(続)メタな見栄張り

想定読者数1桁の記事でもやはり類は友を呼ぶと言いますか、不用意に「初級編」なんて言い回しをしてしまうと、では中級編はあるのか? なんてことを言われたりするわけです。

前回はざっくり言うと、「自分の発言に重みを持たせようとして滑るアンチパターン」について書きました。相手の話の信憑性を推し量る時に、お互いに相手が持ってる物差しを推定しあうはずだけど、ついそこを直接的に操作したくなっちゃうよね。でも、そんなのすぐバレて逆効果だから止めようね、というような話でした。(それで済む話に2500字も使うなという話でもあります)

中級編は具体的な割引のモデル

直接操作はできないとしても、どのような方法で「推定」を行っているかを整理しておくことは有用そうです。本当に人の脳の中で以下の様な手続きが取られている、と言いたいわけではなくて、モデルを考えておくと作戦が立てやすいので立ち回りが洗練されていって便利ですよね、ということです。

相手の話を話半分、割り引いて(差し引いて?)聞く時に具体的にどういうロジックでその信憑性が減衰させているのか、をモデルにしてみます。例えば以下の様な式が考えられます。

(「相手が正しいことを知っている」ことの確実性)×(「相手が嘘や誇張をせず語っている」ことの確実性)

もちろん、厳密には相手が正しいことを知らない上で嘘をついた結果、まぐれ当たりが生じる可能性も考慮した方が正しそうですが、これは厳密な論理の話ではなく、あくまで便宜的なモデルですし結果としての正しさにはあまり意味が無いことが多いのでここでは排除しておきます。

①相手が正しいことを知っている

相手が正しいことを知っている、というのは相手の能力に対する信頼です。これを個々の発言の信憑性に限って検討すると、さらに細かいモデル化が可能になります。

(「参照した情報の範囲が十分である」ことの確実性)×(「集めた情報が適切に処理されている」ことの確実性)

この第一項が特に問題です。相手は自分よりも多くのことを知った上で、その発言をしているのか。もし相手の知識が自分のそれのサブセット(真部分集合)であり相手が知っていることを自分がすべて把握できている場合、もし相手の意見が自分と食い違っていた場合にそこに価値を見いだすことは難しく、ものを知らないから変な結論に至っているように見えてしまうわけです。話し手の立場でこれを回避するためには、自分が十分に広い範囲を参照可能であること信じてもらう必要があります。ここで、専門家の肩書きや海外生活の経験など相手とのバックグラウンドの差を示しておけると、この人は自分が知らない情報にアクセスできている可能性がある、と思わせることができて有利になるわけですね。

第二項は、通常それほど重要なファクターにはなりません。(たまにナチュラルに相手の知性の程度を低く見積もってしまう人がいますが、そういう人は恐らく最も近いところにあって頻繁に参照できる知性の程度が低いことによるバイアスが効いている可能性が高いので、ここでは割愛します)。何故重要でないかというと、仮に最終的に違和感のある結論や意見が提出されたとしても、まずは第一項の知識の範囲の問題として説明が可能であり、ある程度常識があり社会性を備えた人(つまりは通常のやりとりの相手)であればまずはそう解釈すると思われるからです。処理能力を疑うのは、相手が持っている情報に価値がないと判断した後です。(まあ、そうなってしまうと挽回が難しいとも言えますが)

ただ実生活においては、相手が能力を活かし切れてない状況にある、という可能性は排除できません。忙しくて時間が取れない、とか、そもそも興味がない、という場合、情報を適切に処理する、という機能が正常に動作しないことはよくあります。相手の能力に対してひどく低い評価をつけて法外な割引率を適用してしまう前に、この状況の問題についてはよく確認した方がよいと思います。

②相手が嘘や誇張をせずに語っている

相手が能力的に信用でき、おそらくは正しくて価値のあることを知っているとした上でも、その言を鵜呑みにするわけにはいきません。そこには嘘や誇張があるかもしれないからです。この嘘や誇張についても、ブレイクダウンすることは可能ですが、ここでは深く立ちいらないことにします。この点で重要なの切り口はやはり利害関係です。こちらが相手のいうことを鵜呑みにしたり、あるいはテクニカルには逆に疑ったりすることで、誰かが得をする(金銭的なメリットには限らないし、得をするのは語り手本人とも限らない)という構造がある場合、相手は真実をストレートに語るとは限りません。

細かいブレイクダウンは避けると書きましたが、この利害関係による歪曲には、語り手が自覚的なケースと、そうでないケースがある、ということには注意が必要だと思います。嘘や誇張は常に意図的に、計画された度合でなされるとは限らないわけです。

いずれにしても利害関係は複雑な問題ですので、常に適切な評価の計算ができるものではありません。結果的には、嘘をつきそうとか、好き嫌いなどの印象論で代替されることがほとんどだと考えて差し支えないでしょう。

結論

以上のモデルを踏まえると、一番効率良く信憑性をつり上げる方法は、①の第一項である「参照した情報の範囲が十分である」の期待を高めるということになります。なぜなら第二項は前述の通り実際には後回しになりますし、②の領域については結局印象論で代替されてしまうので、効果の意味でも操作可能性の意味でもそこぐらいしか残らないからです。

つまり、相手から「自分が知らないことを知っている」「自分とは異なる視点からものを見てる」という評価を得るようにしましょう、ということになります。
(本当はこの評価を得るために「メタ視点」に言及するというテクニックの安直さを批判するところまで論じたかったのですが、さすがに収まらないので今回はここまでにします)

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