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アフガン情勢が切なくて『二十四の瞳』を思い出したこと

『二十四の瞳』を久しぶりに青空文庫で読んでみました。私はもともと壺井榮さんの作品が大好きで多分全部読んでいますが、一番有名なこの作品はやはり名作と言われるだけの深さと重みがある気がします。

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自転車で颯爽と村を走り抜ける「おなご先生」の若くて溌剌とした姿と無邪気な岬の分校の6-8歳位の子供達、そして彼らは大人になるにつれて貧しさや戦争などに翻弄され散り散りになっていく。十数年後に再び教壇に立つとかつての教え子の子供達に「泣きみそ先生」と呼ばれる。

この間、本当にたかが20年位なんですよね。村で遊びまわっている子供があっという間に育ち社会に出て、あるものは娼窟に売られ、戦死し、幼子や老人は栄養失調で亡くなり、生き延びている者にとっても必ずしも世界は優しいものではない・・という救いのない話。

何回かここにも書いていますが、2003年にアフガニスタンの国家再建の為の国民総選挙準備が始まり、私はその国連プロジェクト(UNAMA)に参加していました。当時も勿論一部では戦闘(Military Operation)が行われていたけれども、私が担当した中央高地(バミヤンのあたり)は平和そのもので、現地スタッフも長く不安定だった生活が漸く安定するという期待と喜びで本当に嬉しそうだったし、停電続き・零下25度の越冬という本当にしんどいものだったけれども、これでこの国は安定して平和になる・・と国際スタッフも現地スタッフも無邪気に信じていて、いわば「気分はおなご先生」で、日々のミッションをこなしていました。

それから18年。

その時以来、アフガニスタンには殆ど関わっていなかったのですが、一挙に崩れた国家体制を見て「なきみそ先生」の様に泣いたりはしないものの、やりばのない無力感にとらわれています。

そう言えば私が滞在した2003年のバミヤンの生活は、恐らく戦前の貧しい日本の地方、小豆島もそうでしたが、とあまり変わらなかったんじゃないかなあ・・とも。

日本はそれこそ、前の五輪を一つの契機として目覚ましい経済復興・成長を遂げ、そこから老齢化・衰えつつある様な気がしていますが、アフガニスタンは、政権が誰が担うにしてもこれから安定を発展に向かっていってくれる様に願わずにはいられません。

青空文庫はこちらから
https://www.aozora.gr.jp/cards/001875/files/57856_63624.html


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