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清水寺

小学校が清水小学校だったこともあり、清水寺は私にとってとても思い出深い場所です。世界遺産という感じではなく、遊び場としてとても楽しかった思い出のあるところでした。音羽の滝の水を飲んで頭がよくなることを願ったり、その滝の水にあたり白装束で修行をしている人を見たり、いろんな景色があります。

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今は写真のようにまだ工事中ですが、随分外からも見れるようになり足場も減りました。工事前に訪れた時に舞台にヒールの跡が沢山あり驚いたことを思い出します。日本の昔の履物では考えられなかったきずが、沢山ついていたので修復で治されるのはとてもわかります。

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音羽山清水寺の開創は778年。現代から遡ること約1200年前です。坂上田村麻呂が十一面千手観世音菩薩を御本尊として寺院を建立し、音羽の瀧の清らかさにちなんで清水寺と名付けられました。舞台の410枚余りもの桧板が張られた床面積は約190平方メートル。崖下の礎石からは約13メートルの高さがあります。日本では、晴れの場所に登場することを「桧舞台を踏む」という表現をします。清水寺の桧舞台がこの言葉の語源となったかは明らかではありませんが、実際にこの舞台は特別な法会などの際に観音さまに芸能を奉納するための場所です。

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また本堂は音羽山の急峻な崖に建築されています。これは「懸造り(かけづくり)」と呼ばれる日本古来の伝統工法で、格子状に組まれた木材同士が支え合い建築が困難な崖などでも耐震性の高い構造をつくり上げることを可能にしています。この構造は「継ぎ手」と呼ばれ、釘を1本も使用していないことで有名です。

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清水寺の御本尊は「十一面千手観世音菩薩」。この観音さまは、十一の表情と四十二の手で大きな慈悲をあらわし、人々を苦難から救うといわれています。無病息災や立身出世、良縁といった現世利益を願う人々に篤く信仰されたこともあって、古くから親しみを込めて「清水の観音さん」と呼ばれてきました。観音さまの別名は「あらゆる方角に顔を向けた者」。生きとし生けるもの全ての求めに応じて、そのお姿を33身に変えて救いの手を差し伸べるといわれています。
「観音」という言葉には、「私とあなた」という意味があり、観音さまは、他人の苦しみや喜びを理解し、世の中を平等な心で観ることが、人間の理想のあり方だと教えてくださっているそうです。

深い話だなとその意味にびっくりします。有難い場所にいたんだなと思います。清水寺は思いも深いので続きは明日また。8/2


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