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(定点観測)書きたかったテーマをバラバラ書いてみる

毎年3月くらいにこの1年の仕事を振り返ったり、新しい気付きを共有したり更新している定点観測です。自分の言葉で書かれた自分のためのビジネス書作り。途中からはメンバーも増えて毎年更新やっています。普段ブログとか書かない人も振り返りの機会に。

今年もこの季節。noteに記事のお引越しを始めて、最初の定点観測です。
去年分まではこちら

○年生を終えての振り返り

今年は別部署の子にも声をかけてみました。レギュラーメンバーはスレッド作ってお互いにプレッシャーをかけあったり😆
書き終わった人からリンク繋いでいきます。

◎0年生を終えて new!
ニューカマー!メールで貰ったのでここでは非公開
どんな思いで入社して、どう躓いて、いまなにを目指しているのか
この春入社した1年生。

◎0年生を終えて new!
ニューカマー!1年近いインターンの末、無事入社!
山あり 谷あり、内定者期間中に落ち込んで自信をなくしているところも見たけど、その経験を通して気づいたことと、いま考えていること。
この春入社した1年生。

1年生を終えて new!
ニューカマー!
「やってみたら良いじゃん」「いいですね!」ここまでのやりとりはよくあるけど、実際にやってきた行動力さすが

◎4年生を終えて

◎5年生を終えて

◎6年生を終えて
普段は別拠点で働いてるけどこのあいだたまたま会えた。
「レベル99の新人」の壁を感じているようだ

7年生を終えて
なんと今年は育休中 記事書いたのは一番乗り
そういえばかつて「主婦志望」とか言ってたなあと思い出した

そろそろ13年目突入

いまだかつてこんなに長く同じ組織に所属したこと無い…同じ都道府県に住んだのも最大7年とかなので、いつのまに12年経ってるのがほんとに謎。
入社3年は頑張るって約束したから、はやく3年経て~~ってカウントダウンしてたの、もう10年くらい前なのか。やばい。

そしてツイッター始めたら急にブログが書けなくなった。まずい。
ツイートしたことの掘り下げに使おうと思っていたのに、なんか余裕ない。
ということで、直近5ヶ月にはなってしまうけど、気づきについて掘り下げる場にしたいと思います。今後はリアルタイムでやりたいところ。

(全方向)ありのままの自分を愛するとか無理

ありのままの自分を好きになろう、とか好きなことで生きていこう、とか、とにかく「無理をしないで」「そのままで十分」みたいな風潮が昨今ある
まあ自己肯定感高めで、ありのままの自分に自信があるんだったらそれでいいだろうけど、大前提、そもそも私は自分のことがそんなに好きじゃない

しかもできない状態の自分はなおさら。
全然このままで良いと思ってない。

「気に入ってない今の自分」から脱出するためには多少は無理しないといけないと思うんだよな~。
「ありのままの自分を好きになる」って、頑張らなくて良いとか変わらなくて良いとかじゃなくて、出自とか過去とかあれこれ頑張ってもどうにもならないことを”そういうものだ”と受け入れていくことでは?

これは
「最後まで諦めない」とは「ギリギリまでお祈りをする」ということじゃない
とか
「逃げても良い」は「嫌なことは放り出せ」ということじゃない
に近いような気がしている。

(若手向け)力がないと誰のことも助けられない

新入社員が入社します(した)!
うちは先輩になるのがまじで早いので、すでに24卒がインターンに来ている=23卒がもう先輩になっていたりします。
そして当時の私と同様、必要以上に同期・後輩に目が向いている人もいるなあという所感。
目の前に苦しい思いをしている人がいて、それを上長が救えていない(ように見える)状況で、自分が何かしてあげたい、とか後輩に同じ思いをさせたくない、とか。思うよね、わかる。

そのへん全部わかった上であえて言うけど、
今のお前たちは誰のことも助けられない。いいから早く行け。

同期、大事なんですよたしかに。
やっぱりいちばん気持ちがわかるし、ツラいときに支え合ったりできる。
でも、1年生同士では相手の辛さに共感することはできても、助けてあげることはできません。せいぜい朝起こしあったりとか、上長に怒られる前に助け舟出してあげたりとかその程度。
目標達成や、キャリアビジョンの形成、壁を超える経験をさせる力はまだないんだな。残念だけど。

真の意味で同期がいてよかった、同期と働くと楽しい、って思うのはそれぞれに力がついて、それぞれの場所で裁量を得てから
今はただの友達同士、って分かってるならそれでいいけど、自分に誰かを助けられるんじゃないか、って思って立ち止まってよそ見するぐらいなら、とりあえず今は自分のことに集中して、さっさと力つけて、相手を助けられるくらいの存在になったほうがいいよね。

誰かのために頑張りたい、という貢献意識の強い頑張り屋さんこそ、
本当に相手の役に立ちたかったら、それだけの力を身につけるほうが先なんじゃないかな。

(中堅向け)ゴールが見えづらいどころの話じゃなかったかも

去年は結構頑張ると報われるの間の距離の話を書いたり話したりしたんだけど、それは「今の頑張りが今すぐ報われるわけじゃないよ」って話で。
学生の「頑張る」が50m走だったら、社会人の「頑張る」はシティマラソン(しかもスタート直後に曲がり角があってその先がまったく見えないタイプ)。どこがゴールでいつ報われるのかわかんないよね、みたいなこともよく話してました。

で、最近気づいたんだけど、そもそもどう頑張るかの前に、何を目指して何をやるかを決めるところから本人の責任なのが社会人なのでは…?

学生時代って「何に取り組むか」を決めたら必然的にゴールの設定とその過程が明らかになることが多かったなと。

試験も日程や範囲が明らかになるので、その日までに必要な知識を蓄える。部活も大会の日程や、引退の時期はだいたい決まってますよね。
免許を取るときも何の勉強が何時間いるのか、明らか。

で、社会にはいったらいきなり、その会社で何を目指すのかという設定から自分でやらないといけない。そんで、そのために何が必要なのかを自分で考えて動く。
(会社によっては何年目に何の試験を受けて、何の資格を取って、昇格は何年目で、みたいなのがだいたい決まっている会社もあると思うのですが、ここでは弊社のようなキャリアパス描き放題のベンチャー企業の話です)

入社してからやマネージャーになってから2,3年目で、ある程度仕事出来るようになってきた人がなんとなく仕事に飽きちゃう現象についてずっとモヤモヤ考えていたんですが、それって結局このへんの設定がうまく行ってないんじゃないのかなって思いました。

いい感じに走り出したはいいけど、次はどこを目指してどのくらいのペースで走ったら良いのかな?

とくに社会人はこれといってキャリアの締切がないので、やらなきゃいけないことへの取り組み方も変わってくるよな。
このへんはもっと掘り下げて書きたい。足りない。

(最近のわたし)なんかいつの間にか結構前向きな人になっていたかも

無条件ポジティブの素質は相変わらずないんですが、困難が立ちはだかったとき、やばい案件が回ってきたとき、こんがらがりまくった状態でボールが飛んできたとき、「これができたらかっこいいな(気持ちいいな、褒められそうだな、力付きそうだな…)」みたいな気持ちになることが増えてきたなと気づいた(遅い)

経験値から「(難しそうだけど)これだったらなんとかできるかも」っていうパターンが増えてきただけかもしれない。
とにかく引き出しを増やすことの重要性はここにあるのかも。前向きになれる。


ちなみに内定者時代のわたしはこちら

自信がないのを気合でごまかしているので、今見ても痛々しい…

おわり

今年はちょっと趣旨を変えていろんなことをバラバラ書いてみました。
本当は1ツイート1記事にしたかったし、定点観測だから割とガッツリ目の記事を書きたかったかも…って今更ながら思っているので、もしかしたらいずれ書き直すかも…(って言いながらたぶんやらない)

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