員も自分を高める努力を
教育現場にいる人だけではなくて、多くの人に読んでもらいたいなと思う本でした。専門的な用語もあまりなく、比較的読みやすいと思います。そして、日本の教育の現状もよくわかります。ぜひ、おすすめしたいです。
新しい学びを進めるためには、教育現場の条件整備や制度設計は必要不可欠です。それと並行して、教員自身も意識を変えていく必要があると思っています。学ぶこと、考えることで自分自身を高める努力をすること。待っているだけでは変わらない。自分のできることはやっていきたいなと思います。