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退職までの備忘録①~万年会社辞めたい病。でも辞められない呪縛~

入社して割と早くから、口癖のように「あー辞めたい」って言っていた気がする。
ただ、おばあちゃんが生前「お給料をもらうというのはそれなりに大変なこと。石の上にも3年というし、それを耐えれば見えてくるものがある」というようなことを常々言っていた。
そしておばあちゃんが亡くなって初七日を迎える前日だったと思うけど、夢に出てきたおばあちゃんに「3年は・・・」と言われたのに対し、「いや、5年は頑張るよ!」と自分で言ってしまったので5年は耐えないといけない、と勝手に思っていた。
ただ、女性中心の職場での人間関係にうまくなじめなくて、4年半で一度辞めかけたけど、そのタイミングで異動になり辛うじて続けることになった。

その後も辞めたい病は収まらなかったけど、夫が転職を繰り返していてなかなか安定していなかったこと、産休・育休を取った時に親から大企業にいるとそいういところが恵まれてるということが当たり前すぎて気づかない、とか言われたり。
そんなこんなで、なんとなく辞めたいけど、絶対辞めてはいけない、辞められない、という固定観念が染みつきまくってしまっていた。

役職的に中間管理職になった時、またもや苦手な女性中心の部署にいたんだけど。
その部署生え抜きではない私が昇進したことにより、典型的な嫌がらせをされることとなり、メンタル崩壊。
4か月ほど療養生活を過ごすことになる。
この時も親は辞めたら?とは言わず、部長や偉い人に話して何とかしてもらえないのか?担当役員が知り合い(その人が課長時代業務で関りがあった人だっただけ)ならば掛け合って異動させてもらえば?とか、傷口に塩を塗り込まれてつらかったな・・・(遠い目)
クリスマス前ぐらいに、私がいた課になんかまったく興味がなくほぼ話したこともない部長を呼び出して、課内運営の不味さと改善案、自分のおかれている状況を説明するも、そんな話だろうと察知していた部長に自分の考えを一方的にまくしたてられてほとんど話すことをさせてもらえなかった。
最後に、「社内公募に応募していて異動を希望しているのですが、異動できる可能性はありますでしょうか。」と聞いてみたら、吹き出しながら「この状況で出せるわけないよぉ~」と笑い飛ばされて私の気持ちは完全に切れた。
秋ごろから相談していた産業看護師の方に年明けから休務すると伝えメンクリを紹介してもらい、仕掛中の業務はすべて経過がわかるものを残しておいた。
年末最終日の納会で、最後の一押しをしてくれた部長のスピーチを冷めた目で見つめ、昇進前は業務運営についてお互い話し合っていたのに昇進後は情報共有も全然してくれなくて除け者にしてくれていた子からは帰り際に「年末カウントダウンコンサート行くんですかぁ?」と呑気に聞かれたことはずっと忘れないだろうな(遠い目)
「行きませんけど。」と返し、フロアを出る。
エレベーターを降り、会社のエントランスを出た途端、堪えていたものがあふれ出して止まらなくなり、大泣きしながら2駅先まで歩いたんだった。(不審者)

つづく。

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