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自分のものさし、ちょっと置いておく。

当たり前でしょ!
普通だから。
おかしいよ、それ!

誰でもこんな感情、持ったことあると思う。

私も、子どもに、主人に、思って言ってたことがある。
外の人には直接言わなくても、やっぱり感じることはある。

でも、

あなたの当たり前は、相手の当たり前じゃないかもしれない。
相手には、あなたにはない事情があるかもしれない。

育った環境、今いる環境、持って生まれた気質。
どれも一緒なんて人はいないから。

結婚してしばらく、主人とよくやりあった。
惹かれあって結婚したけど、根底にある価値観が同じでも、私的には、???、ちょっとやめてよ。って思うこともあって、自分ものさしをお互い持ったまま戦った。

子どもには、私の子供時代の当たり前を重ねて見ていたことも。
昭和時代に育った私と、令和に育っている彼ら。
いくら自分の子どもだからって、学校教育も、社会も、環境も、いろんなことが違うんだから、ものさしが違って当たり前。

日本に住んでいると、多くは日本人。それでもやっぱり違いがある。
それが海外になるともっとだ。
オーストラリアは本当にマルチカルチャー、多民族国家。
私の知る限りにおいては、みんなお互いを尊重しあって生きている印象がある。「あれはいい。これはダメ。」なんて言ってたら、このおおらかなオーストラリアの空気は感じられないだろう。

自分の基準は持っていていいんだと思う。
じゃないと、人生でたくさんの決断をしていくことが難しいから。
でも、色んな経験をしてそれを更新していったり、相手にそれを当てはめようとはしない、「そうなんだね。」って思える心の柔らかさを持っていたい。

子どもにも、パートナーにも、自分の身近なところから、やさしさが伝染していくように思う。
ガチガチにに固めないこと。それは自分へのやさしさでもある。


あらためてそんな風に感じたここ数日。





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