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最後に、一番プライベートな私のこと

 最後に私の1番プライベートな事。
学生の時から付き合っていた彼とそのまま結婚。
結婚するまで長く一緒に住んでいたのに、結婚後離婚をしてしまう。
 
 離婚の原因は一言では言えないけれども、離婚をする前の私はいつも彼に怯えており、息を詰めたような生活をしていた。
 家に入ることができなくなり、パートから帰ると駐車場の車の中で時間を過ごした。
子供たちが帰ってくる時間になると一緒に家の中に入った。
食事の用意などの家事全般はきちんと行っていたが、彼が帰ってくると私は2階へ移動、その頃介護福祉士の試験前の私は、娘の部屋で勉強し、そのまま娘の部屋で休んでいた。
そんな生活が何ヶ月か続いた後、別居をしている。
 私が離婚を切り出した時、何度も私に「お前がそんななら、もう離婚だ」と言っていた彼はとても慌てた。
私から離婚を切り出されるとは思ってもいなかったのであろう。
その頃ヘルパーとして働いていた私に生活力があるとも思っていなかっただろうし、従順に従って生活していた私が、まさか自分から離婚を切り出すなんてありえないことだったのであろう。

別居するまでいろんなやりとりがあった。私の条件は何もいらないから、子供たちだけ連れて出たい。
予想外の出来事に彼は混乱し、何度も何度も意見を変えてきた。
結局、子供たちを引き取ることができ、私は新しい生活を始めた。
その時は介護福祉士の試験にも合格しており、訪問介護事業所でサービス提供責任者の仕事を見つけ、正社員として働き始めた。
もちろん、彼のように十分な賃金を得ることができなかったので、しばらくは給料前になると、子供たちのお年玉を借り、お給料が出ると返す自転車操業のような生活をしていた。

生活は確かに苦しかったし、子供たちのことも色々と心配ではあったけれども、心は解放されていた。体は、疲れて、頭も疲れて、いろんな心配事もあったけれども、心の底から笑うことができた。何かに怯えることなく毎日を過ごすことができた。

離婚後も子供たちは盆正月の長期の休みには、彼の実家に帰省させた。
離婚はしても、彼や彼の親族と子供たちの関係は断ち切ることは出来ないと思っていたから。
、、、帰省する子供達を、グチャグチャの複雑な気持ちで見送ってたな。
子供達は成長すると、自分達で、関係性を選択しだして、娘は大学を卒業して、息子は高校生の時彼と言い争いになり、、彼の実家との関係性をそれぞれ自己判断で断ち切った。

私はもちろん、子供たちの盆正月の見送りがなくなってからは、彼と会っていない。

今も彼のことは恐ろしい人、、という感情から抜け出すことはできないけど、彼は彼で可哀想な人だと思うようになり、自分の気持ちに蓋をして、わたしが我慢したらいいと従順だった自分もいけなかったと素直に思えるようになっている。
そぅ思えるってことは、私はいま幸せなんだなぁと思ったりもしている。
これが、私の一番プライベートな話。


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