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父の教え〜スポーツについて〜

本日は、天草市スポーツコミッションキックオフイベントに参加してきたので、スポーツに関して書いていこうと思います。

うちの方針では「体を壊すほど、スポーツ(部活)に力を入れなくてもいい。」という感じでした。
母は、高校時代部活でキャプテンを努め、父は剣道もでき、懸垂や逆立ちなど大学時代グループで一番長くできるくらいの身体能力があったと聞いています。
子どもの頃は、逆立ちなど、体を使う遊びを教えてくれたり、崖登りさせたり、家にプールを用意してくれたり、外で遊べるような環境づくりは、かなりしてくれていました。
おそらく、私が「このスポーツやりたい!」となっていたら、応援してくれていたと思いますが、母が少し足を悪くしたこともあり、そんなに、スポーツがんばりなさい!と言われた記憶はありません。私がそんなに得意ではないということも気付いてくれていたのだと思います(笑)

私のスポーツの始まりは、小学4年生で、ミニバスケットボール部に入りましたが、1年くらいで退部しました。5年生の時、サッカーがしたくなり、男子だけのソフトサッカー部(夏はソフトボール、冬はサッカーをする)に入れてもらいました。結局1シーズンだけでしたが、男子たちは全然技術がない私も温かく受け入れてくれて、面白い経験でした。
問題は、中学時代。なんと、部活加入が強制されているにも関わらず、バレー部か卓球部しか選べないという状況。その頃は部活に入りたくなさすぎて、先生にごねたりもしたような気がしますが、とりあえず個人競技の卓球を選択。3年間大きな問題なくがんばりました。
その頃から人数がいない中学校(今は廃校)。夏はみんなで陸上して大会に出て、冬はみんなでマラソンをしながら、さらに自分たちの部活もする、という文化でした。
両親からは勝ちなさいとか、しっかり頑張りなさいと言われることはなく、過ごしていたように思います。
運動大嫌いな私が、この中学時代を過ごしていなかったら、体力が今より無かっただろうなと思うと恐ろしいです。
嫌々ながらも頑張ってよかったなと今では思っています。行きたい高校に行けたから言えることでもありますが。高校になったら絶対文化系に入る!!という強い決意も持っていました。

そんな私が大学生になって、体育会系のスケート部フィギュア部門に所属し、インカレ優勝者が先輩にいるような環境で過ごすことになります。ここは長くなりそうなので別で書きたいと思います。フィギュアをすることは、両親は反対だったと思います。そんな危険な競技を選ばなくても…という感じでしたが、離れていたこともあり、自主性を尊重してくれました(好き勝手にさせてもらっていた、とも言う)。
全国大会に出られる級を取得できるくらいまで努力できたのも、部活の仲間との良い関係と、自分が面白いと思える競技に出会えたからだと思っています。

社会人になってからは、ボルダリングが面白く、よく通っていました。今は日本舞踊で楽しく体を動かしています。

親からの、無理にスポーツはしなくていいよ、という教育があったから、苦手なものを無理やりしなければいけない時期を乗り越えられたと思います。やりたい運動をやりたい時にする、これが楽しく過ごす秘訣ではないかと思います。

これから面白くなっていくであろう天草市スポーツコミッションの力で、自分の好きなスポーツと出会える人が増えると嬉しいです。市長の目標とされる子どもの時の基本的な体力づくりができると、好きなスポーツに出会ったとき、うまくできて、もっと好きになる好循環が生まれると思います。

読んでいただいた上、サポートも考えてくださるなんて、感激です!天草の学生をサポートする活動に活用したいと思っています♪