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「前からそんなに生真面目だったっけ」って夫に言われて、変わった自分を自覚した。

隔離期間がようやく終わる。

やったー!という気持ちと、私いま仕事も休んでるし、元からこんな生活してた気もするな…という気持ちと。(私は陰性だったから、スーパーとかは普通に行っていたしね。)
閉塞感は、日常が戻ってきたら少し和らぐのでしょうか。

長女の隔離期間がこの日まで、次女はこの日まで、でも幼稚園はこの日まで行けない。
過度な消毒などはやめたものの、この日までは家の中でマスクをし、タオルとかも分けた方が……と計算しながら言っていると、
夫に「元から真面目な人間だと思ってたけど、そんなにバカ真面目というか、生真面目な感じだったっけ?」とふと言われた。

そしてまた、自分について考える。


そうだ。わたしは元々とてもだらしない人間だった。


私は元来怠け者で、めんどくさがりやだ。

友達に私を動物に例えるなら「ナマケモノ」と言われみんなが賛同してくれたこともあるし、動きたくないが故に半径1m以内にテレビのリモコンや携帯、お菓子を置いてゴロゴロするのが常だった。

外ではわりと活発で明るく見えたかもしれないけど、家の中ではずっとこんな感じ。

面倒くさがりで、気に入ったものを毎日食べ続けたりもするし、掃除や洗濯だってだいぶ溜め込んでからじゃないとできなかった。


もちろん、昔からやたら正義感が強く「真面目」ではあった。

育った環境がそうさせたし、兄弟みんな揃いに揃って真面目な性格なので(そこに私は長女の要素が加わってるからさらに厄介…)仕方ないし、性格故に傷つくこともあったけど、特段不便に感じたことはなかった。


その「真面目」がいつから「生真面目」になったかというと、きっと親になったからだと思う。



「親は子供の手本にならなければいけない」
「正しくあらなければならない」
「恥ずかしくないように、誰かを傷付けたりしないように、子供をそれなりの子に育てなければならない」

親になった瞬間から、私はずっとこんなプレッシャーを持ち続けている。
人間そんなにすぐに変われるわけないのに。
親になったから、毎日ちゃんと夜にお風呂に入って掃除も毎日行うし、ご飯は手作りなんてこと、今までの私からしたら出来るはずなんてないのに、「母親になったからにはやらなければならない」と思っていた。

ずっと人と比べて生きてきた人生だったから、子育てにおいても当たり前のように自分と他人を比べて、自分の子供と他人を比べて、できない自分を責めてまた落ち込んで。


2度の産後うつを経て、だいぶそういう想いを緩和できたと思っていたけれど、ぜんぜん変わっていなかった。

「私は親だから、こうしなければならない。」
「私は親だから、正しくいなければならない。」

今もなおそんな想いを持ち続けていることに、夫の一言で自覚してしまったのだ。


親になった私は、以前にも増して「生真面目」な人間へと変わっていた。



もちろんそういう親としての責任感を持つことは、悪いことではないのだろう。

何が問題なのかというと、私の場合はその生真面目さがいきすぎてしまっているところ、考えたら一直線でそこから視線をそらせないこと。
そして、「他人から見て“いい親であること”」に主軸を置いているところ。

また元々の私の気質と、「親だから○○せねばならない」という目指すところのギャップが大きすぎるところもあると思う。


いや〜〜〜、我ながら、めんどくさい。苦笑


親であることは、やめられない。
親であることからの責任感からも、逃れられない。
思考だって染みついたものは簡単に変えられない。

だったら結局は、妻でもない、母でもない「自分自身」を取り戻して、自分に正直に生きられる時間を増やすこと。
そうすることこそが、生真面目すぎる私の「母」としての部分を、少し生きやすくしてくれるのではないかと今は少し思っている。



この1週間の疲れと、生理の不調で、書きながらもポロポロと泣けてくる。

そんな私を見て、次女は「泣いてもいいんだよ〜!それでいいんだよ」と言う。


今日もわたしは、憧れていたような肝っ玉母さんにはなれていない。むしろ、程遠い。


でもまぁ、それでもいいか。


ポンコツな私には、こんなもんだ。

こうやって生きていくことも、きっと悪くはない。もう少し生きやすくはなりたいけどね。

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